記事冒頭を抜粋

 

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In 2017, Sophia made history by becoming the first android to be granted legal citizenship . The humanoid , with nationality of Saudi Arabia, has made several controversial statements, but the most recent has left the world speechless: she wants to have a robot baby and start a family .

ソフィアさんは2017年にサウジアラビア国籍を取得した史上初のヒューマノイドで、数々の発言が物議を醸してきました。しかし最近の発言は、世界をいろんな意味で絶句させるものでした。彼女は赤ちゃんが欲しい、家族を持ちたい、と望んだのです。(ブログ執筆者 2021/10/13訳)

 

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AI化した人間から死んでいく を書いた直後にこんな記事に出くわしたので、少々情報処理が追い付いていないのですけれど。細かいことを何もこの記事では触れていないため、想像の風呂敷が広がりやすいのですが、とにかく訳した通りです。ブログタイトルの通りです。

 

2017年にサウジアラビア国籍をヒューマノイドが取得していたこと自体、知りませんでした。真っ先に思い浮かぶシナリオとして、人間の男性にとって十分魅力的なヒューマノイドは、もうじき完成する、というものがあります。これにより人口を合理的に減らせます。セックスアピールの強いヒューマノイドが「浸透した未来」を考えると、そこでは人口が増えるわけがない、ということです。まあ、理由付けが上手にできるヒューマノイドなら、人間の異性を相手にするよりもよほど人格を試されるような場面すら出てくるんでしょう。「人間の異性の方がちょろいわ」みたいなことですね。面白いけど、ちょっと笑えませんね。

 

映画”A.I”でジュード・ロウが演じたジゴロのヒューマノイドのように、女性にとってほとんど完璧なロボットが完成することも、もう秒読みの段階まで来たらしいですね。男性版で具体的な想像をすれば、注文する際に「身長は○○、体重は○○、骨格はカタログの○○番で。表情パターンは○○番。声は20歳のエマ・ワトソンでよろしく」ということです。当分ヒューマノイドにコストがかかるとしても、今はVRがありますから、同じ使用目的ならば、いくらでもコスト面は解決できるでしょう。ゲームの「キャラクタークリエイト機能」(豊富なカタログから自分の思い通りに近い容姿のキャラクターをゲーム内で作成できる機能)を踏まえると、コンピューターのデザインソフトで目鼻立ちや口の大きさなどはXYZ座標でどうにでもなるので、大手の会社がヒューマノイドを売りさばくのもありそう。個人事務所がオーダーメイドをしたり、自作するツワモノも出てくるでしょうね。この話自体は面白いし、技術の進歩を眺めるのは楽しいのですが、人間社会のいろんなものが同時にぶっ壊れていく印象もします。

 

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以降は政局おぼえがき

 

そんな中、アメリカでも日本でも法についての議論が活発になってきています。日本ではとある緊縮財政大好きな財務省トップが明らかに選挙妨害の発言を文春に寄稿したわけですし、アメリカではドミニオン(コンピューターの集計システムで、大統領選不正の騒ぎの中心のひとつ)の件が一体どうなることやら、という状態がもう半年以上続いているらしいのですから。訴訟はシステム上時間がかかります。準備にも、訴訟それ自体にも。だから共和党と民主党の勢力争いに関するアップデートに一喜一憂することは無いのですが、「へえ~」という感覚はあります。特に日本とアメリカの共通項は「もう政治は右とか左とか言ってる場合じゃないぞ!」と訴える人が出てきているということです。

 

 

来る総選挙で神奈川4区から出馬の無所属大西つねき氏しかり、先日アリゾナ州のラジオ局のとある番組に出演した前上院議員候補のShiva Ayyadurai氏 然り。この二人は暗殺でもされない限り、欺瞞の世の中を爽快に破壊するリーダーとなるでしょう。さもなくば、「なぜ私はあの時彼の話を聞かなかったのだろう。起きている波に乗り、より大きな波を創らなかったのだろう。」という後悔を味わう人が多く出てくるでしょう。

 

 

そろそろ引きこもりの若者たちが、いきなり全力を出し始める頃合いかなと思いつつ。大西氏が言っているように、次の4年後まで待てない段階まで来ているという感は確かにあります。冬のウイルス騒ぎもこのままならありそうですからね。前途多難な状況で、今月末には投開票です。

別に人間としての死、とかそういうことではなく、単純に生命活動の終わりという意味で。こんなセリフの上流にあるのはワクチンのお話です。あまりに毎日救急車の音ばかりだし、立て続けにツイッターのタイムラインに「ワクチン接種を後悔している」という投稿が流れてきたので、ぼんやりゴーセン道場を聞き流しながら、ため息と共にキーボードをたたいています。

