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列車を乗り換え、北欧 フィンランド・スウェーデンに入ると、一気に物価が高くなった。
列車の中の食堂では、ソ連に比べて十倍くらいの食費が必要になった。

列車を途中下車して、地元のレストランに入ろうとしたが、「カラード、ノー」と言われ、中に入れて貰えなかった。
カラードという意味が分からなくて、書いてもらって英和辞典で意味を調べてみると、「有色人種」という意味だと分かった。

日本人が有色人種だという事を、その時  初めて知った。
有色人種とは、黒人の事だと思っていた。

レストランに入れて貰えなかった時、イエローとも言われていた事を想い出した。

イエロー?
黄色?
私の肌の事?
そういえば、日本人は黄色人種だと聞いた事がある。

そう言われて、街を歩く人の肌を見ると、真っ白だ。
自分の腕を眺めると、ホントだ、確かに黄色い。

ほとんどの人がもの凄く背が高く、街が香水くさくて気持ちが悪くなってきた。
すごく清潔な街ではあったけれど、とてもよそよそしく刺々しいと感じた。
ここに、私の居場所はない。


肌の色で差別されるという経験を初めてして、その国が大嫌いになった。
ユーラシア大陸の広さを体感するという目的は既に達成したので、早々に北欧を列車で通り過ぎ、フランスへ辿り着いた。
...

パリの街には アジア系やアフリカ系・アラブ系等いろんな人種の人が入り乱れて歩いていたので、ホッとした。
ここならカラードの私でも入る事ができるレストランがあるに違いない。

パリも香水くさかったけれど慣れてきたのか、自分と同じ黄色い肌の人やもっと黒い肌の色の人がたくさんいるのを見て安心したせいか、気持ち悪さは感じなかった。

この街で少しのんびりしながら、今後の旅の予定を立てようと思い、パリのサンジェルマン近くのベトナム人がたくさん住んでいるエリアに、安い宿を見つけ、三ヶ月ほど滞在した。
その宿に何年も住み着いている人が何人もいた。


フランス語を聞くと一体どうやってあんな音を発音する事が出来るのだろうと感心するばかりで、朝夕の挨拶と簡単な買い物をするだけの単語しか知らなかった。
詳しい話になると、辞書やイラストを使ったりもしたが、表情や四肢を駆使して訴えた方が確実に伝わった。

日本語を使わず、曜日や時間や、これはこうしなくてはいけないとか、こんな事をしたら他人に笑われてしまうという常識や社会通念等のややこしいモノを忘れて生活するうちに、惚けてしまって日本語や当たり前の事、例えば曜日の順番の様な事まで殆ど忘れてしまった。
モノを感じる力だけが強くなり、日本にいた時なら見過ごしてしまった様な些細な事に喜んだり、驚いたり、感動する様になった。


朝はカフェオレとクロワッサンとパンデレザン(葡萄パン)を食べ、昼間は毎日セーヌ川沿いを散歩して、オペラ座まで行き、中華レストランで定食を食べた。
夜はホテルの部屋の中で、空き缶とホワイトガソリンストーブを使ってカレーを作り、パンと一緒に食べていた。


パン屋のおじさんは、「クロワッサン、ツー」と言って、指を二本立てて注文すると、たぶん「俺は英語が分からないんだ」みたいな事を一人言みたいに呟いて無視をするので、「ドゥー」と言いなおすと、はぁ?という感じで肩をすくめ、たぶん「お前の発音は悪すぎて良く分からないけど、仕方ないから売ってやるぜ」みたいな事をブツブツ言いながら、不機嫌にパンを袋に入れて寄越してくれた。

その不毛な やり取りは毎日の様に続いたが、他の店に行っても似たようなものだった。

いくら英語は知らないと言っても「ツー」位、意味はわかっている筈なのに、意地悪だなぁと思った。
日本人なら田舎のおばあちゃんでも、指で2を表していれば、二回目からは「はいはい、ツー(二個)ね!」と、意味をくんでくれるのにと思った。

後に親しくなった、日本人女性とフランス人男性の夫婦にその話をすると、「あー、それはワザとだね。イギリスや英語や外国人が嫌いな人がたくさんいる。移民が多すぎて嫌気がさしているんだ」と教えてくれた。
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パリに住んでいた時、1ドルが二百数十円から、百数十円になった事があった。
日本を出国する前、海外で日本円を使う事が出来る事を知らなかった私は、貯金したお金で買えるだけ、アメリカドルのトラベラーズチェックを買って持っていた。

1ドルが日本円で百円ほど変動したら、私は果たして得をしたのか損をしたのか、しばらく考えてもよく分からなかった。

読売新聞パリ支局の日本人記者に訊ねてみると、私は百万円以上 損をしている事が分かった。

彼はとても分かりやすく、私に説明してくれた。
「たとえば、1000円でドルを買う場合、1ドル250円だとすると、4ドル分 買えます。
もし1ドルが150円だとすると、約7ドル分ほど ドルを買う事が出来ます。
まちこさんがもし、日本円でお金を持ってきていたら、1000円につき、約7ドル分であったものが、4ドルになってしまっているのだから、残念ながらかなり損をしていますね」と。

お金を買って損をする事があるなんて、想像した事もなかったので、私はもの凄くビックリ仰天したのである。
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海外での異邦人生活にも慣れ、そろそろバイクの旅に出ようと思い、ベルサイユでHONDAのモトクロスバイクを見つけて二十万円ほどで購入しようと思った。

バイク屋のお兄さんが「マドモアゼル、これからどこへ行くの?」と訊くので、持っていた世界地図を見せながら、「ユーラシア大陸を東に向かって、バイクで走って横断したい」と答えた。

「寒いよ!想像できないほど寒いんだ。絶対に君は死ぬよ。飛んでいるハトが凍って落ちてくるほど寒いんだよ。」
とお兄さんが本気で止めてくれたので、バイクを買うのをやめて、春になるのを待つ事にした。
いま考えると恐ろしいほど、行き当たりバッタリの旅と性格である。


晩秋のフランスは日増しに寒くなってきたので、南へ行こうと思った。
パリで映画「マッドマックス」を観て、オーストラリアへ行きたいと思った。
英語を話すキリスト教圏だから、比較的過ごしやすいのではないかと考えた。


オーストラリア大使館にビザを貰いに行くと、派手な色合いのボロボロの格好をしていたせいか「お前はジプシーだろう」と言われ、全く取り合って貰えなかった。

その帰り道に偶然通りかかったブラジル大使館に立ち寄ると、とてもフレンドリーで、笑顔でビザを発行してくれた。
...


1985年11月21日 リオデジャネイロ行きの飛行機に乗った。

その頃は、アマゾン河がアフリカにあると思っていたし、ブラジルで使われていた言葉・ポルトガル語は、「コモエスタ」 ・「セニョール」(男性)・「セニョリータ」(女性)しか知らなかった。
当時カラオケで流行っていた「コモエスタ赤坂」の歌詞の一節である。