2014年4月20日(日)車を飛ばし伊丹へ行って来ました(^-^)/
1578年(天正6年)織田信長配下の有力武将荒木村重が信長に反旗を翻し有岡城に籠城します。
黒官兵衛は荒木村重を説得しに使者として赴きますが村重はやむなく官兵衛を幽閉します。
幽閉された土牢の中から見える藤の花に官兵衛は生きる勇気を得たという逸話があり藤の花が伊丹駅から有岡城跡間にありました(^-^)/
有岡城は本丸、侍町、町人町に分かれ本丸は西、南側に堀を設け、侍町、町人町を含む東西800m、南北1700mの範囲を堀と土塁で囲んだ『物構』の構造となっていたそうです。
物構とは城のほか城下町を含めてその外周を堀や土塁で囲んだ城郭構造のことだそうです。
有岡城は1579年(天正7年)信長の攻撃で落城し官兵衛が救出されます。
荒木村重は有岡城を脱出し尼崎城に入ります。
のちに秀吉に認められ千利休の高弟として茶道で活躍、堺で一生を終えますが惣構の城造り、城下町整備を行い伊丹の街づくりの先駆者として伊丹郷町の基盤を築きました。
以上、ぼくが官兵衛ゆかりの地を行くVol.4 有岡城跡編でした(^-^)/