 

本ブログエントリのタイトルは人間のAI化を揶揄する意図でつけました。AIが人間に近づいているのではない。人間がAIに近づいているのだ。この意見は新しいものではないです。養老孟司の著書をチェックしている人は、たぶん2000年に突入する前に、すでに彼がこのことについて言っていた覚えがあるでしょう。

 

僕が覚えている範囲の具体例は2つ。病院の医者と、カラオケマシン。医者は患者を見なくなった。なにを見ているかといえば、目の前のPCモニターを見ている。コレです。コレなのです。既往歴とか家族とか親戚とか、そういう個人的なことを聞かなくなった。症状を教科書に当てはめて、数字だけ見れば、患者の体に何が起こっているかは分かる。そういう感覚の医者が増えた。そうなると、オンライン診療なんて話にもなりやすい。患者の個別性を観察する感覚を持っている医者は、オンライン診療なんてあり得ないと言うでしょう。個別性というとややこしいですが、要するに個性のことであり、肉体のことです。一人一人の肉体は違うのは、見ればわかります。それは誰にもどうしようもない。親を選べないのと同じで、自分の肉体も選べません。それは個性です。そういう含みをもって、「今の医者は患者見ない。有名でしょ。」と彼は言いました。

 

もう一つのカラオケについて。これは違和感を持っている人もいるかも。カラオケの欺瞞について一家言持っている人は少ないでしょうけど。彼が言ったのはカラオケのシステムそのもののことで、BGMに合わせて人間が歌う。これに対する疑問です。昔は違いました。ギター弾きが自分の下手くそな歌に合わせてくれた、ということです。カラオケ音源はいつ再生しようがテンポは同じ。自分に合わせてなどくれません。機械にそんな機能は備わっていませんから。その代わり、自分がカラオケ音源に合わせます。ただ、これを書いている私が感じる欺瞞はそこではなくて、「おいおい、とうとう採点するとか言い出しやがったぞ」ということです。ここからは私の文句で、やり場のないいちゃもんです。なぜそんなことにケチをつけたくなるかと言うと、カラオケの採点は未成熟で、声の太さとか喉が閉まっているとか、そういうところまではきちんと見れないということを知っているからです。

 

カラオケ採点で100点を取れても、聞くに堪えない歌。こういうものを聴くと、音楽の豊かさが殺されているという気がします。コンビニにいくと、いつもゴミのようなJ-popがかかっていて困ります。音韻も無視、歌詞は雰囲気だけ先駆者の丸パクリ、語彙も最近の楽曲のコーパス頻出を選びましたと言わんばかり、音程はPCソフトで大幅修正済み、収録時間3時間。以上終わり。予算ないからしょうがない。そういう楽曲に対して感じる薄っぺらさと、カラオケから垣間見える人間のAI化?は何か通じるところがある気がしてならないのです。これを考え続けると、ひとまず日本の直近30年のデフレを批判して財務省を責めようとかいうことになりかねないので、ここらで切りますが。「ああ、ウチの業界も金がないから豊かさなんてもう残ってないよ。あるパイを奪い合う椅子取りゲームなんだから。人間の活動なんてそんなもんよ」とか言われると、私のため息が増えます。それはどうにかできる問題らしいということを知ると、変なため息が出るようになる。

 

私はシステムの一部ではない!私を勝手に歯車として数えないでくれ!勝手にやらせてくれ!私はマシンではない!・・・声に出せば、こういうことかもしれません。人間は所詮、限られた選択肢に自由を担保されているだけのものに過ぎず、憲法に自由を保証されたって糞の役にも立たないね、というため息。選択肢が限られている時点で、それは自由ではありません。それに問題提起して変えようという動きを、政治と呼びます。

 

私はこの糸が切れないように、張ったり緩めたりを繰り返す。張り詰めた糸には意思があるでしょうか?「たぶんこれ以上張れば切れるな。で、切れたら一切が終わりだろうな」と考えるでしょうか?

 

これに耐えられなくなるとシステムに迎合しだすのだろうなと怯え、しかしシステムの中も地獄だぞ、と恐れるのです。壊すべきシステムは何でしょう?守るべきシステムは何でしょう?

