日本人は、欧米人とは根本的に違うという話。
奈良県の法隆寺は、世界最古の木造建築群であり、木造建築最大の建造物です。
1400年前の日本の木造技術としても賞賛に値するものです。
金堂の高さ16.0m。
五重塔の総高さ 32.45m。
1400年経った今、これ以上の大きな木造建築は城ぐらいです。
日本の城は、天守の壁(土塀)は白漆喰で仕上げたもの。
城の高さランキング。
しかし、城は殿様の住む場所でなかった。
木造ですから戦いに不向きで燃えやすく、天守閣はあくまでも物見や権力の象徴のための場所です。
殿様は、本丸と呼ばれる場所に「本丸御殿」を建て、その中で生活していました。
欧州の宮殿と比べると質素なものです。
例えば、有名なフランスのベルサイユ宮殿はどうか。
パリの南西の郊外にある、東京ドーム約220個分、およそ1000ヘクタール、召使4,000人だそうです。
ヨーロッパ1大きな宮殿は、ベルサイユ超えを目指した、18世紀イタリアのカゼルタ宮殿です。
奥行きはおよそ3キロ、1200室の部屋があります。
つまり、日本人は、どんなに権力や富を持っていても、1400年前作った法隆寺を超えるような超巨大な建物を好まなかったのです。
権力をひけらかし、贅の限りを尽くし、争いを好む欧米人的な価値観が無いということ。
日本の殿様の食事の例として、徳川家康は、若い頃から晩年まで一貫して麦飯を食した。
質素倹約を旨とするための行動だったのですが、実は麦飯こそ栄養価が高く、結果として長寿になったと考えられています。
日本の1600年の平均寿命30歳ですから、家康の73歳は超長寿です。
名古屋城での殿様が客をもてなす饗応御膳の例です。
饗応御膳は“本膳料理”という室町時代に武家が客をもてなすための料理として成立したもので、今の日本料理の原型と言えます。
ベルサイユ宮殿の主ルイ14世の食事。
ルイ14世の財源は、植民地貿易を重視して海外市場の開拓です。
植民地と奴隷を使えば、こうした(日本人にとって)想像を絶する栄華も可能です。
一方、日本では、「武士は食わねど高楊枝 」という諺があります。
その意味は、武士が貧しい境遇にあってお腹がすいていても、まるでお腹が一杯のように楊枝を高々とくわえて見せておかなければいけない、といった武士の清貧や高潔さをあらわしています。
当時、金銭的に特別裕福でなくても武士はとても尊敬された訳です。
ここで日本国民の象徴としての天皇の御所を持ち出すことも憚られるのですが。
御所は、完成当時、地上2階、地下1階で部屋数は62、総床面積は4940㎡です。
自然に囲まれた閑静な佇まいと言えるでしょう。
真の権威というものは、1,200室や2,000室を構え何千人もの召使を使うことではない。
126代の1500年以上続く皇室(欧米では王室)というものは、世界に存在しません。
これらの日本の史実から分かるように、人間の真の価値は、権力をひけらかし贅沢を尽くすことではないという、”誠実さ”や”恩義を大切にする”日本人の姿が、そこにあります。
こうした歴史的な日本人としての優れた、唯一無二の気質・価値観を、どのように継承していくのか。
あるいは、こんな歴史は古臭いと考え、欧米人が優秀としか考えなければ、これから100年も経たないで、何万年もかけて創り上げた、この国の類い稀な素晴らしい文化や文明は滅びてしまいそうです。