私はいいお母さんだったのだろうか。
2024年3月31日。
15年10か月の間、傍に置いて育ててきた長女が巣立ちました
5歳からずっとボールを追いかけ続けたサッカー少女は、その夢の為に県外へ高校進学を決めました
親元を早くから離れることは良いことだと思っていたし、元々大賛成でした。
小さな頃から一人でバスに乗ってどこへでも行き、
飛行機も一人で乗ってどんどん出かけていくような子で、
遠征も多く、たくさん家から出ていた。
この子は大丈夫だ、と。
だけど、いざいなくなる日が近づくとすっごく心が苦しくなっている私。
ここ数日は、自分でも全く思いがけず不安定な日々を過ごしていました。
そんな中、このタイミングでどうしてこんなものが?
と思うようなものがでてきました。
昔の日記帳。
数ページしか書いていなくて、全然この日記帳の存在を忘れていた
最初のページの日記を見て、私固まる…
約10年前の日記です。
えーーー、あの子にこんなことってあったっけ?
胸が押しつぶされそうになるほど苦しくなりました。
知った今から、どうしてあげることが娘を癒すことになるのか?
そんなことを考える…。
私自身、4歳下の弟がいるのですが、母を取られた、といったヤキモチを妬いた記憶はないんだけど、
思考が現実化している、100%例外なく
としたら、娘は私の投影。
私って実はもしかして、すっごく寂しかったのかな。
と思ってみたり。
ということで、まずチビりさちゃんを癒しにかかりました。
でもやっぱり娘に対しての気持ちが抑えきれなくなり、罪悪感が湧いてくる。
かといって、今更どうしてあげることもできず。
あの日に返って抱きしめたい衝動にかられ、
ワンワンと泣き続けました。
私は悪いお母さんでした、
寂しい思いをたくさんさせてごめんね。
本当に本当に大好きだよ、離れたくないよ。
って言葉がでる。。。。。
で、気づいちゃったんだよね。
この気持ち、これって実は私の母の気持ちだぁ。と。
私は小さな頃、お母さんがいなくなりました。
思考を学ぶまでいつも思っていたこと、
母は酷い人。
子供を捨てていなくなるなんて最低。
私は愛されていなかったんだ、と。
だけど思考を学んでからはわかる。
私はたしかに母に愛されていた。
母は、離れたところで、私がさっき書いた気持ちと同じことを、一人思いながらきっと自分を責めて泣いていたんだ、
と気づくことになりました。
思考ってわかってくると本当に奥が深く、
思考に触れ続けることで腑に落ちるスピードも増していきます。
そっか。お母さんはきっと、こういう気持ちだったよね。
6歳の頃、ママなんかいなくていいもん!
と強がっていた恐怖のりさちゃん。
本当はママに眠るまでポンポンしてほしかったね。
だよねーー。私素直になれてきたかも。
その日記帳に久々に綴りました。
なんか、ノートにあったシミが涙みたいだね
私の気持ちはお母さんの気持ち
娘の気持ちも私の気持ち
全部自分だった。
家族6人一緒に寝室で寝ています。
私ら5人は布団で眠り、
長女はセミダブルのベッドで一人眠る。
この日、こっそりベッドに入り、隣に寝てみた。
そしたら、真夜中
めっちゃきつく後ろから抱きつかれ、
それはそれは汗がでるほど暑かった
本人、もちろん覚えていません。
むしろ一緒に寝ていたことに翌朝めっっっちゃ怒ってた(笑)
寝ている時って潜在意識100%なんです。
そっか、抱きしめてほしかったよね、
あれ?
それってもしかして…そうか、それ私か(笑)
日記書いたからかな。願いが叶ったよ
さて、いよいよ出発前夜、家族で雑談。
『みんなの一番好きな食べ物って何?
ママはラーメンじゃん。』
と聞いてみる。
長女の答えが
『えーー、ママのごはん、しかでてこない。』
だった。
一番好きな食べ物が私のご飯ですと?
ご飯を誉められるって、母親として最高に認められた気分ではないか。
私がきっとお母さんの愛をどんどん認めたからかな、と思います。
↑昨日咄嗟に撮った写真、ツンデレさんで一緒に撮ってくれないのです
結月、大好きだよ
ママはあなたを愛しています。
↑私のお店で働く桑原さんと
娘よ、夢があって最高
思いっきりサッカー楽しんでこーい
ママの美味しいご飯食べに、たまには帰ってきてね
誰より娘を応援しています。
私の両親も遠くから、きっと誰よりも私を応援してくれているんだろうな、と超思えた
親の愛って力強くて深いな、と自分の想いを通して知るのでした。
みんな、みんな、間違えなくこうやって愛されている。
そして大人になった、今がある。
これが真実。
お父さん、お母さん、ありがとう、大好きです
本日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました
思考の学校 認定講師 山田りさ