重苦しいタイトルですが・・・
以下に書くことは、私が考えているだけのことです。引用している事柄も正しいという保証はありません。こんなこと考えている奴がいる程度に読み飛ばしてもらえればと思います。
生きるということについて。
生物学的に生命の定義を考えると「繁殖」ということになるでしょう。
言葉を変えると自らの遺伝子を残すということになります。生物は生れ落ちた瞬間から遺伝子を残すために存在しています。身も蓋もない言い方ですがご容赦を。
もっとも単純な生命としてウィルスが挙げられます。ウィルスが生命であるかどうかは諸説あるようですが、とりあえず遺伝子をもっています。ウィルスは繁殖のためだけに存在しており、繁殖以外の時はただ存在しているだけといえます。生命の本質が遺伝子を残すことであるなら、これほど効率的な生命はないでしょう。
ここで少しだけ・・・前にも書いたことありますが、
よくDNAという言葉を聞くことがあると思います。DNAは遺伝の本質と思われている方がいると思いますが、DNAはただの物質です。デオキシリボ核酸という物質。例えるならCDやDVDと同じメディアです。それだけでは意味がありません。CDにソフトたる音楽データーが入ってこそ使用することが出来ます。遺伝子とはDNAに記録された情報、ソフトウェアになります。まあ、DNAも遺伝に無くてはならないものではありますが。
話が飛びます。
利己的な遺伝子という言葉を聞いたことはないでしょうか。
利己的な遺伝子とは1976年、イギリスの動物行動学者リチャード・ドーキンスが提唱した概念で、簡単に言えば生命の本質は遺伝子であり、私たちの個体(肉体)は遺伝子の乗り物であるという考え方です。正しいかどうかはわかりません。著書を読んだわけでもありませんし、多分難しくてわからないでしょう。私は 「そんなバカな 遺伝子と神について」竹内久美子著 を読んで知りました。竹内久美子さんは著書の中でユーモアを交えて利己的遺伝子について説明してくれています。楽しく読めますのでお薦めです。(やや誇張しすぎるという指摘もありますが)
アマゾンの回し者みたいですね(笑)
働き蜂が何故に繁殖能力がないのか。
蜂の社会は生殖能力のある1匹の女王蜂と数匹の雄蜂、そして不妊性の無数の働き蜂。
それぞれが繁殖能力を持ち子孫を残したほうが効率が良いように思えますが、遺伝子をより効率的に残すためにはこの形態のほうが良いみたいです。働き蜂は自ら子孫を残さないほうが、より効率的に自ら(働き蜂)の遺伝子を残せる・・・謎々みたいですが、効率計算がなされており確かにそのようです。ここでは割愛しますが。
生命の本質は遺伝子を後世に残すこと。
はてさて、これが全てだとすると、ちょいとばかし空しいですね。
話が飛びます。
私たちは考える存在です。
考え話す自分、考え行動する自分。私たちは生きている限り考えています。
人以外にも考える動物はいます。例えば犬、猿など。しかし、(生きるという意味で)非生産的なことを考える生物は我々だけではないでしょうか。考えることは私たち独自の能力です。
私たちは考えていることを第三者に伝えることが出来ます。
勿論動物たちも仲間に意志を伝えることが出来ます。しかしこれも我々のように正確に伝えることは出来ません。伝えることも私たち特有の能力です。
考え、情報を伝達する。これは我々だけに与えられた能力です。
生命の本質が遺伝子を伝達することであるなら、私たちの本質は考え、そして伝達すること。あるいは記録すること。考えることが私たちが新たに獲得した生きるための目的であるとは言い過ぎでしょうか。
Cogito ergo sum (コギト・エルゴ・スム )
有名なこの言葉はご存知の方も多いと思います。和訳すると 「我思う、ゆえに我あり」。
私はデカルトのこの言葉が好きです。
考えなくてもよいことまで考えようとするから疲れるのだよ・・という声が聞こえてきそうですね(笑)