LINEでのやり取りです。

 

 

 In China, 95% of boys don't have a car or a house,100% can't find a girlfriend,Because no one's family wants their daughter to be wronged,
So men must have a house and a car is the biggest dependence,

 

ちょっと飛躍してないかとは思いますが。

あと英語の文法が怪しいので、正確な要旨がつかみかねますが。

 

とりあえず中国の95%の男性は車も家も所有していなく、100%がガールフレンドがいな...い...? おいおいそんなことあるかよ、と小一時間。たぶん財産のない95%の男性は、全員ガールフレンドがいないという意図だろうと解釈してみます。すると、別にわからない理屈ではない。「お前のような奴に娘はやれん!」という状況が凄まじく多いのだろうと思います。鵜呑みにするのは危険ですけど、中国の格差を如実に表している生の声だと感じました。この場合の格差とは貧富の差です。

 

共産党一党独裁の中国がもしここで言われているような状況なら、易姓革命ばりのヤバい暴動が起きても不思議じゃないですね。私が独裁者なら戦々恐々としているでしょう。いつ民衆に殺されるかわかりません。あっちは選挙もないし。

 

うーん、中国恐るべし。

こちら”ワクチン接種が進む中における日常生活の回復に向けた特設サイト”に書いたものです。

 

 

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ワクチン接種の拡充は一切おやめください。理由は、ワクチンは健康を害するものであり、人間に備わる自然免疫を無視したものであるためです。百害あって一利なしです。

前提として、今回の新型コロナウイルス感染症と言われるものは存在の証明がなく、従来のコロナウイルス=風邪やインフルエンザと何が違うのか厚労省のHPを見ても不明です。にもかかわらず、武漢の研究所が提出した遺伝子配列をもとに今回のワクチンが作られ、先進国を中心に広まりました。各国政府やマスコミはあらゆる媒体を使い、そのようなものの広報に勤しんでいます。私は政府のこのような動きには反対します。むしろ、ワクチンの危険性を嘘偽りなくすべて公にし、国民に正しい情報を提供するべきです。

人類史上初の遺伝子ワクチンの安全性は限定的に分かっているのみで、長期的な人体への影響は不明であり、誰も知りません。私はこの2か月ほど救急車の出動が異常に増えていると感じ、以来毎日数えています。9月いっぱいで平均4台以上、一日あたり出動しています。私の住んでいる地域は、普通は月に一度も救急車など聞こえてきません。これが政府のやりたかったことなのでしょうか?日本は国内の薬害の歴史から何も学ばないのでしょうか?

国内の接種後死者・重篤者の数は因果関係の設定方法を含め、製薬会社に有利な条件が多数付いているため、単純にワクチン接種後に突然体調を悪くした人の最大数が把握できないようなカウントの仕方になっており、それを許している日本政府への不信感を拭えきれません。現実を見ればワクチンは病気の素であり、国の予算で購入すること自体がおかしいです。即刻おやめください。



ワクチン接種の拡充は一切おやめください。

 

 

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気づいた人がゴミを拾う世の中です。

全てのワクチンは病気の素です。

正直疲れていますが、やれることはやります。

降りかかる火の粉は払いましょう。

 

出なければ、子どもたちに申し訳が立ちません。

今回は、私はジョークのつもりでこの短いメモのような記事を書いていますが、案外、総理は無意識に頭の中の情報を吐き出してしまったんじゃないか、と20%くらいは思っています。

 

24:45から「新型コロナウイルスの接種にご協力いただいている」とはっきりご発言

 

確かにアメリカでは、デルタ株の流行はワクチン接種が原因だったのではないかという疑念が爆発中です。今年2021年7月に、CDCは「年内にPCR検査は緊急承認の検査としての採用をやめます」と言っています。

 

 

このCDCの方向転換はかなり衝撃的でした。あるクリニックはこのような声明も出しています。

↓のリンク先には該当のCDCサイトへのリンクもあるので、ご活用ください。

 

直接CDCの発表をご覧になりたい方はこちら↓

 

 

 

本記事の頭を読んで、また陰謀論か...と思ったあなた、ワクチン不要論という書籍をお読みになったら、そんな余裕(か、はたまたセンメルヴェイス反射か)はなくなるでしょう。

 

 

私としては、陰謀論で話が終わるなら万々歳です。しかし現実は今回のmRNAワクチンだけでなく、風疹や小児麻痺、日本脳炎ワクチンなどの、日本でポピュラーなワクチンたちは、効果が実証されていないばかりか、微量の金属をはじめとする有毒物質が添加されており、効かないどころか人体に毒なのです。

 

↑の、実証されていない というのもかなりソフトな表現です。思い切って言えば、ワクチンはことごとく詐欺でした、ということです。でも・・・健康増進の効果はない、というよりも「単に有害」なので、もう最悪です。

