火田詮子さんの息子さんからの案内+αです。
故:海上眞由美(芸名:火田詮子)さん
通夜:5月15日(水) 19:00より
葬儀式:5月16日(木) 10:00〜11:00
喪主:海上弓彦さん
式場:「平安会館 今池斎場」
〒464−0075 愛知県名古屋市千種区内山1丁目19−22 
tel: 052-735-8871  
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5/8(水)名古屋の自宅にてクモ膜下出血で倒れ、病院に搬送され手術を行いましたが、5/13(月)13:13に病院にて息を引き取られたそうです。
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まゆみさん(火田詮子さん)とは、数歳しか年齢は違いませんが、19歳の時に芝居を始めた私に、まるで母親の様に優しく、時には厳しく叱ってくれました。

名古屋・大須の七ツ寺共同スタジオで、劇団 TPO☆師団の仲間と集まって、百円か二百円位ずつ出して、食材を買ってきて、皆で夕ご飯を作って食べてから、夜7時から10時まで芝居の稽古をしていました。
日曜日もお正月も、毎日稽古が本番(芝居の公演)がありました。
本当に楽しい毎日で、まるで去年の事の様にありありと覚えています。
嫌な思い出が一つもありません。

まゆみさんは料理と片付けがとても上手で、何十人分もの料理をテキパキと作るのを、隣で見て真似して、次は自分が炊事担当した事。

まゆみさんが主演の『寿歌』(ほぎうた)という芝居で東京公演へ皆で一緒に行った事。

下北沢で演劇団の芝居に客演した時、泊まる場所がなくて、まゆみさんの友達の家に一緒に連れてってもらった事。

北海道へバイクで旅に行った時、車で旅していた まゆみさん夫婦と合流して、大須で親しかった画家さんが滞在していたアイヌの人の家に何日か一緒に泊めてもらった事。

歌舞伎に出演した まゆみさんを観に行った時、台本の設定よりも実年齢がかなり上だったので、ストーリーが良く分からなかった!とロビーで言ったら、いつもの様に大笑いしてくれた事。

まゆみさんとの思い出は、楽しいものばかりです。
去年、劇団どくんごのテント芝居を観に行った時、聞き慣れた笑い声がしたので、そちらを見ると、まゆみさんがコミカルな動きをする役者を見て、大笑いしていました。
いかにも まゆみさんが好きそうな感じのものだったので、私も一緒に大笑いして観劇していました。

十数年前、まゆみさんはバーの中で、チェロの伴奏だけで朗読をする会を開いていて、二度ほど観に行きました。
仏典を求めてシルクロードを旅する僧侶の話だったと思います。
二十年位前、京都でコンビを組んでいた相方を呼んで、前座で 節談説法をさせて下さいとお願いしたら、させて下さった事。

まゆみさんの母校の前を通った時、桜が満開だったので写真を送ったら喜んでくれた事。

つい最近まで、いろんな場所で偶然会ったり、メールのやり取りをしていたので、まだ実感がわきません。
また、目を細めて大笑いしている まゆみさんに どこかでバッタリ会う気がします。


【女優・火田詮子さんは 母親の様な感じがする人でした】
19歳の時、〈劇団員募集〉というプガジャ(名古屋の情報誌)の広告を見て、芝居というものを一度も観た事もないのに、退屈な日常から脱出できそうな気がして、大須観音のすぐ近くにある 七ツ寺共同スタジオを訪ねました。

生まれて初めて観る、黒塗りの巨大な箱みたいな建物は、なんともいえない生まれて初めて嗅ぐ特殊な臭いがしました。
スタジオの真っ黒に塗られた壁と二階に続く階段の手すりを眺めながら、この階段を登ってしまったら異界に通じているのではないかと真剣に思い、しばらく動く事が出来ませんでした。
そして階段を怖々登り、ベニヤ板みたいな引き戸の向こうの部屋の中からテレビの音とにぎやかな笑い声が聞こえてきました。

少しだけホッとして中をのぞくと、小さなコタツの中に、十人位の人達が片足ずつ足を突っ込んでいました。
ものすごく素敵な笑顔で「どうぞどうぞ」と手招きされ、ものすごく歓迎されて部屋に入ると、その中の一人が「どうぞ」と言って、皆が少しずつ詰めてくれて、私の片足一歩くらい、コタツ「入るスペースを作ってくれました。

