日光からこんにちわ。
オリンピックも始まりましたね。開会式では、原爆投下の8時15分の黙祷は
認められなかったとのことで、ブラジルの歴史をなぞるショーの中で、
原爆投下時刻に、日本人移民が登場する演出がありました。
演出したブラジルの映画監督が、平和のメッセージを発信したことが
話題にもなりました。
夏旅で7月末に訪れた、平和記念資料館。

オバマ大統領の折り紙1

オバマ大統領の折り紙2


貞子さんの折り紙の像
今でも多くの折り鶴がかけられています。
持ってきて、かけていくこともできるのですが、
前広島市長が、今までの折り鶴を処分することはできないといって
ずっと取ってあったものが10トンを超え、処分に困る話もあったようなので、
今回は折り鶴は持っていきませんでした。
(今までの折り鶴は再利用され、はがきやコースターなのの
お土産として売られていました)


8月6日の追悼式の準備中

この中の石棺に、今年も被ばくで亡くなった方の名簿が納められました。
広島には、ずっと攻撃がなかったんだそうです。
近くには軍事基地や、呉のような大きな港もあるのに、
なぜ、広島には落ちないのか、町の人たちは不思議だったそうです。
でも、理由は、
アメリカは、原爆の威力を知りたかったので、
原爆を落とす予定の広島には、
空爆がなかったそうで、
原爆投下前に空爆があると、
被害状況が、空爆なのか、原爆なのかわからなくなるからという理由で
攻撃がなかったのだそうです(ピースボランティアより)。

原爆被害にあった三輪車

学徒動員の子供たちの慰霊碑
そんな状況の中、
いつ広島が攻撃されても、火の手が回らないようにと
防火帯を作るため、崩壊作業が行われていたとのこと。
広島では、高校生〈15歳以上〉くらいの子供は、若者が戦地に送られていたので、
工場などで働いていたので、その下の中学生(12-15歳くらい)の子供が、
爆撃による火事で、火の手が進まないようように、
市内に幅100メートルくらいの場所の建物(木造が多い)を壊して
防火帯を作る作業にあたっていたそうです。
その、防火帯を作っていた場所、作業が始まる朝8時過ぎに
原爆が投下されたことで、
家にいたら、直接被害に遭わないでいた子供の多くが
その場で多く犠牲になったとのこと。
原爆資料館で、多くの遺品が、11歳とか13歳とかだったので
なぜ、こんな子供たちが多く被害にあったのか不思議でしたが、
今回、原爆資料館でお願いしたピースボランティアの方が、
公園内の色々な慰霊塔や建物の説明をしてくれた時に、教えてくれました。
息子とほぼ同年代の子どもたちです。
息子は、オバマ大統領が広島訪問していた時、
TVでその様子を見ていました。今回も、何を感じたのかはよくわかりません。
しかし、広島の原爆ドームや資料館へ行きたいと
息子の希望で来た広島で、資料館では、被爆者伝承者の方の話を
聞くこともできました。
私は、息子をここへ連れてくる役割があり、
息子は、ここで感じたことを、伝えていく人であるのだと思います。
カンボジア、ベトナムで感じたことを伝えていったように、
戦争反対ということを、なぜ反対なのかを、身をもって感じ、伝えていくことは
とても必要なことだと改めて思いました。

昨日、追悼式の後、TVで見て知ったこと。
アメリカがパキスタンなどでドローン空爆を行って、
指導者暗殺に使用しているということ。
誤爆や、一般人も巻き添えになり死亡する人がいること。
祖母を亡くした、パキスタンの少女が、
オバマさんに言いたい事として、
戦争をするより、教育支援をしてほしいと言っていました。
世界が平和でありますように。
オリンピックも始まりましたね。開会式では、原爆投下の8時15分の黙祷は
認められなかったとのことで、ブラジルの歴史をなぞるショーの中で、
原爆投下時刻に、日本人移民が登場する演出がありました。
演出したブラジルの映画監督が、平和のメッセージを発信したことが
話題にもなりました。
夏旅で7月末に訪れた、平和記念資料館。

オバマ大統領の折り紙1

オバマ大統領の折り紙2


貞子さんの折り紙の像
今でも多くの折り鶴がかけられています。
持ってきて、かけていくこともできるのですが、
前広島市長が、今までの折り鶴を処分することはできないといって
ずっと取ってあったものが10トンを超え、処分に困る話もあったようなので、
今回は折り鶴は持っていきませんでした。
(今までの折り鶴は再利用され、はがきやコースターなのの
お土産として売られていました)


8月6日の追悼式の準備中

この中の石棺に、今年も被ばくで亡くなった方の名簿が納められました。
広島には、ずっと攻撃がなかったんだそうです。
近くには軍事基地や、呉のような大きな港もあるのに、
なぜ、広島には落ちないのか、町の人たちは不思議だったそうです。
でも、理由は、
アメリカは、原爆の威力を知りたかったので、
原爆を落とす予定の広島には、
空爆がなかったそうで、
原爆投下前に空爆があると、
被害状況が、空爆なのか、原爆なのかわからなくなるからという理由で
攻撃がなかったのだそうです(ピースボランティアより)。

原爆被害にあった三輪車

学徒動員の子供たちの慰霊碑
そんな状況の中、
いつ広島が攻撃されても、火の手が回らないようにと
防火帯を作るため、崩壊作業が行われていたとのこと。
広島では、高校生〈15歳以上〉くらいの子供は、若者が戦地に送られていたので、
工場などで働いていたので、その下の中学生(12-15歳くらい)の子供が、
爆撃による火事で、火の手が進まないようように、
市内に幅100メートルくらいの場所の建物(木造が多い)を壊して
防火帯を作る作業にあたっていたそうです。
その、防火帯を作っていた場所、作業が始まる朝8時過ぎに
原爆が投下されたことで、
家にいたら、直接被害に遭わないでいた子供の多くが
その場で多く犠牲になったとのこと。
原爆資料館で、多くの遺品が、11歳とか13歳とかだったので
なぜ、こんな子供たちが多く被害にあったのか不思議でしたが、
今回、原爆資料館でお願いしたピースボランティアの方が、
公園内の色々な慰霊塔や建物の説明をしてくれた時に、教えてくれました。
息子とほぼ同年代の子どもたちです。
息子は、オバマ大統領が広島訪問していた時、
TVでその様子を見ていました。今回も、何を感じたのかはよくわかりません。
しかし、広島の原爆ドームや資料館へ行きたいと
息子の希望で来た広島で、資料館では、被爆者伝承者の方の話を
聞くこともできました。
私は、息子をここへ連れてくる役割があり、
息子は、ここで感じたことを、伝えていく人であるのだと思います。
カンボジア、ベトナムで感じたことを伝えていったように、
戦争反対ということを、なぜ反対なのかを、身をもって感じ、伝えていくことは
とても必要なことだと改めて思いました。

昨日、追悼式の後、TVで見て知ったこと。
アメリカがパキスタンなどでドローン空爆を行って、
指導者暗殺に使用しているということ。
誤爆や、一般人も巻き添えになり死亡する人がいること。
祖母を亡くした、パキスタンの少女が、
オバマさんに言いたい事として、
戦争をするより、教育支援をしてほしいと言っていました。
世界が平和でありますように。