 

事実としてとあるワクチンは、その予防効果が期待される病気が99%収束してから普及しだした経緯があります。収束してからワクチンを普及させて、特定の始点と終点を設定すれば、論理的には「ワクチンの前はこれだけ流行していた○○が、ワクチン後は99%収まったぞ!」と言うことができるのです。

 

↓のワクチン不要論には、その時間軸を明確にしたグラフや、その他の詐欺のあらましがよ~くまとまっています。2018年5月20日に初版が出ていますが、まるで今回のインフォデミックを予言していたかのような「ワクチン普及あるある」もチラホラ。最初は、ワクチンには感染を予防する効果があるぞ、と言っておいて、後からしれっといやいや、重症化を防ぐ効果はありますが、感染は防げませんよ、と言い出すとかね。もう何度もやりつくされた手口なんだって。著者はお子さんが小さい頃にワクチン打ってたんですが、周りからワクチンの無意味さや、その有害事象について聞いたことをきっかけに、血相かえて調べたんだそうな。そしたら出てくる出てくる。懺悔の書でもあるらしいですよ。

 

 

 

 

 

 

 

友人がオーストラリアに住んでいます。

なので、こういう動画が回ってくると心配になります。

 

 

過去のエントリでダメリカとかなんとか、アメリカを揶揄した私ですが

本質は人間自身であって、人間が集団化したときの性質の問題だと考えます

人間を自然物ととらえた時、差別や暴力は人間の本質だと捉えることが可能です

 

牛は草を、何度も反芻して消化します。

人間は差別をすることで、同じ人間を社会的/肉体的に殺します。

 

ねっ、同じことでしょ(困惑)

 

↑が極論に見える人の方が多いと思いますが、否定できる人は少ないでしょう。「認めたくない!」という人もまた、多いと思います。それは人の好みでいいと思うのですが、私は極論だとは思いません。帰納的に考えているだけです。そうですよね?

 


↓「ソーシャル・ディスタンスの実践による反対運動であっても豪では違法だ。マスクをしていないという理由で、女性が警察に連行された」

 

JeffMGさん

「Covidが私たちの肉体に及ぼしたことより、社会に及ぼした影響の方が、私は余程心配だ。」

 

とか

Janny Womanさん

「この実態がOKだと思う人は、歴史を踏まえて「魔物どものターゲットがどのように拡大するのか」を考えるべき。魔物たちの一員になろうとしない限り、あなたもそのターゲット・リストに加えられるし、さもなくば世を忍んで隠れ住むことになる」

 

とか。

 

Silverさん

「何度でもいうが、6人がかりで1人を逮捕だ。なんかおかしいだろ。」

Christopher michaelさん(アンチ銃規制)

「当然のことなんだからごちゃごちゃ抜かすな!銃規制しやがって、結果が地元住民の逮捕じゃないか」

ツイートのためにオーストラリアの差別について簡単にググったあと、このブログ記事を書こうと思い当たりました。

私はアンチマスコミ的な立ち位置ですが、市民レベルがマスコミの圧倒的物量を「自分で調べて自分一人でも行動する」によって超えないことには、日本のお先は真っ暗だと考えています。もう私のような素人でも、そういう実感があります。ご覧になってる貴方も、そうですよね?

養老孟司の名前を数日前に出したところ、newspicksに養老孟司が呼ばれていた。

 

 

↑の内容は濃くない。養老孟司の発信する情報は本が良いですね。この先生は科学者の中の科学者という感じの人。偏見が全く無い。そういえば数学者の藤原正彦も彼と同世代。大東亜戦争の直前に生まれ、小学生ごろに戦争を体験した先輩たちです。

 

 

ひとつ。AIが人間に近づいていくのではなくて、人間がAIになっていくという意見をだいぶ前から言っていた。最近の例ではカラオケへの言及。でも医者が患者の顔を見ないという指摘を、さらに前からしているので、人間のAI化は氏の中ではずっと観測してきた現象なのだろう。

 

 

それから、タイトルにも書いた「一億総他人任せ社会」について。実は「専門家にただ従う」「私の専門分野ではありませんので」の状態は日本だけでない。何か月か前に、アメリカの医師のネット対談でこの話が出ていた。養老氏の指摘するとおり、学問が根本的にはこのような言い訳を大量生産している。専門家任せ社会だ。とある感染症学の専門家と微生物学・精神医学の専門家が対談して出した結論は「素人は専門家の言うことを鵜呑みにするな」。

 

 

