リブログ記事過去の私に出会う(1992)
思考の学校 13期講師養成講座の卒業合宿が箱根であり、サポート講師として今年も参加してきました。今年度は過去最多、81名の講師さんが誕生しました、おめでとうございます🌸上級講師の大好きなみんなとも会える、毎年恒例になってきた楽しみなイベントの一つです。(今回は同じく上級認定講師の旦那さんはお留守番)箱根は実家、静岡県伊豆の国市から近いため、せっかくなので実家に帰省しています。思い起こしてみたら、一人で実家に帰省するのは、子供が生まれてから初めてかもしれません。18年ぶりとかなのかな。一人自分の部屋にある押し入れの中から、思い出のボックスを開けてみました。そこでみつけた一冊の日記。わ~懐かしい。友達にプレゼントした鍵付きの日記長。私もほしくなっちゃって、何とかおねだりして買ってもらったものです。1992年、小学校2年生の頃のものです。私は小学1年生まで恐怖のりさちゃんと呼ばれていました。詳しくはこちらのブログ↓と著書を・・・恐怖のりさちゃんを脱ぎ捨てておりこうりさちゃんになったのが小学2年生。日記帳の中にばとんなことが書いてあるんだろう。その中に書いてあることが、ブログにも本にも書いてあるまんま。おりこうりさちゃん宣言だった。詳しくはこちらのブログ↓と著書を2・・・【おりこうりさちゃん】を創った理由は、2年生の頃、新しいお母さんがやってたから。家に帰ってくると、『おかえり』と待ってくれるお母さんがいるのが奇跡のよう。すごく嬉しかった。おりこう宣言に書かれた、【おばあちゃんちにあわない】実母の祖父母が同じ町内に住んでいたので、本当は会いたかったけど、新しいお母さんに悪いから決めた私の決め事。あの時の私、本当はおじいちゃん、おばあちゃんに会いたかったんだろうな。祖父母に会うことさえ悪いことだと決めていた。6歳の頃、本当のお母さんがいなくなってしまったのは、私が悪い子だったから、お母さんは私の事が嫌いだったんだ、と思っていました。そんなわけないのにね。私たちって自分の思い込みの中で生きています。6歳頃までに感情優先で感じたことが土台になり、思考を繰り返し信念となり、現実を創り続けています。新しいお母さんはもう絶対にいなくなってほしくない。だから私は恐怖のりさちゃんから、おりこうりさちゃんになる、と決意した。おりこうりさちゃんを創ってしまったせいで、私は怒りを封印し、自分の思いはなくそう、私は悪い子だから。何を思っても、何を言われても、返事は『はい』。そうすることがおりこうな子だと決めたのでした。私は私の本音をずっと押し殺して生きてきたよね、自分の思いをないことにして、生きてきたことを改めて感じました。日記帳の一番最後のページには、新しいお母さんと、お父さんの結婚式の写真。チビりさちゃん、本当に嬉しかったんだね。本当はこんな私じゃないんだけど、おりこうにならないと捨てられちゃう、またお母さんいなくなっちゃう。そんな恐怖の中で、自分を偽って一生懸命生きてきたりさちゃんを久々に感じながら、そうだった、そうだった、と涙が溢れ出してきました。悲劇のヒロインの涙ではなく、ないことにしてきたいろんな感情をようやく理解してもらえた、気づいてもらえた、というチビりさちゃんの安堵の涙でした。なんかホッとしたんですよね。昨夜は私が育った私の部屋で、おりこう宣言をしたチビりさちゃんを抱きしめながら眠りました。ちなみに。思考が100%現実化しているとしたら…本当のお母さんがいなくなってしまったのも、親の都合ではなく、私の思考で創った現実と考えます。えーーーそれはない。親の離婚は親の都合でしょ、って思っていたけれど、ちゃんと点検したらマジで私の思考でしかなかった😨これが思考が100%ってやつ。その話はまた別で😊可哀想な過去のお話ではなく色々な感情があっていい。色々味わいたい私がいた。寂しさ、哀しさ、どんな怒りの感情も悪いものではないです。全ての感情が私の彩🌈大人になって理性と良心で見えなくなっている子供の頃に感じていた怒りの感情、たくさん見つけて感じてあげてください。どんな自分の気持ち、感情も全部私がわかってあげること。大切な大切な私のために。どうしていいかわからない、そんな方は是非思考の学校の門を叩いてみてくださいね。講座情報・メルマガはこちらですほしい現実を創る思考のレシピこちらより本日も最後までありがとうございました思考の学校 上級認定講師 山田りさ