私、もうすぐ30歳。 喫煙歴は、17歳の時からだから約13年になる。
父が肺がんを患ったことで、人並みに自身の健康にも不安を感じ、
今まで一度も成功したことのない禁煙に真剣に取り組もうと心に決めた。
喫煙をしていると、肺がんだけではなく、
様々な「がん」のリスクとなることは周知の事実。
「1日の喫煙本数」×「喫煙年数」=ブリンクマン指数(喫煙指数)
この指数が400以上になると、肺がんのリスクが高くなる。
私の場合、大体平均すると20~30本/日×13年なので・・・
もう十分リスクを抱えていることになる。ちょっと焦る(汗)
喫煙していても、良いことなどひとつもない。
でも、禁煙したら良いことだらけ。
お金もかからないし、匂いもヤニもつかない。
部屋の壁紙を汚すこともないし、人に迷惑をかけることもない。
もちろん、身体のためにも。
今まで何度も禁煙しようと試みたことがあるが、成功した試しがない。
減煙だけでもと思い本数を減らしたりしてみたが、
ダイエットと同様、我慢した反動で余計本数が増えたりもした。
自力で禁煙しようとなると、余程の固い意志が必要。
自分の意思だけではどうにもならないのが、ニコチン中毒の怖いところ。
なので、今回は人生初めての「禁煙外来」なるものに頼ろうと思い、内科を受診した。
館ひろしがCMで、「お医者さんと禁煙」ってやってるのを見て知った。
知人はニコチンパッチで禁煙にチャレンジしたが、見事に挫折。
ちょっと前まではニコチンパッチやニコチンガムが主流だったが、
今は「チャンピックス」というニコチンを含まない飲み薬がある。
治療期間は全部で12週。費用は保険適用(3割負担)でトータル約18000円程。
ちょっとお値段は張るが、これからの喫煙によってかかるお金を考えれば安いもの。
うちは、主人も同じくらい吸う人なので、2人で治療に取り組む。
チャンピックスの服用開始は8月28日で、段階をつけて徐々に増薬していく。
最初の1週間は薬を飲みながら喫煙をしても良いらしい(準備段階)。
飲み始めから1週間後から、本格的に禁煙が始まる。
私の禁煙開始日は、1週間後の9月4日。
「あと●日は吸えるんだ」
・・・そう思ってしまう私は、立派なニコチン中毒者(汗)
今回は、何が何でも頑張ります!!
2010.8.21(土)
今日は、がんセンター入院以来初めての「外泊」。
3度目の抗がん剤投与を終え、副作用も落ち着いているので医師からの許可が出た。
「外泊」といっても、日曜の夜までには帰って来なくてはならないので1泊2日。
昼過ぎに父を迎えに行った時には、父はすでに着替えをすませ、
病院の入り口で待っていた。
帰宅の道すがら、昔の想い出をいろいろと語りながら帰った。
帰宅する前の日、「ポリバケツいっぱいに水を汲んでおいて欲しい」と母が頼まれていたのだが、
何をするのかと思えば、帰宅早々、今年の春から育てていたメダカの水槽の水替え。
「本当に進行がん患者なの?」
と、目を疑いたくなる光景。
本当に、いつもと同じで、誰が見たって病人には見えない。
水槽の水替えを終え、私の息子(孫)を連れ、近所の散髪屋へ。
抗がん剤で脱毛してしまうのに、散髪。
ボサボサの頭で病院内を歩き回るのが恥ずかしいらしい。
散髪を終えて帰宅して、母に白髪染めをしてもらった。
散髪をし、白髪染めをした父は、数日前に見た弱々しい父ではなかった。
カッターシャツにネクタイをしめていた、いつもの父だった。
いつも病院の不味い食事ばかりだったから、今日くらいは美味しいものを食べようと、
懐石料理を食べに行くことになった。
私の家族では、何かイベントごとがあればいつもこのお店でお祝いをする。
去年の5月、父の還暦のお祝いで来たのが最後だったかな?
