私は作者というのは、ある意味で作品を生み出す機械であると、昨年の春までは思い込んでいた。
作者が同じ作品は同じ機械で作成された、味の違う製品なのだとたとえていえば、こういう感じである。

しかし、ある作者によって私は、考え直さざるをえなかった。
ある作者とは伊藤計劃。
作者は圧倒的な物語を作り上げていた。
機械では、こんな圧倒的な話は作り出せないであろう。と思わず機械とは結局は、人間が生み出したものなのだと納得してしまった。作者を紹介したいわけではないから、ここまでにしておこう。

とりあえず、読んでもらえれば、SFが好きな方は圧倒されるだろう。

作品は『メタルギア』『虐殺器官』『ハーモニー』

伊藤計劃さんについては、ここまでにして、
結局私が思い直したのは、作品が作者を生み出すということだ。
作品が作者を選ぶこの考え方、作者が閃くことは作品が作者を選んだことと一緒であり、逆にいえばそちらのほうがしっくり、私にはきたわけだ。

しかし、問題は作品が本物であるかどうか、模造品というのも、あるわけだ。


つづく?
受験が終わった今日から、惰性の始まりだったわけだが、いかんせんやることがない。
手元にあるのは少しずつためた本。
そして、やり残した、参考書。
そして、携帯。
なんと寂しい。
財布のなかは散髪代ですべて飛び。
あぁ、なんと悲しいことよと嘆き悲しみながら、
本があればよいと、
今日は万年床で本をひたすら読み続けていたわけだ。
しかし、こんな普通に本を虐める否愛でる私でも本に飽きるということもあるのだということを初めて知った。

それはいわゆるラノベ。ラノベというものは如何同類なものが多い。
その中で成田良吾は素晴らしいのだと思っているが、他のものはなかなか、
目を見張るものが少ない。その理由は大体が妄想によって成り立っていると感じるからであろう。
大体が作者の妄想によって作り上げられた、
ある意味、理想的な世界がそこにはあるのだが、
売れるまたは、一般的に流行るものや、男のなかの性癖的な部分は思ってる以上に単純というか少なくカテゴライズされている。
だから、大体が近しいものになるのは仕方のないものといえばそうだが、
私はいや、読者は本を売れて欲しいという願望で買うわけもなく、作者の性癖を知りたいわけでもない。
物語を作品としていかに面白いか、いかにその作者の世界な惹かれるかというところだ。
もう一ついえば、作者もそうであろう。
自分の性癖を知らせたいわけではなく、
ただ、自分の作品が面白いかどうか売れるかどうかを作品を書いてしりたいわけだ。
しかし、結局は、
書くときの参考になるのは、自分の経験であり、想像力。
そして、想像には性癖がつきものである。
そんなわけで、作品には、無意識のうちにその人の性癖や性格とうがでてしまう。というわけだ。

こんなことは、ライトノベルに限らずともよいのだが、その中でもラノベの作者の大体が妄想癖と感じざるをえない、未完成な妄想の塊を作品として売り出していると感じるからであろう。
ラノベが好きな方には悪いが正直なところラノベは本いや、純粋な読み物として、私は認めない。
例外は勿論あるが…



つづく?
ここは何県だ?そう。京都府のはずだった。間違いない。俺は京都府でうまれ、京都府育ち、京都府以外にすんだことはない。

そして昨日は、近所の某大手コンビニにアイスを買いに友達といった、そこまでは、日常的なことだ、しかし、昨日はいかんせん冗談をいいたかった、珍しい事だ俺にとっては。
そんな俺が思いついたのは、『ここって何県?』だった。
『京都府やろ(笑)』が正解。
他にどんな選択肢があるのだろうか?
あるとしても、
①とまどう。
②わらう。
くらいだろう。

しかし、返ってきたのは、『滋賀県やでー\(^O^)/』
だれが、ボケをボケで返すと思うだろうか?
それも、これがぼけなのかもわからない。



つづく?