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任天堂が再びトップにその3

任天堂がこうして、ソニーを押さえ、トップに返り咲いたことは、ハードの売り上げの他にも影響が出ています。
山内溥社長が退陣し、任天堂の組織が若返りしたこともそうです。
また、以前のサードパーティーであった、スクウェアエニックスと和解したこともそうです。
それから、業務用ゲーム基板である、トライフォースを、セガ、ナムコと共同開発したこともあります。
それだけでなく、世間的にも、オンライン家庭用ゲームが流行ったことなど、時代の流れも任天堂が変わって行った背景のひとつでしょう。

任天堂が再び成功をしたことで、株価も上がりました。
2000年代には、9000円後半から10000円前半だった株価は、2005年から急騰しました。
そして、2007年には7万円を突破しています。
時価総額は、07年には10兆円の大台に乗ったこともあり、時価総額で言うと、日本企業の中で最高、第3位に入ったこともあるそうです。
このことから、ゲーム業界だけでなく、任天堂は本当に日本のトップ企業のひとつだと言うことがわかります。

こんな成長を遂げた任天堂ですから、海外から買収の話も出ています。
以前、マイクロソフト社が任天堂を買収する噂が出ましたが、この話、任天堂は否定しています。
本当のところはどうなのでしょうか?
以前からマイクロソフト社と任天堂は、いろいろな面で協力し合って親密な関係でしたから、そのような噂も立つのでしょうね。
今後も任天堂の活躍、そしてライバルである、ソニーの動きもきになるところですね。

任天堂が再びトップにその2

同じころ、ソニーは、プレイステーションポータブル、通称、PSPを販売していましたが、ここで大きく差をつけました。
当時は、脳ゲームなどがブームになり、一時的に品薄状態になったときもありました。
この任天堂DSが火付け役となり、日本国内における携帯型ゲーム機の販売台数はぐんと増えました。
そして、家庭用ゲーム機市場での、携帯型機が据置型機のシェアを超えた形となりました。

また、任天堂は2世代に渡り、ソニーに負けていた据置型ゲーム機ですが、ここでWiiを発売しました。
これは、従来のようなコントローラボタンで操作するだけでなく、握ったコントローラを動かすことで、楽しみがより大きくなりました。
内臓されたポインタと、加速度センサーで、人間の操作をゲームに反映できるようになりました。
この、Wiiリモコンですと、ゲームなのですが、スポーツも本当にしているように感じます。
家族みんなで遊べる画期的なゲーム機ですよね。
同じころ、ソニーが発売したプレイステーション3にも、任天堂のWiiは大きく差をつけました。
そして、これで、任天堂は10数年ぶりに、ゲーム機市場のトップになったのです。
この影響を受け、スクウェアエニックスはドラゴンクエストIX、星空の守り人を任天堂DSで発売するようになりました。
こうして、少しずつ、サードパーティーが任天堂に戻ってきたのです。
離れていったサードパーティーの中には、以前、ヒットしたソフトを出したところもありますからね。

任天堂が再びトップにその1

任天堂はプレイステーションで、悔しくもソニーにトップシェアの座を奪われてしまいましたが、その後、それを奪還することに成功します。
ハードなどの反省点を踏まえた上、任天堂は従来からキープしてきた高性能化路線で対抗するのはやめました。
その代わり、誰でも気軽に、そして手軽に遊べるゲーム作りに切り替えました。
これは、顧客層を拡大し、それと同時にゲーム市場も拡大する目的です。
この方向転換が吉と出ました。

実は、ゲーム市場自体、その規模は1990年代の後期ごろから、徐々に縮小していました。
では、それまで、人気があって拡大し続けていたゲーム市場が、どうして縮小してしまったのでしょうか?
それは、ゲームが進化したことに原因があると思われます。
ゲームは、年々、より高性能になり、より複雑になってきました。
そのため、ゲームが出来ない世代、ゲームをしない世代が、増えてきたことにあります。
要するに、あまりに難しすぎるゲームですと、中年層はゲームをすることが出来なかったり、複雑すぎるゲームは、小さいお子さんが出来なかったり、このようなことが要因になったと考えられます。
私もボタンも沢山あると、もうどこを押していいのかわからなくなりますからね。

そうした世間の流れの中、任天堂は携帯用ゲーム機として、「ニンテンドーDS」を発売しました。
これは、上下2画面で、更に、両方、タッチスクリーンになっています。
この仕様は、ゲームの楽しみ方を広げ、使う年齢層も広がりました。