皆さんこんにちは、マニ子です!



今日もブログ『北東インド山岳部族に嫁いだ私』に来て下さり、ありがとうございます!

 


昨夜遅く、友人が産気づいて出産のために村の病院に急遽向かい、結果的に、3時間ほど離れた州都インパールの大きな病院で帝王切開で元気な男の子を無事に出産しました拍手友人も大きな問題がなく、落ち着いているとのことでした



今回のブログは、北東インド田舎での私のお産について。


長くなるので何回か続くと思います!

お産のことについて綴っているので下の話が含まれるので、苦手な方はスルーして下さい。もし興味があったらぜひ読んでください。



私は、2度の出産インドで行いました。

お産の場所は、一度目の長女出産時には夫の実家の村にある政府系列の病院で、二度目の次女出産時は、2019年から夫婦ともに働いてる学校がある他村に移住しているので、その村の同じ政府系列の病院でした真顔


政府系列の病院と言っても、簡単な健康診断や血液検査ができるくらいで、エコーや帝王切開などといった大きな手術は取り扱っていませんアセアセ


しかも、夫の実家の村の病院は派遣されている医師が3、4人いたのですが、殆どいつもoff dutyで、あまり病院に常勤していませんでしたガーン少なくとも私が何度が出向いた中で、一人の医師に一度しか会ったことがありません。


おまけに病院の建物もかなりボロボロ…もやもや

長女を出産した後に少しリノベーションしたようです。


長女妊娠がわかってから1週間にも満たない時に出血があったので、隣州のアッサム州にあるクリスチャンミッションの病院に検査に行ったことをきっかけに、出産まで何度かこの病院に通いました。


そこでは超音波検査も行っていました。


どこで出産するか義家族と何度か話し合う中で、同じ村でも何人かがこの病院で出産経験があったらしいのですが、みんな帝王切開だったということで、前もって必要性がないと分かっている場合はこの病院で出産しないようにしようと決めました。

大きな決め手となるようなことがないのに帝王切開で赤ちゃんを取り上げた例ばかりだったのです。


夫の村と少し大きな隣町に、昔からお産を取り上げていたおばあさんずっと産婦人科で働いていた元ナースのおばあさんが居ると聞いたので、彼女たちにも会いに行きました。彼女たちはお腹を触って赤ちゃんがどんなポジションでいるのか、母体になにか問題があるかとかが分かるらしいのです。マッサージなどをして赤ちゃんの位置を変えたりもしてくれましたウインク


長女出産の時は、その前夜に重い下腹部痛があり、寝る前はあまり気にしなかったのですが、夜中にも時折来るこの鈍い痛みがもしかしたら…陣痛…?と鈍い私は眠気眼に思ったのを覚えていますニヒヒ


翌日は痛みが更にひどくなり、それでもお腹が空いたので夫が朝食を作ってくれて、横になりながら食べました。


結局、夫が手配した病院の救急車で病院まで移動(夫の村はかなり急な丘陵地帯にあるので、歩くと、同じ村内の病院なのにかなり急な坂を登り、30分くらいかかります)し、すぐにテレビドラマとかでよく見るような手術用簡易ベッドに寝かされ、足を開かされました。


『えっ!お産の時に完全に寝るんだ?!』


お産の時は背もたれが後ろ45度くらいに倒れかかってるベッドで踏ん張るイメージがあったので、普通の手術用のベッドには驚きましたポーン


そして、不安になりました。


こんなに完全に寝ちゃって踏ん張れるのか?!と。


夫の親戚(主に義父側)のおばさんたちがせっせと私の足を開き、力が入るように一定の場所に固定させ、お腹をとにかくマッサージされました。


医師は不在で、ナースが3人とたぶん5人くらいの親戚のおばさんたち、そして義母がてんやわんやハッで私の周りを行ったり来たりしていました。


生理痛よりもひどい痛みが来るたびに、とにかく、Push! Push! Push! Push! とナースに言われ、「うんちをするときみたいに力むのよ!」と何度も言われました爆。

まだ力まないで〜とか言われなかったので、病院に着いた時にはもうかなり子宮口は開いていたんだと思います。



力みが足りなくてYou're not doing it property!!!(ちゃんと力んで!)と何度も言われました(笑)。


途中で、精をつけるために地鶏の生卵2個も食べさせられました。


甘ーいコーヒーみたいなミロみたいなドリンクもくれて、これは美味しかった酔っ払い


でもよく考えたら、これらを食したあとに踏ん張ると、ぽんっと産まれたので腹が減っては戦ができぬじゃないけども、カロリー摂取は必須でした。結局、病院に来てから3時間くらいで生まれたと思います。


長女が生まれてからみんなそっちにザーッと移動し、ひとり残ったナースが私の子宮内に残った胎盤をせっせと掻き出していたのですが、これがかなり痛かったー!


陣痛の痛みや出産の痛みはそれとなく聞いてきたけども、まさか赤ちゃんが生まれてから余韻に浸る間もなく次の痛みがあるとはあまり知らなくて…つらかったです。

しかもかなり時間がかかる!ちゃんと出さないといけないから我慢して!と入れました。


胎盤をかき出した後、病室に運ばれて、その日は夫と義母と病院に泊まりました。夜は停電で真っ暗でした。用を足したくなって真っ暗の中、懐中電灯を頼りに夫に支えられて病院のトイレに行きました。


そしたら胎盤の一部がまだ残っていたらしく、かなり大きな赤黒い塊が出てきました。

 


「あんなに時間かかったのにまだ残ってたタラー滝汗



それから、こちらの人は、出産時には体外に大量に血が流れ出るので、出産後は頭を動かさないようにします。すぐに動かすと年齢を重ねる毎に体に支障が現われるのだそう…

ご飯を食べるのも起きないように言われたので、最初のうちは夫が食べさせてくれましたナイフとフォーク


ちなみに悪露もすごかったです。

こちらの人は出産後、ナプキンやパンツを履くことを良しとしないので、パンツも履かず、ただ民族衣装の布を腰に巻くだけでした。


義母は、毎日毎日私の悪露で汚れた布を洗ってくれました


パンツを履けたのも確か出産2週間後くらいだったかな。ちゃんと自分で立って歩いていいよーと言われたのは1ヶ月後くらいでした。ちなみに、お風呂も髪を洗うのも体を洗うのもお義母さんがすべてやってくれました。出産3日後だったと思いますキラキラ


次女出産の時も、お義母さんにたくさんお世話になりました。国際結婚して家族と離れて暮らす私に不自由しないようにと凄く気遣ってくれましたハート




次女出産エピソードに続きます。



今日も最後まで読んでくださってありがとうございました。