袖振り合うも多生の縁
昨日は、父の3回忌でした。そこで、お坊さんの講話(西本願寺派)があり、「袖振り合うも多生の縁」の話が出ました。
最近の人々は、袖振り合うも「多少」の縁と勘違いしているらしいとのこと。私もそうでした。
正しくは多生あるいは他生であり、どちらかというと後者が正しいかもしれないといったお話でした。
道を行くとき、見知らぬ人と袖が触れ合う程度のことも前世からの因縁によるという意味から、どんな小さな事、ちょっとした人との交渉も偶然に起こるのではなく、すべて深い宿縁によって起こるのであるという意味のことばである。
https://japanknowledge.com/articles/blognihongo/entry.html?entryid=326から
ブログも呟きも、「袖振り合うも多生の縁」なんでしょうか。であれば、荒れる事も少ないでしょうに。