とある記事を読んで少し思ったことを描いてみる。
女性の靴の選択肢を強要することについてのなんとやら、という記事です。
個人的に社会通念に関するお話だと思いますが、こういう差別をなくそう的な姿勢で働きかける人に対する人格攻撃などは、この問題だけではなくあらゆるところで勃発する問題だと思う。
基本的に、今までの社会通念を壊す側の人間としての活動なので、実際自分も常識を覆すという社会的な攻撃をしているわけなのですが、意外とこういう活動をしてる人はその自覚がないような気がします。
男女差別という言葉に代表されますが、男女は至ると事で差別や区別がされますよね。
男女が温泉で同じところに入れられようものなら、明らかに女性の権利侵害になりますし、男性が女性ものの服を着たら変人だと思われます。
これに関して男性が、男性差別だとでも言いだした日には、女性は冷ややかな目でみたり、本気で拒絶したり警察に通報するのが普通かなと思います。
これがいわゆる社会常識、社会通念なわけです。
ちなみにこの社会常識、社会通念は時代と場所が変われば変化します。
これが日本ではなく、アメリカの奥地の未開の民族などであれば、男女が裸で一緒の風呂はいったり、男性が女性用の服着てても全く問題な買ったるする場合もありますが、日本で当たり前のように認められる様々なことが、禁忌にされてたりもしたりします。
例としては極端かもしれませんが、その社会にとって普通っていう感覚は、仮に不便だとしても、強要されたとしてもひとつの共同体としてのルールの中では、守らないと社会からは孤立することにつながるわけです。
だから、強制されている感じがする。おかしいという声を上げるのも立派だと思います。
それで世の中変えたいと思う人もいるでしょうし、実際活動したり行動を起こすことは多くの人にも支持されたりもするでしょう。
しかし社会常識を変えることは、別の誰かにとって”日常のルール”を破壊される行為になったりもします。
たかが靴ごとき、好きに選べばいいじゃないと思いますが、たとえ、ラフな靴や格好で着ていいといわれても、会社に私服で行く人っていますかね。
皆スーツに身だしなみもきっちり整えていきますよね。中には本当にラフな格好していく人もいますが、そういう人は自分がひそひそ陰口叩かれても気にしなかったり、常識にとらわれないところが実際対外的にも認められてるケースっていうのが大半だと思います。
ちょっと話を戻しますが、私生活に関して何かを強制されることは差別ですが、事仕事や社会通念を重視される場では、常識的であることが求められます。
男性は革靴で楽だろうな。女性はヒールを強制されて辛い。差別だ。この考え方がそもそも男性と女性の性的違いを理解してないといってもいい。
差別という言葉自体が適切ではない。ヒールを公用靴として採用するのはやめにしないか という議論ならいいと思う。
差別という言葉は相手を攻撃する言葉であるということを使う側がよく分かっていない。
自分は差別されているとか、女性は差別されているとか使うのは、差別している人がいるといってるのと同じで、女性が差別されているという言い方をするなら、男性が女性を差別していると、男性を攻撃していることになる。気軽に使っていい単語ではない。
女性に女性は差別されているといわれたら男は、そんなつもりないけどな と思うのが当然である。
別に自分たちはそもそも強制しているつもりはない。
ヒールを吐くのは女性が勝手にしているだけじゃないか と思うだけである。
でも社会的に女性がヒールやパンプスを履くのが当然という空気だから、強制されているようで差別されてると感じているだけなのであって、別に男性はヒールが痛いなら普通に革靴はいてきてもいいんじゃね?浮くけどな!と思うだけなのである。
男性が、夏場のズボンは蒸して熱いから、男もタイトスカートはいてきたいけど、変態だと思われるし女性に白い目で見られるから差別だ!男がスカート履いて何が悪い!強制する社会がおかしい!と叫ぶのとそんなに変わらない。
こういう発言を男性がしたら、女性はそいつの人格を絶対に認めようとしないだろう。
世間一般的に女性が男性の服を着るのは、それなりに認められているが、男性が女性の服を着ることに関してはかなり異常、非常識と受け止められるだろう。
差別差別いうならこれは立派な男性差別なのである。
※決して自分に女装癖があるわけではない。
要するに、それを覆すには相当な覚悟が必要で、様々な方面から攻撃を受けることは覚悟しなければならない。
しかも政治家にアプローチして、社会のルールを法律で規制してかえてもらうだなんて、上から押さえつけて強要する明らかに攻撃的な行為である。
自分は人格攻撃や人の過去の経歴や性別を理由にした中傷などは吐き気がするし全然みとめてはいないが、自分が攻撃者であるにもかかわらず一方的に被害者のように感じてしまう無自覚な攻撃者はもっと自分のやろうとしてる行為について、考えてみてほしいと思う。
例えば児ポ法改正については、児童の権利を守るためという名目で色々な規制が入ったが、関係のない創作関係の規制強化と、それによる見せしめによる警察組織による逮捕劇なども行われたりした過去がある。もちろん実在少女でなく、あくまで2次元の創作の世界での話だ。
規制を強化することは基本的に誰かの権利を奪う行為である。何事に対しても。そりゃ反対意見を持つ人から反感を持たれて当然なのである。
だから、行為社会の権利を訴える人たちにはどうか自分たちのやっている行為が、何かの誰かの何かを奪う行為かもしれないと思って行動してほしい。
今回はたかが靴だけど、されど靴。身だしなみに関する問題であり特に冠婚葬祭や仕事にかかわる話でもある。
冠婚葬祭に来た人が常識を覆した格好で、何十万もする式の雰囲気や参加者の心理を乱すような行為を”足が痛いから””女性差別だと思うから”という言葉だけで片付けていいのかどうかを今一度考えてみるべきだと思う。
社会通念や常識を変えたいなら、今ある常識への破壊者として自覚を持って行動してもらいたいと思うのでした。