※2023.5.23 画像追加、タイトル・一部本文修正しました。
『龍が如く0』では、”ごうだりゅうじくん(12)”の登場が発表されています。
横山氏によれば『龍2』での因縁を考慮して桐生チャンではなく真島の兄さんと絡むとの事。
12歳と言う事は小6か中1なので微妙な年齢ですが、『龍2』の時とは違うイメージの子供っぽさ、あるいは悪ガキっぽさ?も見せてくれるんでしょうか?
そんな事もあり(?)、今回は管理人の眠った記憶の思い出しがてら、龍司のキャラ語りをしてみます。
氏名:郷田龍司(ごうだりゅうじ)
生年:1976年
役職:五代目近江連合・直参二代目郷龍会会長
いきなり話は逸れますが、1976年とかいう龍が如く世界の当たり年ww
龍司、大吾、峯という、(大吾を介して)結構因縁のある三人が揃って同い年なんですよね。
『2』で龍司は大吾の事を“年下のあんちゃん”風に扱ってたけど、龍司って妙にモノの言い方や雰囲気が実年齢のわりに“老成”してて、実年齢を知った時に、
「あれで30!しかも大吾とタメかよwww」
という驚きはありました。
※ちなみに他にも、1964年(真島、伊達さん、寺田、倉橋)や、千石と神田という濃い二人が揃った1960年、何より桐生チャンと錦という最高の二人を輩出した1968年などが当たり年と言えそう。
それはともかく。

一応現状では「生死不明」とされていますが、ナンバリング作品の登場は『2』のみにも関わらず復活待望論が根強く存在するほど、シリーズ屈指の人気キャラなのは間違い無いですよね。
復活云々について横山氏は否定してますし、管理人個人の意見としても、
「(OTEや維新みたいな)パラレル作品だけでいいんじゃね?」
と思ってますが、ナンバリング作品の現状を考えると、話題性やマンネリ打破の意味で禁じ手を破って「龍司復活!」ぐらいのネタをぶっこんできてもおかしくなさそう…。
加えてシリーズ10周年ということで、それを口実に過去のキャラを引っ張り出してくるのでは?という個人的な憶測に拍車をかけます。
ともあれ人気キャラなのは間違いないのですが、じゃあそもそも何で人気なんでしょう?
龍司って、確かにゲームのキャラとしては華があると思うけど、冷静に見てみると割と中身は子供っぽくて正直そんなに…というか。
と言うのも、『2』の龍司の所業を思い出してみると結構やってる事は酷いですよね
終盤の高島との対決こそ確かにカッコよく見えるものの、例えば大吾に対する一連のナメた態度や、神室町侵攻の時のやり口なんかは分かりやすい例かと思います。
また堂島の龍を乗り越えて本物の龍になりたいという気持ちが強すぎるせいか、寺田の葬儀の振る舞いに象徴されるように、何となく行動がガキっぽく見える
。
その辺は堂島弥生に看破されてたけど。
その後の爆弾解除云々のセリフのせいでその辺うやむやになってますが。
「俺のやり方で天下取りの戦争やってんねんから、横からいらん事すんなボケェェェ!!!」
と言うことであり、単に跡目争いのライバルを始末したいという感情以上に、桐生を倒すのは自分しかないという考え、その桐生との勝負を自分だけのものにしたいという独占欲が働いた結果かと。
例えばドラマ・映画・ゲームのシナリオにおいて、道理や理屈の部分でそんなに筋が通って無くても、演出で取り繕って雰囲気で押し切ってしまうような事は言ってしまえばあるわけで、それは龍が如くの物語・キャラクターにおいても例外ではないと思います。
個人的に龍司は割とその類かなぁと思ってて、例えば「龍司は男気があってカッコイイ!」みたいな龍司ファンの人の意見を見ても、「それちょっと違くね?」と以前から思ってるところがありました。
「龍司は桐生最大のライバル!キリッ」みたいな意見にも「そこは錦でしょ…(涙目)」と思ったり。
もちろんそういうのは単に個人の思い入れの違いだと思うので全然OKだと思うけど、個人的に龍司人気は演出補正、あるいは思い出補正的な部分もややあるのかなぁと考えています。
