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前にこういう記事を書いたんだけど、

もうちょい掘り下げようと思ったので。

 

今僕は花譜さんの「過去を喰らう」という曲をノベライズしているんだけど、

この「ロキ」もすごく好きな曲で、

どういうふうにノベライズしたか、みたいなことを考えざるを得なかった。

それからこの記事には「僕だったらどうするか」みたいな考えも含まれているから、そういうのが嫌いな方は読まないでってことで!

 

 

全然関係ないがこの歌ってみたもめっちゃ好き

 

 

 

そもそもだが「ロキ」は、「VOX AC30W」「テレキャスター」など音楽用語がいっぱい出てきてロックでロックを歌っている。(ということだと思う)。歌詞はストーリーを歌っているのではなく、音楽の周辺にある情緒にフォーカスし、そこから現代の生き方のレベルにまで広げている感じだな、と思う。「10年後にメイクは落ちてんだよ」というように、永遠に何かを訴求する曲ではないが、この今の生が繰り返し行われることを前提としているような感じもする。

二人で歌う曲だがハニーワークスのように恋愛の風味はない。サブカルと音楽に居所をもつ同じ穴のむじなが貶し合い、励まし合うような構図。

 

 

どうやら本作はみきとPさんからロキを呪いの曲として描くようにオファーがあったそう。(作者はもっとゴリゴリの音楽小説を書く気だったらしい。いやそっちも気になるんだよなァ)

そう言われたのなら、呪いの曲ロキを重要な小道具として使う他ない。「呪い」はネガティブなので、それに打ち勝つか、それを利用するか、つまりロキ自体をどうにかする話か、ロキを用いて自他の問題を解決する話か、のどちらかになると思う。

本作は前者だった。

 

 

僕はやっぱり二人で歌う、二人で貶し励ましあうっていうところから

真っ先にバディものを考えると思う。

男女or女女。

「人見知り宣言で逃げる気かboy」とあるので、人見知りなboyを主人公にするか、女性主人公に対しての対立者にすると思う。

このロックな感じ、荒っぽさみたいなものも取り入れたいので、バディはロックなキャラになるだろうな。

ちなみに本作にはめっちゃ可愛いサブカル女子が出てくるんだが、それが真のバディではなかったので、そこは解釈違いだなと思った。

続いて「信者」という言葉から、それを呪いと関連づけるだろうな、と思う。本作はある意味でゾンビ化した人間のことを信者と呼んでいたので、それはすごく面白かった。確かにゾンビは信者だよな。

「勘違いすんな 教祖はオマエだ」というところは、

人の意見に流されずに自分の軸を持て、という明らかなメッセージだと思うから、

ゾンビであることは何かしら流された結果=群としての大衆みたいなイメージを持たせて、やっぱり「情報のパンデミック」みたいな文脈にしたほうがいいのかな、とも思う。

 

「セルフィー」を決めろという歌詞がとにかく面白いので、呪い及び信者に対抗する手段はセルフィーということになるだろう。ゾンビをもっと電子的な存在と考えれば、SNSは意外なほどマリアージュがいいので、ハッシュタグで広がる電子ウイルスみたいなイメージにも繋がりそう。

その辺はいかようでも広げられそうだが、結局のところ物語をわかりやすくするために呪いの根源を「個人」に持ってくるのは見えていて、その辺が本作は潔かったな、と思う。

理由をこねくり回さないこともまた美学なり……!

 

 

まあこれくらいにしとくか……!

僕もあなたも承認欲求のゼロサムゲーム大変だけど、

コメントくれたら返すぜ!

死ぬじゃねえぞ……!!!