今日は7日目 最終日
昨日は早朝の自己催眠の瞑想後、
日光山輪王寺での
朝粥会に参加し、
終わり次第仕事だったので、
ブログで記録書けず。
自分で出来るようになる7日間講座
今日は座ってやってみた。
そのあと、横になってやったのだけど
面白かったのが、
座ってやっていくと
体の力が抜けていくのか
体が沈んでいるというのか
縮んでいくというのか
背筋を伸ばして姿勢よくいられないことに気づく
姿勢を良くしていることって
体が
筋肉が緊張状態なんだと感じる
緩んで
フニャーってなった感覚
悪い感じではない
その後横になってやった時は
背中で、背面がしっかりついているというか
上からの力を感じるというのか
横たわっているというか
ちゃんと重力を感じた
それって、体に力が入っていないから
ダラーんと背中をつけて横になっているから
感じるんだろうな
緩んでいると重力も感じるんだな
アスペルガーで、常に防衛、感覚過敏、
体も緊張、交感モードバリバリで、
体がいつも緊張していた息子(多分今も緊張はしている)
小学6年の時
ハワイに行った時、
プールに浮かぶセラピーをやった
体が緊張して、
また、
水の重力?力を抜いて体を浮かす感覚
委ねること
力を抜くことを
体で体感してほしかった。
脱力する感覚を
体が経験してほしかったんだよね
なかなか、力が抜けず
セラピストに支えに
委ねて浮かべた時、
私は泣いたね
ゆだねる
手放すことで楽になる
今回の瞑想とも共通してた
条件付けのない自分が
自己催眠をかけていない状態の自分
もともとの私が
内側から起こっていることを見ている
思考や、エゴや、その他もろもろ
でも、それは、外側の自分
自己催眠をかけた自分が作り出した
言動でもある
地球の核のような
私の核(中身?)の部分は、
ただそのまま何も変わらない
やること(to do)
日々こなすことや、仕事や、家のこと
人間関係、
それらは全て、どうにでもなるもの
なんでもいいもの
そこは重要ではない
そこにとらわれるな
それを自分と思い、ネガティブにジャッジしたり
防衛してみたり
慢心してみたり
doが作り出すこと
思考、マインドが作り出すこと
それは、全て外側だ
切り離すことが出来るものだ
とそこにとらわれてはいけない
地球が月になることはない
でも、地球の表面の
森や海や山、人々の暮らしは変化する
それと同じかな
なんて感じたり
自分の核の部分
大いなる自己(セルフ)の部分は
変わらない
海の表面は波もたつ
大波も、なぎも、暴風雨も
でも、海の深いところでは、波も起こらず
そこにあるだけの世界は変わらない(と思ってる)
人も地球も同じだね
自分の核にいる時
表面で起こっていることに感情が揺さぶられない
瞑想中、
昨日の仕事での対人関係で
気になる思考が浮かんできた
それを分析し、傾向と対策を考えようとしたり
相手の対応のせいにしようとしたり
そんな自分に気づくが
そこで、その核に居続け、
TVの向こうの世界を見るような客観性で
眺めていた
向こう側で起きていること
私には関係ないこと
そんな感じだった
そうか
これは、私ではないんだ
私だけど、私の外側の世界
エゴや、防衛や、
ここでそんな態度や言動をとっても
私の核は変わらないことも感じた
この体感は大切な感覚だ
私は相手のせいにしたかった
自分は正しいと思っていた
相手に注意しなければ、教えなければ、
なぜなら他の人達が困るから
というのは、
私が困るだけであって
私が一生懸命関わっていたことが
覆され、
伝えたいことが伝わらず、
でも、どこかマウントもとっていたり、
支配したかったり
色々なエゴがあったことに気づく
「気づくだけでいい
気づくって、とてもすごいこと」
っていうのは、
なるほど、と思った
私が悪いわけではない
私のエゴだった
多分、私は全てにおいて
悪い、も、いいもなく
「私」なだけなんだろう
最終日に、大切なことを気づきだけでなく
体感から感じたこと
思考・意識と体
からだと心
核は核
最終日まで7日間参加した私もえらい
さて、
どんなエゴを着て
どんな生き方をしたいのか
人生の探求・実験は続く
これからは一人で行う
自己催眠の瞑想も続けていこう