その時、いつまでも元気で長生きしてね!って父に言ったなぁ・・・。
それなのに。
まだ1年しか経ってないのに。
人生、何があるかわからない・・・。
食事に出かける前、私の家まで迎えに来てくれた。
私のぐうたらさをよく知っている父は、流しにあった食器を全部洗ってくれた。
さすがに、がん患者の父に洗い物をさせたりしたらバチがあたるΣ( ̄ロ ̄lll)
「やめて~!!私が洗うけんっ!!」って、何度も父を止めたのに、
「あんたは、ほったらかしにするやろ~(笑)」と言いながら、父は笑った。
挙句の果てには、窓にかけた「すだれ」が電線にひっかかっていたのを直してくれた。
家でゆっくり寝て過ごすよりも、いつも通りいそいそと動き回る方が、父らしいのかも知れない。
-----------------------------------------------------------
2010.8.26(木)
今日は昼過ぎからお見舞いへ。
父のいる階につくと、ちょうど談話室で父が電話していた。
おとといくらいから、脱毛が始まったらしい。
今は毎日シャワーを浴びれているのだが、洗髪すると洗面器いっぱいに髪の毛が抜ける。
朝起きると、枕に髪の毛がびっしり。TVで見たことのある光景そのもの。
パッと見は、抜けた感じはしないけれど、
よく近づいて見ると、まだらになっている。
入院初日、私は抗がん剤治療で脱毛した時のために黒いニット帽を父にプレゼントした。
来月あたり、使うことになるんだろうか。
食欲はまぁまぁといったところらしく、出された食事はほぼたいらげている。
おやつのアイスクリームやバナナも食べている。
昨日から、歯磨きをしたら血が出るらしい。
口がすっぱくなるくらい、「歯磨きは慎重に!」と注意する。
来週の8月31日(火)に、抗がん剤2セット目が始まる。
シスプラチン+イリノテカンを終え、2週目のイリノテカン投与終了後に退院の予定。
それから先は、1ヵ月に1週間入院⇔通院治療の繰り返しになる。
そういえば、入院前に医師の説明を聞いてから、家族への説明はない。
・・・聞きたいような、聞きたくないような。
・・・聞きたくないような、聞いておかねばならないような。
複雑な心境。で、結局聞かずじまいになってしまっている。
---------------------------------------------------------------
8月21日午前5時19分、芸能レポーターの梨元勝さんが肺がんのため亡くなった。
肺がんとわかって入院してから約2ヵ月。あまりにも早すぎる。
あまりにもタイムリーな話題で、他人事のように思えず、母と一緒に落ち込んだ。
いつもなら、芸能人が亡くなったりすると家族であーだこーだと話をするけれど、
同じ肺がんといこともあって、誰もこの話題には触れられなかった。
父も病室のTVで知っているはずだけれど・・・。
梨元さんが亡くなった日にちは、母の誕生日。
梨元さんが亡くなった時刻は、父の誕生日(5時19分⇒5月19日)。
私はよく、数字を見てはゴロ合わせしたり、
自分に関連のある数字を見つけては、わ~わ~言ったりする癖がある。
しかし・・・この偶然の一致は一体?!
梨元勝さんのご冥福を心からお祈りいたします。
今日は、がんセンター入院以来初めての「外泊」。
3度目の抗がん剤投与を終え、副作用も落ち着いているので医師からの許可が出た。
「外泊」といっても、日曜の夜までには帰って来なくてはならないので1泊2日。
昼過ぎに父を迎えに行った時には、父はすでに着替えをすませ、
病院の入り口で待っていた。
帰宅の道すがら、昔の想い出をいろいろと語りながら帰った。
帰宅する前の日、「ポリバケツいっぱいに水を汲んでおいて欲しい」と母が頼まれていたのだが、
何をするのかと思えば、帰宅早々、今年の春から育てていたメダカの水槽の水替え。
「本当に進行がん患者なの?」
と、目を疑いたくなる光景。
本当に、いつもと同じで、誰が見たって病人には見えない。
水槽の水替えを終え、私の息子(孫)を連れ、近所の散髪屋へ。
抗がん剤で脱毛してしまうのに、散髪。
ボサボサの頭で病院内を歩き回るのが恥ずかしいらしい。
散髪を終えて帰宅して、母に白髪染めをしてもらった。
散髪をし、白髪染めをした父は、数日前に見た弱々しい父ではなかった。
カッターシャツにネクタイをしめていた、いつもの父だった。
いつも病院の不味い食事ばかりだったから、今日くらいは美味しいものを食べようと、
懐石料理を食べに行くことになった。
私の家族では、何かイベントごとがあればいつもこのお店でお祝いをする。
去年の5月、父の還暦のお祝いで来たのが最後だったかな?
