最初に書いときますけどネタです。ネタ。

元ネタは
 ほかの大学のやつと飲んできた
 量産型ブログ - ほかのブログのやつと飲んできた

3週間近くたってるものにツッコミいれるお前こそが空気読めてない
というのはやめてください。

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インカレサークルの飲み会に誘われたので、初めて出席してみた。
違う大学のやつらと飲むのは初めての経験である。

そこで実感したのは、相手の学歴にこだわる奴ほどコミュニケーション能力がない、
ということだ。こんなこと書くとまた「SPA!の読みすぎだ」などと言われるかも
しれないが、しかし学歴にこだわるほど空気が読めない奴の割合は確実に高いと感じる。

いつも私がサークルやクラスの飲み会に参加するとき、そこでは酒を交えながら
普段の授業では聞けないそいつの過去の話、趣味や家族の話などもする。
「Kダブシャインとデブラージは本気でやりあってたみたいだけどどうなのだろう」とか、
そういう話をすることがある。

しかし学歴にこだわる彼らの飲み会は、
そもそもコミュニケーションというものが存在していない。

彼らは「言葉遊び」で何かをすることを楽しみ、人間的側面は全く感じられない。
小泉前首相をブッシュのワンちゃん、自民党を売国党などと言うような、
「自分だけの表現で相手を煙に巻く」ことに快感を覚え、「その意見のアンチテーゼとして
僕の意見があるんだ」「いや、僕が趣旨としているのはそこからのアウフヘーベンで」などと、
本人達もきちんと論点を共有できているかすらわからない「会話」を繰り広げていた。

彼らはそれらを知的であると信じようとしているが、
俺としてはまずは自己紹介をちゃんとしろよと思った。

そもそもお前の名前が分らん。

旧友がよく「お前の周りのやつはなんだかんだでコミュニケーション能力が高い」
「どんなに真面目そうな奴でも、きちんとすべらない話や鉄板ネタを持っている」
などと言っていた。自分としてははっきりそれを自覚することはほとんどなかったが、
しかし他大生のこうした現状を見る限り「確かにそうだ」と感じる。

私から見たら飲み会で「お互いのバックグラウンドについて」会話に興じることはかなりの
娯楽なのだが、彼らにとってはそれは「交流の場であってもそんなことは話さない」レベルの
会話であるらしい。私のような存在はかなり珍しいようだ(私の周りでは一般的なのだが・・・)。

「酒の場で人を判断するのは良くない」とよく言う。しかし、個人的な経験を踏まえれば、
飲み会は個人を判断するための一つの指標になりえてしまうと私は感じる。
「酒の場でネタになるような経験を持っていなくても、面白いやつはいるのだから、
酒の場で人を判断してほしくない。個性豊かなやつはどこにだっている」とよく言われるが、
そもそも相手をリスペクトすることすらできない、社会的活動をしていく上で最低限の礼儀すら
あやふやな人間のどこに個性やオリジナリティが存在するのだろうか?

それとも相手が理解しているかもわからないまま会話を強行するのが「個性」なのだろうか?
学歴へのこだわりは人の精神性をも示してしまうのではないか、と強く感じるのであった。

同じ学年の連中のなかに、「官僚になりたい」というやつが結構いる。

メディアによる官僚バッシングが激しく行われている中、
国の中枢で国家運営に携わりたいと考える人間がまだまだ多いことは一定の安心感を
私に与えてくれたのだが、その中には「霞ヶ関の、世間とだいぶズレた感覚を正したい」
という意思を持っている者も多いようだ。

「大衆迎合だ」といって批判する人間も出てくるだろうが、
こちらとしてはそう思っても仕方ない状態が多くの局面でみられるのである。

それにしても日本の民間企業のエリートに対する偏見が悲惨だ。
なぜ国家公務員の生涯賃金とエリートが得る生涯賃金を比べ「民間はストックオプション
があるからいいですねぇ」と言うのだろうか。民間エリートは就職を決める時も、
自分でリスクをとって、これからもっとも繁栄すると予測した企業にしか就職しない。

そのようなリスクテイキングの勝ち組と天下りまで考えている人間の生涯賃金を
比べても意味がないだろうに。

なにはともあれ、「高学歴で高収入の方が条件的には優位なはずなのに、
なぜ童貞率が高いのか?」という命題に対しては、この「学歴へのこだわりと
コミュニケーション力の反比例関係」も一定の影響を及ぼしているに違いない。

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まぁ、なんですか。
価値観って多様だと思いますよ。ということで。

見下したらそこでゲーム終了です。