日本赤十字社 高槻赤十字病院80周年に寄せて | FF残日録のブログ

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広島県出身。各地で皮膚科の医療に関係してきました。2017年から,高槻の病院に勤めてます。過去の文書や今の心のうちを,終活兼ねて記して行こうと思ってます。2023/1/8に、dermadreamからFF残日録のブログに名称変更。

10月23日の記念 地域連携の会用の原稿です

 

高槻赤十字病院は、1941年11月2日、日本赤十字社大阪支部病院分院阿武野勝景園として誕生しました。爾来80年、高槻赤十字病院は感染症に対して積極的な立ち位置を堅持して地域医療に貢献してきました。

簡単に、その歴史を振り返ってみます。当初、結核の予防と治療という国家的見地から療養所が完成しました(敷地は甲子園球場17個分約20万坪、近世式木造平屋建一部2階建71棟134室250床を有し、非常時には400床の収容が可能)。第二次世界大戦が始まった1942年5月からは大阪陸軍病院阿武野赤十字病院、1947年9月には大阪阿武野赤十字病となりました。更に、1955年1月からは高槻赤十字病院と改称し一般病床99床の運用を開始しました(結核病床559 床)。1978年10月、今も現役の鉄筋コンクリート6 階建て、延床面積22,991㎡の病棟が完成し現在の形となりました(一般病床322 床、結核病床197床、合計519床)。1995年に赤十字訪問看護ステーションを併設し、1997年3月には全て一般病床となり、2021年には標榜科目25科と3つのセンターを有した一般病床335床の急性期病院として現在に至っております。2002年12 月には大阪府の「地域がん診療拠点病院」に指定され、地域のがん診療の中核を担っています。同年5 月に緩和ケア病棟『Lakeside Home』を院内の尾広池の辺に開設し、2005年度にはこれらと並行し、新手術棟・外来棟が竣工しました。

「地域医療支援病院」を取得し(2011年)、大阪府三島二次医療圏74万の人々に安心・安全に裏打ちされた最新のケア(care)とキュア(cure)を提供しています。特に、連携登録医の先生との情報交換を密にして、相互に支援しあう地域医療体制の中核を担う病院として責務を果たす様日々研鑽を続けております。教育にあっては「臨床研修病院」を取得し、若き医師が高槻赤十字病院で学んで良かったと思われる教育体制を組んでいます。

 昨今、地震・台風・大雨などの医療救護が必要とされる災害が増加しています。従来から幾多の災害に対して、赤十字の使命である災害救護活動を行ってまいりました。阪神・淡路大震災、東日本大震災、平成30年7月西日本豪雨などに救護班を派遣しました。逆に大阪府北部地震では、日赤近畿ブロックから迅速な応援を頂きました。2020年初めからの新型コロナの世界的流行はまさに災害でした。日赤近畿ブロック12病院の中で和歌山に次いで多い入院患者を受け入れ、通常診療とのバランスをとりながら医療と災害の救護を実践しております。

 時代・世相は変化しても、高槻赤十字病院は「人道・博愛」の精神に基づいた、安全・安心な医療を提供し、地域に必要とされる医療機関として日々邁進していきます。皆様方の更なるご理解とご支援をお願い致します。

 

2021年11月2日  日本赤十字社 高槻赤十字病院院長  古川福実