原爆地広島市近郊を襲った枕崎台風で殉職した研究班
今で言う二次災害。8月6日の原爆投下後に幾つかの大学の研究及び救護班が広島市及びその近辺に派遣されました。
京都大学からも、直ちに医学部の教授陣を中心とし、理学部物理学者を加えた研究班を組織し現地に向かいました。9月3日からこの大野陸軍病院(大野村)に本拠を置き、診療・研究を開始した。ところが9月17日この地方を枕崎台風が襲い、同夜10時30分頃、山津波が起り、一瞬にして大野陸軍病院は壊滅し山陽本線を越えて海中に没しました。このため同病院に入院中の被爆者の殆ど全員と職員合計156人の尊い生命が奪われた。この中には日夜原爆への対策、調査、研究に献身した京大真下俊一教授(内科学)、杉山繁輝教授(病理学)以下研究班11人の殉職者が含まれていました。
昭和45年9月に京都大学原爆災害調査班遭難記念碑が建立され、碑文と京大関係殉職者11人の名前が碑の中央部にはめ込んであります。
下記は、京都大学医学部同窓会芝蘭会広島支部が平成5年に発行された冊子です。
『京都大学原子爆弾災害綜合研究調査班遭難 「記念碑建立・慰霊の集い」のあゆみ』(芝蘭会広島支部・京都大学 1993/09/01
参考としたHP
増田友也によるモニュメント『京都大学原爆災害調査班遭難記念碑』
https://tabiken.net/atomicbomb-kyotouniversity/
写真出典 中国新聞ヒロシマ平和メデイアセンターから