先日、世界の歌姫(ディーバ)と賞賛されたマリアカラスのドキュメンタリー映画を観ました。

 

歌と恋に生きた偉大なオペラ歌手です。

 

彼女の現役の時代は知りませんが、没後何度もドキュメンタリーやドラマや映画で取り上げられており、記憶に残る大スターであったことは間違いありません。

 

平成の世代で彼女を知っている人は、ごく限られることでしょう。

 

彼女を知らない方々のために、彼女の恋の遍歴を簡単に紹介します。

(以下、引用)

 

26歳。

 

不倫関係にあった28歳年上のマネージャー、ジョヴァンニ・バッティスタ・メネギーニと念願かなって結婚。

 

しかし、世間には結婚を強く望んでいたマリア・カラスによる“略奪愛”という冷やかな見方も根強かった。

 

35歳。

 

体調不良のためアテネの公演をキャンセルしたマリア・カラス。

 

さらにエジンバラ音楽祭では4回の公演が5回に変更となったことに不満を爆発させ、5回目の公演中、ステージを降りてしまう。

 

また、大統領や著名人たちが見守るローマ歌劇場の大舞台では不調を訴え第二幕以降を中止。

 

「ファンへの裏切り」と非難を浴び降板を余儀なくされる。

 

37歳。

 

マリア・カラスに惹かれる大富豪アリストテレス・オナシスは、自身が所有する豪華客船の旅に彼女を招待。

 

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マリアとオナシス

 

体調不良やスキャンダルで疲労困ぱいしていたマリアはこれに応じる。

 

長い船旅はふたりの関係を親密なものにするが、やがてマスコミの知るところとなり、マリアは夫を省みない不埒な女として非難を受けることに。

 

オナシスを心の底から愛したマリアは夫との離別を宣言。

 

46歳。

 

アメリカでオナシスが新しい恋人とデートという報道……

 

お相手は暗殺されたアメリカ大統領ジョン・F・ケネディの元妻ジャックリーヌ・ケネディという。

 

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オナシスを信じ報道を否定するマリア・カラスの願いもむなしく、68年にオナシスとジャックリーヌが結婚。

 

マリアはショックのあまり睡眠薬で自殺を図る。

 

未遂に終わったものの彼女の心に大きな傷を残すことに。

 

オナシスとの愛人関係はケネディ大統領未亡人ジャッキーとオナシスの結婚後も続いた。

 

53歳

 

その後ディ・ステファノと恋愛関係に入る。

 

しかしステファノとの関係も1976年12月末に終わった。

1977年9月16日、ひっそりと暮らしていたパリの自宅にて、53歳の若さで短い生涯を閉じる。

 

この死の真相は自殺なのか病死なのか他殺なのか・・・闇の中です。

 

(以上)

 

マリアの生涯に大きな影響を与えた男性はオナシスです。

 

オナシスが幼い頃、紛争の中でオナシス家は全ての財産を失いギリシャへ難民として移住しました。

 

そこからオナシスは「20世紀最大の海運王」と呼ばれるまでになったのです。

 

しかし、ジャクリーンとの結婚は「恋愛によるものではなかった」と言われ、事実夫妻は滅多に時を共に過ごさなかった。

 

なお、オナシスは同性愛者でもあったと言われています。

 

1975年に海運王と呼ばれた父親のオナシスが死ぬと、クリスティーナは3000億円(現在の30兆円越え)ともいわれる遺産を引き継ぐ。

 

しかし結婚には恵まれずに離婚を繰り返し、麻薬のやり過ぎで1988年に37歳の若さで他界する。

 

膨大な富を築いても、世界中の人が注目する恋が出来ても、それが、心を満たしてはくれないことを教えてくれる。

 

カラスの生涯が現代においても輝き続けているのは、恋に生き愛を求め続けたからだと思います。

 

歌姫としての名声だけでは10年間の短いものです。

 

一方、望むもの全てを手に入れられるオナシスにとって、ジャクリーヌとの結婚で得たものは一体何だったのでしょうか。

 

恋に生きたいカラスと全ての”もの”を手に入れたいオナシス、生涯2人は”本物の愛”にたどり着けなかったということだけは真実のようです。

 

オナシスの晩年の言葉がとても印象的です。

「自分の生涯は黄金の絨毯を敷き詰めたトンネルの中を走ってきたようなものだ。

 

トンネルの向こうには幸福があると思い、出口を求めて走ったが、

 

走れば走るほどトンネルもまた長く伸びていった。

 

幸福とは遠くに見える出口の灯りなのだろう。

 

しかし黄金のトンネルから、そこには辿りつけないのかもしれない」