みなさんこんにちは、マニ子です!
今日もブログ『北東インド山岳部族に嫁いだ私』に来て下さり、ありがとうございます!
前回のブログは、長女出産の逸話を綴りました👇
今回は、次女出産のエピソードです。
今回も下の話が出てきますので、苦手な方はスルーして下さい。
私と夫は、2019年1月から他損の学校の教師として働いており、次女を妊娠していると分かった時ももちろん他村に移住したあとでした。
ちなみに、次女を妊娠していることが分かった時、実はすでに安定期を過ぎた妊娠5ヶ月でした
おそらく妊娠3ヶ月後半くらいに、なんかお腹まわりのお肉が増えたと思い、長女妊娠から2年経つのに体型もあまり元通りにならないし、もう年なんだなぁ…なんてショックを受けていました
私たちの暮らす村では、新学期は2月から始まるのですが、私と夫が働く学校も同じでした。
その新学期に、同僚が長女に「MJはもうすぐお姉さんになるのかなぁ?妹かな弟かな〜?」なんて聞いていたので、私はとっさに、
あぁ私妊娠してるのかもしれない
とその時初めて気づきました…
周りからそんなに言われるまで全く気付きませんでした。つわりや食欲不振などの妊娠の兆候が全くなかったからです。
長女出産後からこの時まで長女に授乳を続けていたので、妊娠することはない!と頑なに信じていました
妊娠検査薬で妊娠を確認した後に、友人のつてで州都インパールの大きな病院で超音波検査をしたり、少しお金を払って出生前診断などもおねがいしました。
この時2月下旬で、インド大都市でまだコロナが流行りだす前でした。
2020年3月中旬から州政府の号令で、全学校が休校になり、後に延々として続くロックダウンになり、インパールでの検査は一度のみとなりました。
私の出産予定日は7月7日(たなばた)。7月9日に予定日を過ぎても何ともなかったので夫に「村の病院で診てもらえ」と言われ、友人に付いてきてもらいました。
次女を出産することになる政府系列の病院は、ここ2、3年で病院の管理体制が大きく改善され、医師も必ず駐在していました。
病院で医師に指を突っ込まれてグリグリとされた後に、
「もう赤ちゃんの頭に少し触れることができます、今夜中に陣痛も来て分娩になると思いますよ。もう自宅には戻らずこちらに待機した方がよいと思います。」
と言われました。
友人たちは、着替えや出産に必要なもの、出産後に必要なものなどをすべて自宅から持ってきてくれました。
出産を手助けするためにすでに義母がこちらに来ていたので、まだ2歳前だった長女は彼女に任せました。
結局、その日の夜の7時半ぐらいに少しの下腹部痛が始まるのですが、長女の時のことを考えれると、まだまだ出産まで時間が掛かりそうな感覚でした。
病院で友人と待機している時に、医者が私に訊きました。
医者「力み方はわかるよね?」
私「………わかっていると思います…」
↑前回何度もちゃんと力んで!と言われた人。
医者「分娩台の上ではとにかくPush Pushすることに集中して。泣きわめいたり、無駄に体力を使うようなことはしてはだめ。なるべく短時間で赤ちゃんを生むことを心がけよう。時間がかかるということは母体にも赤ちゃんにも良くない」
私「………」
夜8時くらいに長女をおぶった夫と義母が病院に到着して、長女のときのような痛みはまだ来ないと伝えました。
それでも、赤ちゃんの頭がかなり降りてきている状態で家に返したくない医師としては早く赤ちゃんを取り上げたい様子で、この時に陣痛促進剤を打たれました
夜11時前くらいに猛烈な腰痛と腹痛、そして睡魔に見舞われ、分娩台に運ばれたところ、
また完璧に寝るスタイルの分娩台
をしっかり確認し、少々げんなり…。
ここに横になり、足を広げ、力を入れるための取っ手を見つけたのでそれをとっさに握りました。何度か力みましたが、また痛みが引いていったので、再度、少し様子を見ることに。
医者「すぐに分娩に取り掛かるように分娩台の上で待機していてください」
とのことだったので、私はそのまま分娩台で仮眠を取りました。夜中2時前にまた重い生理痛のような痛みで目が覚め、同じ分娩室で仮眠を取っていた友人を起こし、ナースや医師を呼んできてもらいました。彼らが到着する前に、義母が分娩室に来て、マッサージしてくれたり、子宮口を確認してくれたりしてくれました。
今思うと多分あまりやってはいけないこと…。後から来たナースたちが怪訝そうな顔をしていた。
あー長女のときの痛みが一気に来てるーと思いながら、何度か力みました。私がかなりうるさく喚いていたので、医師が激怒。
医師「そんなふうに叫んだりしちゃだめだって言ったでしょう!」
そんなふうに言ったって痛いものは痛い。。
何度か力み、自分でも頭が出てると思った時に、パチっと音がした後に一気にするっと赤ちゃんが出てきました。
何が起こったか分からなかったけども、赤ちゃんの泣き声を聞いた途端、あ~産まれたんだ…とわかりました。
ただこの後がまた悲惨で悲惨で。。
前回のブログでも綴ったように、胎盤をかき出す作業がまた痛くて痛くて汗と一緒に涙も流れていたと思います。
胎盤をかき出したあとは、ほんの15分くらいしか分娩台で踏ん張ってないのに、会陰切開で赤ちゃんを簡単に取り出したので、あそこを縫う作業。これも痛かった…
分娩に15分、その後の処理に1時間はかかっていたと思います。こちらの作業でもわめきました(笑)、、
少々長くなるので次回に続きます。
今日も読んでくださってありがとうございました。