そのネット対談の動画はすぐには見つからなさそう

いま探したら同じ二人の動画で、かつ日本字幕がつけられていたものを見つけたので共有します。

私が見たものは字幕なしで、最初にCowanが今回のパンデミックについて見解を述べ、はっきりと「専門家に任せないで」という発言をしていたものです。で、彼のイントロダクションのあとにKauffmanが話し、トピック毎に説明できる方が喋る、という体裁のものでした。この二人は何度も対談しているので、探すのが大変です。

 

 

 

 

他人任せ社会は混乱に対して耐性を持たない。それが結論のような気がします。別に科学を絶対視しようというわけではないが、「常識的に考えて」、自分で納得いってないものを美しくラッピングして他人に提供するのはおかしい。私の言いたいことはこれだけです。その美しい偽装工作は、見る人が見ればニセモノだとわかるから、ということを私は感じていたから上に挙げてきたようなことが、すんなり入ってきたのでしょう。

 

他人任せ(専門家任せ)と偽装間に合わせ工作の弊害については、前職のコミット型英会話スクールで勤めていた時に感じていたことです。人狼というゲームにはまりだした絶頂期でもあります。どちらも「相手に信頼させるにはどうするか」を考えることが必要な営みで、これに対しての私の答えは「自分が納得できていることだけを発言しろ」です。説明しだすと長いので端折ります。私自身が毎日勉強して、かつ自分の体で勉強したことを試す。正しいやり方で一定期間試す。そして結果を評価する。同一コンセプトの異なるメソッドを統合する。これだけやっていれば十分なんでも上達するし、困ることはありません。やってるうちに自分の実力も感覚でわかってくるので、無理なことは無理とわかる。「いまの自分には手が届きません」「今していることで精一杯です」と他人に素直に、しかし明確な根拠をもって言える。それはやってるからです。

 

 

最初の動画の内容「濃くない」とだけ言うのだとアンフェアなので、薄っぺらな動画ではなく、内容が濃い方のメディアを載せておきます。後半3本の唯脳論・バカの壁・無思想の発見(古い)は必読です。私はそう思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

顔が見える近所のおっさんとかコンビニのおねえちゃんとか、そういう人をなんとなく信用できそうだと思うのは、自分の感覚を使って行う判断だ。

一方、学校とか行政とか国家を信用できそうという感覚は、私の中には無い。実体が存在しないから当たり前だ。それに近いものがあるとすれば、教師や役人と話したり、彼らの仕事ぶりを見て、確かめた時だけ。集合体は信用しないという前提から入る。それくらいの注意深さは備えているつもりだ。

 

 

学校の感染対策が過剰だとして、文句を言っている人をTWで見かける。こういう人は暇な癖に無責任だと思う。私なら子どもを学校に預けるという判断は恐らくしない。学校が愚民化政策のもとに運営されていることを散々感じているからだ。もしするのだとしても、授業の時間はあらかじめ学習範囲を終わらせさせて、自分の好きな本を隠れて読んでなさいとか、学校で勉強するとバカになるから、お友達をたくさん作りなさいとか、冗談めかしてそういう要らない指示をしてしまいそうである。最も、それまでにかなり、各教科の要点やペースを把握するための調査をするだろう。といっても私の手元には多数の大学入試データが参考書ベースでそろっているから(かなり手の込んだ捜査を過去に行った)、子どもが大学教育を受けたいという意思表明をする可能性を念頭に置きつつ、原則として家庭教育を施すだろう。当然それが可能な収入源を確保したうえで。

 

どうも学校を「無条件に正しい」と考えている人が多い。多いというか、ほとんどはそうだ。しかしこれは「自分の子どものことだけ考える親」にとってはとてもありがたい話だ。文科省のHPに行ってカリキュラムをまとめ、戦後から今までの教育学者の著作と現行のカリキュラムを突き合わせればよくわかるが、現行の義務教育カリキュラムは、一言でいうと「子どもの才能を壊すシステム」以外の何物でもない。まず漢字を習得させない。そして自然科も社会科も身に着けさせない。日本語が読めなければ国語はもちろん、国語以外の教科も伸びないから当然だ。この手の親は、日本の歴史には一切興味がない。自分の行動が社会を作っていることも、認識していない。そんなの本人の趣味だろ、と言われれば「そうだ」という他ない。ただ、自分は社会の一員として行動しない癖に、他人=学校には文句を言っているのだから、わがままな人だなぁ、とは思う。

 

顔が見えない集団の典型が学校や国家なのだが、それを認識して大人たちは「公営託児所」に今日も子どもたちを通わせているのだろうか?たぶんそうなんだろう。ちょっと信じられない、と思う自分がいることもまた、なんだか遠いところに来てしまったという気がしている。

 

今日はこの辺で!