そもそも「龍が如く」というゲーム自体が、あんまり深いこと考えず雰囲気で楽しむべきものなのかもしれませんが
長々と書きましたが、要はその辺が龍司にピンとこない理由なのかもしれません
そんな龍司が本物の龍になる事にこだわる原因の一つが、養父である郷田会長にある事は本人も言及しています。
『龍が如く0』の設定を借りると、既に1988年の時点で五代目体制とのことなので、少なくともそこから二十年弱は会長職に収まっていたことになります。
そんな超大物でもある養父に対して、龍司がいつからコンプレックスを持ってたのかは分かりません。
『0』の龍司を微妙な年齢だと書いたのも、その辺の心理状態が反映されてるのか、逆にまだ子供らしさのある龍司として描かれてるのか気になるからです。

『5』での発言を聞く限り、大吾は父親と同じ渡世で生きていくという自分の運命を受け入れてたっぽいですし、性格的にもどちらかというと“静のタイプ”なので、いわゆるサラブレッドと言えど、あまり蔑まれる事無く、桐生チャンをはじめ周りの人間から受け入れられてたと言う風に想像できます。
逆に龍司は性格的に“動のタイプ”なので、昔からああいう態度を周りの人間にも取ってたと仮定すると、組織の人間からはやや煙たがられていたような気もします。
事実、千石にも「親の七光りのクセしおって」と悪態をつかれています。
おそらく龍司は、性格的に衝突を生みやすい部分も相俟って、先の千石の悪態然り、「会長の息子のクセにアイツは出来が悪い云々・・・」的な事を若い頃から言われ続けてきたんでしょう。
そういう風に周りとのすれ違いもあって疎まれてきた中で、自分の存在を認めさせるためには、常々比較対象にされる自分の養父を超えるしかないという結論に至り、それが郷田龍司という人間の人格形成に大きく影響した事は想像に難くありません。
同じコンプレックス系でも、錦の場合は元々持っていたものがある日突然爆発したような感じですが、龍司の場合若い頃の経験がジワジワ積み重なり、それが悪い意味で血となり肉となっていったと言うようなイメージです。
情が移ったのか、引き取った他人の子供とは言え一蓮托生となって龍司の運命を背負う覚悟を決めた郷田会長の決断は、個人的に龍が如くシリーズ屈指の男気を感じますし、『龍2』では数少ない胸を打たれる場面でした。
正直、一般的に人気のある狭山とのエレベーターのシーンよりも、こちらの方が本当の意味で「龍が如く」らしい熱さを持ってるという部分では上だと思っています。
例えば『龍が如く1』のような、各々色々なものを背負った主体同士がぶつかる事で生まれる本質的な熱さ・格好良さを軽視して、近年の作品のようにその辺を演出・雰囲気で押し通す方向にシフトする分岐点が、この辺にあったのでは?と言うのは言い過ぎでしょうか?
ともあれそういう部分が逆に良い方向に働いたのが『OTE』の龍司でしょう。
『OTE』の龍司は、外見=龍司、中身=冴島みたいな感じで、生粋の龍司ファンの人たちのコレじゃない的な不満は結構あったように思います。
そもそもがパラレルワールドなので何でもありだし、例えば桐生と龍司が共闘するという演出をそれありきでしようと思ったら、キャラ設定なども含めて、本編の設定度外視じゃないと絶対出来ないでしょう。
実際ゲームのコンセプトそのものが、本編では絶対出来ない・ありえないことを画にしてユーザーに楽しんでもらうというものなんだし、プレイする側もそういうとこをもうちょっと割り切って考えない?と個人的には思います。
正直OTEが黒歴史化されてるのはちょっと納得がいきません。
あれを叩いてるのはシナリオ厨だけでしょ?
個人的には、『龍が如く1』以外では(世界観・ゲーム性・難易度も含めて)一番気に入ってる作品なので、ああいうノリの作品をもっと見たいなぁという気がしています。
話が逸れてきたのでこれぐらいにしますが、何にせよ『龍が如く0』のごうだりゅうじくん(12)が今から楽しみです。