その時、いつまでも元気で長生きしてね!って父に言ったなぁ・・・。
それなのに。
まだ1年しか経ってないのに。
人生、何があるかわからない・・・。
食事に出かける前、私の家まで迎えに来てくれた。
私のぐうたらさをよく知っている父は、流しにあった食器を全部洗ってくれた。
さすがに、がん患者の父に洗い物をさせたりしたらバチがあたるΣ( ̄ロ ̄lll)
「やめて~!!私が洗うけんっ!!」って、何度も父を止めたのに、
「あんたは、ほったらかしにするやろ~(笑)」と言いながら、父は笑った。
挙句の果てには、窓にかけた「すだれ」が電線にひっかかっていたのを直してくれた。
家でゆっくり寝て過ごすよりも、いつも通りいそいそと動き回る方が、父らしいのかも知れない。
-----------------------------------------------------------
2010.8.26(木)
今日は昼過ぎからお見舞いへ。
父のいる階につくと、ちょうど談話室で父が電話していた。
おとといくらいから、脱毛が始まったらしい。
今は毎日シャワーを浴びれているのだが、洗髪すると洗面器いっぱいに髪の毛が抜ける。
朝起きると、枕に髪の毛がびっしり。TVで見たことのある光景そのもの。
パッと見は、抜けた感じはしないけれど、
よく近づいて見ると、まだらになっている。
入院初日、私は抗がん剤治療で脱毛した時のために黒いニット帽を父にプレゼントした。
来月あたり、使うことになるんだろうか。
食欲はまぁまぁといったところらしく、出された食事はほぼたいらげている。
おやつのアイスクリームやバナナも食べている。
昨日から、歯磨きをしたら血が出るらしい。
口がすっぱくなるくらい、「歯磨きは慎重に!」と注意する。
来週の8月31日(火)に、抗がん剤2セット目が始まる。
シスプラチン+イリノテカンを終え、2週目のイリノテカン投与終了後に退院の予定。
それから先は、1ヵ月に1週間入院⇔通院治療の繰り返しになる。
そういえば、入院前に医師の説明を聞いてから、家族への説明はない。
・・・聞きたいような、聞きたくないような。
・・・聞きたくないような、聞いておかねばならないような。
複雑な心境。で、結局聞かずじまいになってしまっている。
---------------------------------------------------------------
8月21日午前5時19分、芸能レポーターの梨元勝さんが肺がんのため亡くなった。
肺がんとわかって入院してから約2ヵ月。あまりにも早すぎる。
あまりにもタイムリーな話題で、他人事のように思えず、母と一緒に落ち込んだ。
いつもなら、芸能人が亡くなったりすると家族であーだこーだと話をするけれど、
同じ肺がんといこともあって、誰もこの話題には触れられなかった。
父も病室のTVで知っているはずだけれど・・・。
梨元さんが亡くなった日にちは、母の誕生日。
梨元さんが亡くなった時刻は、父の誕生日(5時19分⇒5月19日)。
私はよく、数字を見てはゴロ合わせしたり、
自分に関連のある数字を見つけては、わ~わ~言ったりする癖がある。
しかし・・・この偶然の一致は一体?!
