私の恋愛論の原点は、ズバリ『源氏物語』です。

 

源氏物語は平安時代に紫式部が書いた長編小説で、長保三年(1001年)頃に書き始められました。

正式な成立年は不明です。

 

1000年前の世界最古の恋愛小説です。

 

紫式部は、”女流作家”としても世界初です。

 

『源氏物語』は世界で32種類の言語に翻訳されています。

 

現代語訳は、瀬戸内寂聴、   与謝野晶子、谷崎潤一郎から、林真理子など、多くの作家が手がけています。

 

源氏物語の有名な冒頭の一文。

 

「いづれの御時にか,女御・更衣あまた候ひ給ひける中に,いとやむごとなききはにはあらぬが,すぐれ て時めき給ふありけり。」

 

 

(訳)どの天皇の時代であったでしょうか、女御や更衣がたくさん(天皇に)お仕え申し上げていらっしゃった中に、それほど高貴な身分ではない方で、際だって帝のご寵愛を受けていらっしゃる方がいました。

 

物語とは思わせないような冒頭の文が、読む者の心を捉えます。

 

私自身は、源氏物語の和歌が大好きで、恋愛を語る際にも多用します。

 

795首の和歌があります。

 

和歌とは、五音と七音を基調とする長歌・短歌・旋頭歌 (せどうか) ・片歌 (かたうた) などの総称。

 

平安時代以降は主に短歌をさすようになった。

 

源氏物語に登場する14人の女性たちが、いかに愛し悩んだか・・・現代の恋愛にも通じる普遍な原理があり、光源氏を通して観た女性たちが主役の物語なのです。

 

その『源氏物語』の和歌の内、甘美で情熱的な恋愛至上主義である”光源氏の和歌”221首から、いくつかをご紹介します。

 

独見し夢を  逢ふ夜ありやと  嘆くまに
 目さへあはでぞ  ころも経にける

 

(訳:空蝉へ)夢が現実となったあの夜以来、再び逢える夜があろうかと嘆いているうちに 目までが合わさらないで眠れない夜を幾夜も送ってしまいました

 

いにしへも  かくやは人の  惑ひけむ
 我がまだ知らぬ  しののめの道

 

(訳:夕顔へ)昔の人もこのように恋の道に迷ったのだろうか わたしには経験したことのない明け方の道だ

 

見てもまた  逢ふ夜まれなる  夢のうちに
 やがて紛るる  我が身ともがな

 

(訳:藤壺へ)お逢いしても再び逢うことの難しい夢のようなこの世なので
 夢の中にそのまま消えてしまいとうございます

 

朝日さす  軒の垂氷は  解けながら
 などかつららの  結ぼほるらむ

 

(訳:末摘花へ) 朝日がさしている軒のつららは解けましたのに どうしてあなたの心は氷のまま解けないでいるのでしょう

 

逢ふ瀬なき  涙の河に  沈みしや
 流るる澪の  初めなりけむ

 

(訳:朧月夜へ)あなたに逢えないことに涙を流したことが 流浪する身の上となるきっかけだったのでしょうか

 

生ける世の  別れを知らで  契りつつ
 命を人に  限りけるかな

 

(訳:紫の上へ)生きている間にも生き別れというものがあるとは知らずに
命のある限りは一緒にと信じていましたことよ

 

恋ひわびて  泣く音にまがふ  浦波は
 思ふ方より  風や吹くらむ

 

(訳:源氏)恋いわびて泣くわが泣き声に交じって波音が聞こえてくるが
それは恋い慕っている都の方から風が吹くからであろうか

 

むつごとを  語りあはせむ  人もがな
 憂き世の夢も  なかば覚むやと

 

(訳:明石の君へ)睦言を語り合える相手が欲しいものです この辛い世の夢がいくらかでも覚めやしないかと

 

見し折の  つゆ忘られぬ  朝顔の
 花の盛りは  過ぎやしぬらむ

 

(訳:朝顔へ)昔拝見したあなたがどうしても忘れられません その朝顔の花は盛りを過ぎてしまったのでしょうか

 

年月を  なかに隔てて  逢坂の
 さも塞きがたく  落つる涙か

 

(訳:朧月夜へ)長の年月を隔ててやっとお逢いできたのに このような関があっては堰き止めがたく涙が落ちます

 

なくなくも  帰りにしかな  仮の世は
 いづこもつひの  常世ならぬに

 

(訳:明石の君へ)泣きながら帰ってきたことです、この仮の世は どこもかしこも永遠の住まいではないので

 

最後に。

 

ややもせば  消えをあらそふ  露の世に
 後れ先だつ ほど  経ずもがな

 

(訳:紫の上の死)どうかすると先を争って消えてゆく露のようにはかない人の世に せめて後れたり先立ったりせずに一緒に消えたいものです

 

和歌を詠みながら、光源氏は拭うことができない涙を流します。

 

そんな別れの場面に詠まれた、光源氏が最も愛した女性(紫の上)への切々とした、儚くも美しい和歌・・・