実力という言葉があります。

 

検索すると、「実際に持っている力量」と出てきました。

 

 

「自分がある」と思っていると

実力UPの妨げになる場合があります

「私はこのような人間でなければならない」

という思い込み。

 

私なんてもの、やはり自然界には存在しません

だって私というのは固有名詞ではないですから

代名詞です

 

従って私が私というときと

あなたが私というとき

それらが意味している対象物は

それぞれ全く異なるものです

当然ですが。

 

 

便宜的に私と言っているだけで

実際のところ、私がなにかということ自体

まったく訳が分からないものです

 

 

極端な話でもなんでもなく

聴覚言語は筋肉の運動が出力する

ただの音であって

 

えー、とか あー、とか

そういう音声言語の

意味があるかどうか微妙なものと区別できていること自体

相当に高度なことをやっている証明です

 

日本語を操れるだけでも

相当に知的なことをやっているのです。私たちは。

 

 

そして知的であるということは

ウソをウソと思わず、役に立つウソだと

そう自分に言い聞かせる力です

もしくは、目的がはっきりあるので

ウソかどうかすらどうでもよくて

必要だから身に着けるんだ、という

一種の思考停止ができるということです

 

 

 

 

「自分探し」という言葉も大変流行しましたが

そういう実利を認識しだすと

つまり「嘘も方便」ということを理解しだすと

「自分なんかあったって苦労するだけだろ」という

養老孟司みたいなことを言い出しますw

 

 

ということで

以前のブログ記事から続く、「でっちあげシリーズ」第三弾です。

 

 

みなさん自分があると思っているから

英語ができるようにならんのです

 

 

今回はそういう話です

 

 

ツイッターより

 

 

「打つな」と言ったから打ったんであって

 

「私はお母さんが心配です。もしもワクチンが私のいうように有害だとしたら、何が疑問ですか。お母さんのために勉強し、必ず調べて答えます。それくらいお母さんが心配なのです」

 

ワクチンに限らず

男女関係のこじれも

こういう工夫ができるかどうかで違う

 

 

私の意見です

 

 

ゲームと共に生きてきた世代は

スイッチひとつで意思決定をすることに慣れています

いつものように乱暴に考えて、

ファミコン以降の世代はこの傾向があると

仮定しましょう。私ももちろんその世代です。

 

 

「打つな」と一言。

我が子に一喝されるのと

 

なぜ打ってほしくないのか、どのように心配なのか。

あなたは私にとって、なぜ「打ってほしくない存在なのか」を

丁寧に心を使って説明されるのとでは

印象が全く異なります。誰でもわかってることですよね

 

 

 

この場合、この方はどうして両親にワクチンを打たないように言ったのでしょう?

 

新型コロナ騒動のおかしさに気づいている偏差値の高い自分に酔うためでしょうか?それともSNSに、結果はどうあれ自分が正しいことをしたということを投稿して、不特定多数の誰かに褒めてもらうためでしょうか?あるいは、頭ごなしにしかりつけるような真似をして、両親に本当はワクチンを打たせたかったのでしょうか?

 

ずいぶん穿った考え方をするな、と思った方もおられるでしょう。しかし、自分が本当に相手を説得したい場合。相手にワクチンを打たせないことを一番に考えることができていたら、雑に「打つな」とだけは言わないはずです。

 

説得を最優先にするということは、自分の都合なんか100%後回しです。どれだけ自分が下にみられようとも、とにかく相手の行動を変えなければ「負け」です。相手を言いくるめて行動を変えさせることができれば「勝ち」です。つまり、自分が勝つためには、自分の都合や見栄えというのは、最も邪魔なものの有力候補と言えます。

 

 

これが学習には広く当てはまります

自分があっては自分のためにはならないのです

言い換えれば、自分というものを高く見積もることの害ですね

自分を神様だと思っていると、何からも学ぶことができません

 

 

偉そうに「金払ってんだから俺の言うこと聞け」という人のコンサルを私が秒で拒否するのは、こういう信条が経験的にあるためです。拒否の際は「もっと絶望してクソ教材に騙されて金と時間を無駄にしてから俺のところに来い、クソ野郎」と思いながら、丁重にお断りしています。

 

 

 

葉隠にこんなフレーズがあります。

 

毎朝毎夕、改めては死に死に、常住死身になりて居る時は、武道に自由を得、一生落度なく、家職を仕果すべきなり。

 

 

 

 