梨元勝さんのご冥福を心からお祈りいたします。
2010.8.17(月)
本日、3回目の抗がん剤(イリノテカン)投与。
初回のシスプラチン+イリノテカンに比べると、副作用も比較的マシな様子。
吐き気もほとんどなく、少し胸がムカムカする程度。
食事も、毎食完食して、さらに間食までこなしている。
夜な夜な、病院1Fのローソンに出かけては、
ラーメンやらゆでたまごやらを買って食べているらしい(笑)
やっぱり、食べたいものを食べられるというのは
ありがたいことなんだとしみじみ思う。
抗がん剤投与前日には、決まって胸部レントゲンを撮る。
昨日も例にもれず検査をしたのだが、数時間後に担当医師の診察で、
「腫瘍が少しずつ小さくなってきています」
と、嬉しい知らせがあった。
抗がん剤が効かなければ、ガイドラインに沿って言えば
『なす術なし』になってしまうので、
抗がん剤が効くか効かないかでは、余命が幾分か違ったものになる。
治癒を目的としない、余命を伸ばすための治療だとしても、
腫瘍が小さくなっているのは、小さな希望の光になった。
脳へ転移して出来た腫瘍は、抗がん剤は効かない。
主な治療は放射線になるはず。
しかし、医師から放射線の提案はされていないところを見ると、
さすががんセンター。ガイドライン通りの治療しかしないようだ。
父の場合は、
「小細胞肺がん(ステージⅣ)進展型」であるので、
ガイドライン的には抗がん剤治療のみ。
もし抗がん剤が効かなくなれば、すみやかに緩和ケアに移行することになるだろう。
幸い、父にはまだ痛みはなく、QOLも落ちていない。
このまま痛みなく、苦しみなく、毎日を送ることが出来れば良いのだけれど・・・。
「がん」がわかった当初、毎日咳を多くしていたが、
抗がん剤治療を初めてからは、滅多に咳をすることはなくなった。
腫瘍が小さくなったことで、圧迫されていた気管支が楽になったのだと思う。
「腫瘍が消えました!奇跡ですよ!!」
そんな、嘘のような期待を妄想してみる。
奇跡とは、普通はありえないことだから奇跡なのだ。
でも。
その奇跡が、父に起きれば良いのにと心から願う毎日。
本日、3回目の抗がん剤(イリノテカン)投与。
初回のシスプラチン+イリノテカンに比べると、副作用も比較的マシな様子。
吐き気もほとんどなく、少し胸がムカムカする程度。
食事も、毎食完食して、さらに間食までこなしている。
夜な夜な、病院1Fのローソンに出かけては、
ラーメンやらゆでたまごやらを買って食べているらしい(笑)
やっぱり、食べたいものを食べられるというのは
ありがたいことなんだとしみじみ思う。
抗がん剤投与前日には、決まって胸部レントゲンを撮る。
昨日も例にもれず検査をしたのだが、数時間後に担当医師の診察で、
「腫瘍が少しずつ小さくなってきています」
と、嬉しい知らせがあった。
抗がん剤が効かなければ、ガイドラインに沿って言えば
『なす術なし』になってしまうので、
抗がん剤が効くか効かないかでは、余命が幾分か違ったものになる。
治癒を目的としない、余命を伸ばすための治療だとしても、
腫瘍が小さくなっているのは、小さな希望の光になった。
脳へ転移して出来た腫瘍は、抗がん剤は効かない。
主な治療は放射線になるはず。
しかし、医師から放射線の提案はされていないところを見ると、
さすががんセンター。ガイドライン通りの治療しかしないようだ。
父の場合は、
「小細胞肺がん(ステージⅣ)進展型」であるので、
ガイドライン的には抗がん剤治療のみ。
もし抗がん剤が効かなくなれば、すみやかに緩和ケアに移行することになるだろう。
幸い、父にはまだ痛みはなく、QOLも落ちていない。
このまま痛みなく、苦しみなく、毎日を送ることが出来れば良いのだけれど・・・。
「がん」がわかった当初、毎日咳を多くしていたが、
抗がん剤治療を初めてからは、滅多に咳をすることはなくなった。
腫瘍が小さくなったことで、圧迫されていた気管支が楽になったのだと思う。
「腫瘍が消えました!奇跡ですよ!!」
そんな、嘘のような期待を妄想してみる。
奇跡とは、普通はありえないことだから奇跡なのだ。
でも。
その奇跡が、父に起きれば良いのにと心から願う毎日。