昨日のブログにも書いたけど、
ぼくたち現代人は、本当はたいして欲しくないものを欲しいと勘違いしてることって多い。
そして、勘違いしたまま、本当は欲しくもないモノを必死で追い求めていることって多い。
本当に欲しかったはずのものまで犠牲にして、必死で追い求めて、やっとこさ手に入れたと思ったら、たいしてうれしくもなかった。
そんなことってだれもが経験があると思う。
例えば、
ぼくのように日々、発信をしている人なら共感してくれると思うんだけど、
発信してると、わかってはいても『いいね』や『シェア』の数が気になってしまうことがある。
発信をする人、表現をする人が本当に欲しかったものは、
『いいね』や『シェア』の数じゃないはずだ。
きっとほとんどの発信者や表現者が欲しいものは、
自分自身をありのまま表現するという喜びだったり、
それに触れてくれた人の笑顔や喜びのはずだ。
でも、日々、こうして『いいね』だとか『シェア』だとか『アクセス』だとか【数字】を見せられると、軟弱なぼくたちのエゴは勘違いを始める。
『いいね』が少ないのはダメな記事だ。
もっと『いいね』をもらえるような記事を書かなきゃな。
『アクセス』が少ないのはダメだ。
もっと『アクセス』がもらえるような記事を書かなきゃな。
そうやって、少しずつ本質からズレてくる。
純粋な喜びだったはずの『表現』や『発信』が、苦痛になってくる。
これは、ブログや発信や表現に限らない。
昨日書いたように『もっとたくさんのお金(昇進や新事業の成功)』や『もっと良い評価』や『もっと良いモノを買うこと』を求めることも同じこと。
本当に欲しかっものは、お金や評価やモノじゃなくて、じぶんの喜びだったり大切な人の笑顔だったりするはずだ。
でも、それを忘れて、目の前のお金や数字や評価やモノに躍起になってしまう。
そして、あるとき、躍起になって必死になってる割に『全然楽しくないぞ。幸せじゃないぞ』って気づいて愕然とする。
このことは、いいとか悪いじゃなく、意思が弱いとかではなく、『今にないモノを求める』ぼくたちのエゴの習性。
だから、何かにとらわれたり、振り回されても、じぶんを責める必要はないよ。
『ぼくたちはそういう傾向があるんだ。』って知るだけでいいよ。
そして、気づいたときに、もどってこようね。
じぶん自身の本当に欲しかったもの、本当に生きたかった人生の方に。
大反響だったこの記事も見てみてね。
じぶんを中心に戻してくれるよ。
↓
ブレてもいいよ。
戻ればいいよ。
にっくん♪