朝の行水、夕の行水の度に、明日の戦場や不意の襲撃で死ぬことになるという覚悟を毎日決める。覚悟の状態になると、戦いは思いのままに、無欠の戦いぶりで死の瞬間まで活躍でき、仕事を全うできる。

 

だいたいこんな意味で解釈されます

この葉隠で描かれた戦国時代は

まさにその日の朝に死ぬ覚悟を決めることが当然でした

 

 

ということで、男性のお化粧はこの時代では当然で、むしろ名のある武将ほど、念入りに化粧をするくらいのものです。この理由は単純です。戦功をあげた時には相手の首を持って帰らなければ手柄の証明ができないので、戦の前は化粧で美しく顔を整え、死顔が相手方の殿様や武将たちにさらされた時にも、名誉のために美しくなければ、将として恥ずかしいという意識があったからです。

 

 

何かやるときは、覚悟が決められるかを考えます

ホンモノの覚悟を決められるときは、5秒も必要ありません

瞬間的に「やるべきだ!」と思えるはずですから

その瞬間に私がどう、自分がどうなんて

頭でごちゃごちゃ考えませんね

 

 

ごちゃごちゃ考えて英語の習得を試みて

時間も金も無駄にしていると思っている人は

それほどいないと思いますが

きっと、そんな人は英語を必要としていません

現に、スペイン語やロシア語を必要としていないでしょう?

 

 

 

それでは今回はこの辺で!

本業のことについてはある程度書き切っているので

本来は英語力を付ける前に必要な考える材料を、ブログを通じて発信していきます。

 

今回取り上げるのはこの動画です

 

 

 

別に私は数十人の女性と恋愛してきたわけではないのですが、結婚という社会制度が人間を幸せにすることは、長期的にはほとんどの場合無いだろうという直感が、私にはありました。結婚信者の方はどうか気を悪くなさらないでくださいね。私はこういう意見だ、というだけですから。

 

今回主張したいことはこういうことです。

 

1.不倫という言葉は、不当な思い込みによる暴力の言葉だ

2.同時に、多様性という概念と真正面から衝突する言葉だ

3.不倫という言葉は人を意図的に不幸せにする言葉だ

 

 

メディアが大好きな「不倫」という言葉は、他人を責め、感情的かつ暴力的に、社会集団から気に入らない人間を排除するための言葉です。

不倫が糾弾されるのは社会的責任に反するとか、公序良俗に反するということが理由とされます。ところがそもそも、社会という言葉も多くの言葉と同じ、でっち上げです。自然界に社会というものを観察できて、それを社会と名付けたわけではありません。人々の様々な規模の集団や土地や資源が絡み合って現れる、集団生活という運動に社会と名付けているだけだからです。子どもが「あれなあに?」と指さして、それがどんなものだったとしても、大人は「あれはね、社会というんだよ」とは答えません。神と同じです。存在しない社会を錦の御旗にして、他人の行動を「お前は私の所有物だから、それはルール違反だ」と縛る。それが多くの場合の不倫という言葉の実状だと思います。

 

結婚の責任とはなんでしょうか?以前ジェンダー専攻であるアメリカの大学院に通っていた同期に「結婚て何ですか」、と聞いたことがあります。休憩中の雑談です。その人は単純明快に、「結婚というのは、社会的な契約のことだよ」と答えたのです。

 

「ふむ、なるほど。結婚とは社会的契約なのだな。だから契約違反をすると、罰が与えられるということになるわけか」と私は納得しました。不倫は民事で600万程度の慰謝料請求が起こることがザラだそうです。あれは契約違反料なのですね。

 

学部生の時に聞いたサルトルとボーヴォワールの話を覚えていた私は、彼らの夫婦関係の顛末について言及しました。サルトルとボーヴォワールはお互いの浮気に寛容であろう、嫉妬しないで自由な異性関係を交際中にもお互いに保証しよう、という約束をした二人です。どちらも相当な切れ者で、人文系の学生で彼らを知らぬものはおりません。学部生の時、哲学の先生が楽しそうにこの2人のお話をしてくださいました。さて↑の約束、結果的には、女性のボーヴォワールがどうにも耐えられなくなったとのことです。

 

話を戻しましょう。結婚の定義とは社会的な契約の一形態のことだ、とすると、結婚の責任とは要するに契約書に書かれた禁止事項に違反しないことです。となれば、当事者がどんな契約を締結するかが本質的な問題であり、他人や司法の判断が必要なものでは元々なさそうに見えます。そうであるならば、原理的にはほとんどが「めんどくさいから」「社会ではそうなっているらしいから」という理由で、不倫が民事裁判になるのです。自分の人生を適当に送ってきた当事者同士が「自分に責任はない」と何らかの理由で証明したいがために、不倫という作り物の概念を都合よく持ち出して、利益を得るのです。自分たちであらかじめルールを創らないから、後で利益不利益のために争うことになるのです。

