周りに何と言われようが自分の感覚を信じること
ロビン、お前もか!
現在続いている、超人vs超神シリーズ。
キン肉マンたちと行動をともにしてきたバッファローマンは、“調和の神”ザ・ワンの手下となる決断を下しました。
そして、バッファローマンだけでなく、ロビンマスクやアシュラマンまでもが。
キン肉マンにしてみれば青天の霹靂(へきれき)。
「お前、そりゃないだろ」と。
とはいえ、バッファローマンやロビン、アシュラマンだって、考えに考えてキン肉マンと離れる判断をしたはずです。
彼らには彼らの感覚があります。
「私はこう思うんだ」という。
それぞれが自分の感覚を信じてキン肉マンらと離れ、ザ・ワンと行動をともにするに至ったと思うんです。
我々も生きていれば岐路に立たされることが多々あります。
あっちへ行くべきか、こっちへ行くべきか、それとも他の違った道へ行くべきか?
迷うことは多々ありますよね。
そんなとき大事なのはロビンのように、
「周りに何と言われようが自分の感覚を信じること」
ではないでしょうか。
「自分がどう思うか」を重要視する。
自分の心の声を最大の拠りどころにする。
「何を当たり前のことを」と思われるかもしれません。
しかし、多くの人は自分の心の声をないがしろにし、周りの行動や世間体を拠りどころにして判断しているようにみえます。
親が泣くぞ?
葛西純というプロレスラーがいます。
知る人ぞ知るデスマッチのカリスマ。
先日7月6日、フリーダムズ後楽園ホール大会で、葛西は「裸足(はだし)画鋲デスマッチ」という試合を敢行しました。
文字通り、リング上に画びょうをまき散らし、裸足になって行うデスマッチ。
有刺鉄線、蛍光灯、ガラス…
さまざまなアイテムが用いられるデスマッチの現状。
その中にあって、私的にこの裸足画鋲デスマッチがもっとも痛そうなデスマッチに見えます。
2001年5月、初めてこの形式によるデスマッチが行われて以降、葛西は何度かこの裸足画鋲デスマッチを行っています。
素人にはとてもマネできるものではありません。
プロレスラーの中でも、やれる人はごくわずかでしょう。
まさに“リアル超人”を地で行くのが葛西純という男。
葛西をはじめとして、デスマッチを主軸にするプロレスラーは一定数いますが、過去にいろいろ言われてきたと思うんです。
「あんなのプロレスじゃない」
「頭おかしいんじゃないの?」
「親が泣くぞ、体を傷だらけにして」
一般人からも、同業者からもそのように批判的な言葉を浴びせられてきたかと。
しかし彼らはそんな批判的な声にひるまず活動を続けてきました。
批判する向きもあれば、彼らを支持する向きもたくさん存在します。
その生き様に共感するファンも大勢いるのです。
何より、彼らには彼らの感覚があります。
どんな道で生きていくか、
どんなことをやって自分を表現して生きていくか、
周りに何と言われようが、「デスマッチを通して生き様を表現する」という確固たる意志、感覚。
そのブレない姿が、
そして自分の感覚を信じて活動している姿が、多くの熱狂的ファンを生み出しているのだと思います。
後悔しない生き方とは?
周りの声に左右されて自分の感覚を封じ込めてしまう人っていると思うんですけど、もったいないです。
親が悲しむから、
会社に禁止されているから、
失敗したら恥ずかしいから、
いろんな理由で他人の声を軸に物事を判断する人はいます。
親など家族の目、会社のルール、
常識的観念、世間体…
周りの目を気にして、自分の「これだ!」という感覚を捨ててしまう。
確かに、自分の感覚を捨て“世間体感覚”で生きていけば、周りから「ヘンな奴」と思われることもないでしょう。
しかしその結果、なんとなくモヤモヤしたスッキリしない気分を抱えたまま人生を送るようになってしまう。
「何かが違う」と感じながら。
前回のテーマでもありましたね。
自分の感覚は自分にしかわからない。
人それぞれ違うもの。
だから心の声に耳を傾け、その声が聞き取れたら、周りの目など気にせずやってみることなんです。
もしくは、みんながやることをやらないでおく。
今やってることをやめる。
そういったことも、自分の感覚を信じた決断といえます。
たとえば、結婚という制度はおかしいと感じるから、みんなはこぞって結婚しようとするけど自分はしない。
たとえば、今サラリーマンをやっているが、自分の感覚として違和感がある。周りは「もったいないから続けたほうがいい」と言うが自分の感覚を信じ辞める判断をする。
場面場面において、
「みんなはこう言うけど、俺はこう思うんだよな~」
という一個人としての感覚を大事にする。多数派に流されず。
人生の要は、シンプルにそれだと思います。
せっかく自分が自分として生まれてきたのだから、唯一無二の自分の感覚を大事にしたほうがいいんじゃね?と。
自分の感覚による判断が吉と出るか凶と出るか、
うまくいくかいかないか、
それはやってみないと分かりません。
たとえうまくいかなかったとしても、
周りに流されてモヤモヤしながら生きるよりは、よほど後悔のない生き方になるはずです。