3月24日

春分を過ぎ、春を感じる日差しに旅に出たくなったので、カブで出掛けよう。

時速40キロ位で走りたいから旧街道を選んで走りたい。

先日、十返舎一九の滑稽本『東海道中膝栗毛』の現代語訳版を読んだので、お伊勢参りを思いついた。

 

スタート地点は伊勢参りの東方の入り口になる桑名とする。

東海道の宮宿からの船が着く『七里の渡し』の鳥居は、伊勢国一の鳥居。

伊勢神宮の式年遷宮毎に、内宮の宇治橋外側の鳥居がここに移設される。

 

東海道中膝栗毛では、弥次喜多は桑名宿で名物の焼ハマグリを食べるのだが、私はちょっと貝が苦手・・・

伊勢に向かう街道沿いには、『餅街道』と呼ばれるほど多くの茶屋があったそうだ。

今回は、かつての参詣者が道中に食べた名物餅を食べながら旧道を辿る事にしよう。

 

●安永餅 安永餅本舗柏屋

東海道の桑名宿の名物餅は、平たく細長い安永餅(やすながもち)

1つ1つ形が違うのは手作りで、焦げの香りが食欲をそそる。

店内で食べる旨を伝えると、暖かいのが出てきた。

 

 

●なが餅 笹井屋

東海道43番目の四日市宿の名物餅は『なが餅』。

これも平たく細長い。持ち帰りのみで7個入りなので、この後のおやつにした。

創業は天文19年(1550年)で現在は15代目。北町の本店は木曜日がお休みでした。

 

 

日永の追分にあるのが伊勢国二の鳥居。

交差点より右は旧東海道で国道1号線の旧道、左は伊勢街道(参宮街道)の分岐になる。

日永は江戸から丁度百里と言われる。なるほど、国道1号線の距離表示も約400キロだ。

 

弥次喜多では、日永の茶屋で金毘羅参りの男と饅頭の大食い勝負をする。

弥次さんがムキになって、勘定と別にお金も賭けるが、惨敗。

実は相手は手品師だったって話。

 

伊勢街道沿いには、旧道を感じさせる道標や灯篭が残る。

時速40キロのカブ旅が楽しくなってくる風景がある。

 

神戸宿の見附跡。

宿場町の出入口には石垣と木戸があって、門番が守っていた。夜間は閉められていたそうだ。

 

角のあぶい旅館は明治時代の創業だそうだが、旧街道の雰囲気があっていい。

道路元標と津や四日市までの距離道標が残るのは、古い街道ならでは。

 

神戸宿の名物餅は立石餅。

現在はもち久さんで販売しているが、15時の営業時間に間に合わず今回は購入できなかった。

 

白子宿(しろこ)は江戸時代には紀州藩の管轄だった港町。

伊勢商人の海運の拠点として、栄えていたそうだ。

 

伊勢街道沿いの石道標。

『神戸 四日市』『さんぐう道』の道標が立派なのは、豪商が多い地区だったのだろう。

 

津宿。

藤堂景虎の津城の城下町で、三重県の県庁所在地。

『伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ』と言われ、伊勢詣での宿泊地として栄えた。

 

三大観音の観音寺。

 

津観音前の大門商店街の石道標。

以前、ここを訪ねた時にはアーケードがあったはず・・・・

写真を撮っていたら、散歩のおじいさんが『商店街に人手が無くなって、屋根は5年位前に撤去した』と教えてくれた。

伊勢参りで一番の宿場町の繁華街は、今はさみしい風景になっていた。

 

●玉吉餅店 津市大門

江戸時代後期の創業で、現在は9代目。

左はみたらし団子で、上新粉を焼いたもの。右はやじろと呼ばれるもち米にうるち米を混ぜてついたこの地方のもの。

焼きたてを店の前で頂いた。

 

島貫宿は雲出川の渡しの宿場町。

弥次喜多では、ニセの十返舎一九に成りすまし、泊めてもらった民家で出されたこんにゃくを焼くための焼石の使い方が分からず、もう少しで石を食べる所だったって話の場所。

 

月本追分 『右さんぐう道 左いかご江なら道』

奈良街道は長野峠を越えて伊賀上野へ向かう路。

 

歩きの伊勢参詣では、桑名宿の次は津宿に泊まって伊勢まで2日間の行程だったそうだ。

私も日が暮れたので松阪に投宿することにします。

桑名宿の出発が13時だったのもあるけど、松阪までの走行距離は約70キロ。

 

制限速度30キロの細い旧道をスーパーカブで走る。

私には、これくらいのスピードが心地いい。

 

翌日は、お伊勢参り 伊勢(餅)街道をゆくカブ旅 後編で。

 

 

 

 

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