あの時、コタツ布団を上げてくれた時の、たくさんの人達のがブレンドされた強烈な足の臭い、三十数年たった今でも、鼻がしっかりと覚えてます。

この臭いコタツに足を突っ込んだら、もうシャバの世界に戻れなくなる様な気がしたけど、こんなに素敵な笑顔で歓迎された事はそれまでなかったので、それでもいいや!と思って、片足を突っ込んだら、ものすごくあったかかったです。

そこに、火田詮子さんと北村想さんもいました。

それから毎日、夕方になって仕事が終わるとスタジオへ行き、一人百円か二百円ずつ出して、隣の八百屋さんで食材を買って、おかずを作って、劇団員の人達と皆で一緒に夕飯を食べました。

両親がスーパーマーケットで朝早くから夜遅くまで働いていて、いつも一人でご飯を食べる事が多かったので、皆で一緒にご飯を食べるのが とても嬉しかったです。

まゆみさん(火田詮子さん)とは数歳しか歳が違いませんでしたが、まるでお母さんの様にあたたかく、そして時に厳しく叱ってくれました。
笑うと目がなくなるほど、優しい笑顔で、イヤな思い出が一つもなくて、本当に素敵な舞台役者さんで、、
またいつでもどこかでバッタリ会える気がしてなりません。

TPO☆師団は、三ヶ月間 稽古して本番(公演)をして、また翌日位から次の芝居の稽古をして、、という感じで、夢の様に楽しい日々でした。
舞台でスポットライトを浴びて、人に笑ってもらったり、拍手してもらったり、、本当に夢の様に楽しい毎日でした。

毎日365日、夜7時から10時まで芝居の稽古をして、それからすぐ近くのライブハウスELLへ、なぞなぞ商会というバンドの練習を観に行って、ライブで フランケンシュタインのなーちゃんの中の人をやったりしていました。

この記事をアップするにあたって、まゆみさんの良い写真をネットで検索して、ysht.orgさんのサイトからお借りしました。
ありがとうございます。
事後報告ですみません。
ysht.org 
http://theatre-shelf.org/diarypro/index.cgi?page=213 
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【訃報】本日5月13日1時13分、舞台女優の 火田詮子さん(本名 海上真由美さん)が亡くなりました。8日に くも膜下出血で倒れました。
お通夜15日、お葬式16日。
斎場は今池の平安会館です。

近くに可愛いおばあちゃんが住んでいた。

チヨエさんは八十半ばをすぎていた。ピンク色や可愛いものが大好きで、ショルダーバッグに小さな ふなっしーをぶら下げていた。チヨエさんは人から いろんな物をもらっては、人にいろんな物をあげていた。私にもいろんな物をくれた。網戸が外れた時は直しに行ったり、頼まれてスポーツブラを買いに行ったりもした。ずっと歳上だけど、言動が可愛くて のんびりしていて、時々せっかちで危なっかしくて、ほっておけない存在だった。

認知症が進んできたチヨエさんは、昨年末から施設や病院を転々としていた。冬季はインフルエンザ感染の恐れがあるので、面会する事が出来なかった。
チヨエさんと仲良しで、まるで姉妹の様なイクコおばあちゃんと一緒に、チヨエさんのお見舞いに行こうと約束していた。

やっと暖かくなってきた四月の初旬、痩せこけてしまった チヨエさんは、主治医の身長が高くてイケメンの先生に、お姫様だっこをされ、いろんな話をしながら、徐々に呼吸が弱くなり 息を引き取ったと、イクコさんに昨日聞いた。

「なんて幸せな最期なんだろう。まるで おとぎ話みたいだね」と、イクコさんと私は涙を流しながら、チヨエさんの話をたくさんした。

亡くなる直前に、チヨエさんは ご家族同伴で イクコさんの部屋と私の部屋を尋ねて来たと聞いた。
私は留守にしていて会えなくて残念だが、姉妹の様に長年近くに暮らしてきた イクコさんとは しばしの間、話す事が出来たという。
それは何よりも嬉しい事だ。