家族と一緒にいられる時間は短い


その時その時の時点では、不自由がいっぱいで不満もグチも溢れていても


貴重な時間はそこにあるのだから


無駄にしないほうがいいよね


と思うようになったのは


年を取ってわかったことだった




そう、いるだけで『ありがたい』となる


生きてだけで嬉しい 



何をしなくてもいい


存在しているだけで幸せ





でも数年前は、彼女は愚痴を通り越してまるで呪詛のような文句ばかりでした


それは認知症が関係していました


大きな出来事をを経て


大きなホームから


小規模多機能を備えたホームに縁して入った


幸いにもそこの水が合ったようでした


それでもすったもんだあった後


更にその姉妹施設に入ることができると


最大9人の小規模で


常に目が届き、


フィードバックがあることで


あんな難しい人が馴れている


本人はあまりわかっていなくても


身体からおだやかになったのです。




大きな施設で個室にいた頃は


猜疑心が強くなっていき

「〜〜はだめですよ」というとひどく拒否反応を示して

怒り出してしまうとどうにもならなかった


そんなあの人が


おとなしくなっただけでなく

ぎこちないながらも笑顔が見えるになって


そういえば気づいたのは


骨折して大きく曲がっていた背中が


いつのまにか

まっすぐになっていることに気づいたのです




認知症介護は自宅では無理であること


大きな施設より


家庭のように目が届くところ

が必要なのだということ



介護に美辞麗句のような言葉は要らない


誠実さは言葉ではなく行動そのものにしかないということ