BGM | Born Again

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プレイしたゲームの感想・備忘録などを書いています。不定期更新中。当ブログの記事内容・URLのリンク転載については固くお断り致します。



昨日は10月1日でしたが、「10月1日!」とフッと思い出して、『1』のHD版の1章の回想のムービーを見てました。


「10月1日」と聞いて「=龍1」という感じでパッと出てくる人は立派な龍如病だと思います(笑)


『龍が如く1』のドアタマの、セレナ~堂島殺しのくだりが、ちょうど1995年10月1日の出来事で、それがパッと思い浮かんだ訳です(・∀・)


別の言い方では、“堂島組長の命日”とも言える訳で、去年もそんなこと書いた気がしますが(^_^;)


龍が如くの時系列って、基本的にゲームの発売時期と一緒なので、12月と3月以外のイベントで、なおかつ日付がちゃんと明示されてるという珍しいケースというのもあるし・・・、


それよりも何も、堂島殺しという、龍が如くの始まりにして一番重要な事件の日付でもあるので(章のタイトルにもなってたし)、頭のどっかで覚えてたというのはあります。


まぁこれは今年に限らず、以前からやってたことではあるんですが・・・。


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で、日付の話は置いといて・・・。


本題はタイトルにもあるように、BGMのこと。


久しぶりに回想を見てて思ったのが、『1』ってムービーでもBGMなしのシーンが結構多いなぁ~と思って・・・。


『0』とかだとサブストーリーの始まりと終わりにまで効果音付いてるけど(笑)、『1』の頃はサブはおろか、メインのムービーでも付いてないこともある。

あったとしてもあんまり派手な感じではないし・・・。


こういうBGMとか効果音って、あったらあったで別にいいけど、無いなら無いなりの良さみたいなのもあると思うんですよね。


昨日見た範囲では、例えば真島の兄さんが子分の檜山さんを傘で殴るシーンも、聞こえてくるのはセリフと効果音と街のざわめきの音ぐらいで、BGMはない。


でも、だからこそ、プレーヤーがその場に立ち会ってるかのような“臨場感”“生々しさ”があって、結果的にスリリングな雰囲気が生まれてると思います。


このシーンに限らず、初期の龍が如くってその辺シンプルだし、だからこそ、近年の作品とは違う、しっとりした雰囲気が作品全体に漂ってて、そういう部分でも『1』は凄く好きだったりしますヽ(゚◇゚ )ノ


個人的には、最初のセレナのシーンや、シンジの最後のシーンで流れるピアノのメロディーとか、桐生チャンが麗奈の手紙を読むシーンのギターの音とかが凄く好きです。

『1』はピアノ率高かったですよね(^∇^)


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まぁ今気になってるのは、数ヵ月後の『龍が如く極』でこういう細かい部分がどうなってるのかな~という事で、その辺がわからないのもあって、買うかどうかは「どうしよっかな~?」と考えてる状態です(><;)


私が個人的に一番『龍が如く極』に求めてるのは、リメイクであったとしても「ちゃんと龍が如く1をやってる」という実感が欲しい、ということです。


追加シナリオやゲーム面の追加が入るとは言え、シナリオのベースが一緒だから、それイコール『1』をやってるぜーという風には、個人的にはダイレクトに繋がらないです。


先に書いたBGMの話もそうですが、単にシナリオやキャラの魅力だけじゃなく、そういう演出の細かい部分が作り出す雰囲気全部ひっくるめて『龍が如く1』という作品の魅力だと思うので、リメイクであったとしてもちゃんと良い所は受け継いでいて欲しいと思います。


声優さんの変更にしても、例えばシンジとかでも、声優さん込みでそのキャラを好きになってるみたいなところはあるので、特段の事情がある人以外はなるべく変えて欲しくなかったなぁというのが正直な気持ちです。

10年も同じ作品をやり続けてきて、今更頭に馴染んだイメージは変えられない。


あと個人的には、


・“おめぇバカだろ?”さん


・“メシだよ、メシ!”さん


・“だからさ~”さん


・“キャバクラで~す。”ちゃん


・“キャバいかがっすか?”さん


・“ジャンジャンバリバリ!”さん



このあたりの人たちは是非再登板してほしい(笑)


特に、ある意味で龍が如くシリーズのMVP“おめぇバカだろ”さんは、いないと『1』じゃないって言い切ってもいいぐらい、不可欠な存在だと思います・・・。(^▽^;)


じゃないと『1』という感じがしないです。(・_・;)



いずれにせよ、『龍が如く極』を買う気になるには、もうちょっと決定打が欲しいところです(^_^;)