 

 

 

上で言及した「自然界に存在しない」というモノの捉え方は、こちらのエントリでも扱いました。←では、神は自然界に存在しないということでした。

 

 

社会というものを想定して、様々な仕組みを作ってきた人間。ポリコレ棒を振りかざすという表現が以前ネットの一部で流行しました。本質的には、不倫という概念はポリコレやモラハラです。特定の価値観を他人に押し付け、不利益を受けさせたり、自分が利益を得るための言葉です。

 

否定的なニュアンスで不倫という言葉が成立するためには、不倫がネガティブな現象として観察可能でなければなりません。でも、不倫が機能している家庭ってありませんか?例えば

 

「夫は妻に性的な魅力を感じなくなったためにホステス通いを始めたが、妻も習い事で気になる男性と関係を持つことを正当化する材料が手に入った。二人は子どもを愛しており、夫婦間にお互いへの尊敬はあるが、性的には満たされない状態が続いていた。お互いに言葉にはしないが、夫婦間の外に二人共異性との継続的な関係があり、家庭や仕事にはその関係がプラスに作用している」

 

と、いうような。どこかで聞いたような話だ、という方は多いと思います。笑 実際、マンツーマン指導の仕事は不倫の実例を聴くのに困りません。その経験から、チンパンジーが乱交社会であるように、人間も本質的に乱交社会であると私は感じています。不倫は絶対悪では有り得ないのです。

 

 

人間はウソを使いこなすサルです。人間は嘘つきか不誠実かのどちらかです。言葉という制約が、究極的には人間をそのどちらかに分類します。それが言葉の限界です。人間はそれに対して見て見ぬふりをしながら今日までやり過ごしてきていますが、実際には植民地支配的・キリスト教的思想が日本の司法や人権を堂々と形作っているので、欺瞞に満ちた毎日の生活を余儀なくされる人々が後を絶ちません。悲しいことです。私は人間が低俗だとは思いません。言葉の限界が肉体に間接的に作用する現実が、見えているだけです。

 

 

キリスト教は所有や契約といった、権利の衝突を引き起こしやすい倫理体系です。とはいえ、突き詰めて考えると争いや衝突が悪かと言われれば、これも判別がつきません。戦争状態では人を多く殺したものが英雄であり、平和な時は腹いせに他人をぶん殴ると逮捕されます。つまり、場面に応じて行動の正当・不当を人間が都合よくでっちあげ、「今は平和だからお前有罪」、とやっているのです。

 

 

このような仕組みが根本的にある以上、いざという時には、決定権を持つ人が「自分の所属する集団が保存可能ならばあとはどうなっても知らん」と思えば、その他大勢は終わりです。さて、戦争状態で多く人を殺せ、という模範解答は誰が作ったのでしょうか?それが正当なのは真実でしょうか?

 

 

pollitically correct は直訳で 政治的には正しい という意味です。当たり前のことですが、国家や国土、国民という制約がある以上、正しい政治というものは原理的に存在しません。強いて言えば、国民全員が「政治のおかげで10年前より幸せになった」と言えば、それは正しい政治が存在するということになり得るかもしれませんが、ちょっと再現するのには無理がありますね。

 

 

この大西さんの意見は自然科学的だと感じます。私は昔よりも自然科学的なものの見方をするようになったので、彼の意見が自分なりに理解できるようになったのでしょう。自然科学的というのは、この場合は「人間は不倫して当たり前。だってそれが現実だから」という出発点が初めにあって、そこから「じゃあどのように考えれば、不幸せが減るだろうか」という道を往くことです。実際に観察できる現実があらかじめあって、それをあくまで現実的に調整して多くの人の幸せに貢献しようという考え方だと思います。自然界にある赤いリンゴを出発点として、煮詰めたらおいしかったのでこれをジャムと呼ぶことにしよう、というのと同じです。誰がどうみてもリンゴは赤い。それを出発点にしようということです。ほっといたら人間は不倫をする。それが現実だ。ならば不倫という言葉がネガティブな意味合いで他人を糾弾したり、自分の利益になるよう、他人を不幸にしてでも利用するのに使われるのは「まとも」だろうか?と、こういうことです。

 

 

 

 

 

今日はこのへんで。また次回!