今日お店の常連様からこんなお話がありました。

 

「知り合いの子供さんが白血病であとわずかな命なの。沖縄に来ることが夢だったんだけど、それを叶えることも少し今は難しくて。それで沖縄のみんなから、応援の動画と何か元気づけるために沖縄の贈り物に協力いただけませんか」

 

というお話でした。

 

「それはもちろんです、私たちにできることは全力でやらせてください、私たちに声をかけていただきありがとうございます」

 

そんな気持ちを伝えました。

 

と共に、すぐ思考解釈をしてしまう私は、

 

「白血病か・・・どんな思考を見せられている?血液のガン・・・全身にまわるのガン・・・よい細胞を攻撃している。私の全身から万遍なく攻撃思考があるってか??」

 

 

ってな感じで思考解釈をしたのでした。

 

 

お店で動画を撮影し、その子の応援グループがfacebookにあるので入ってくださいと言われましたので、入りました。

 

すると、その子の記事がどんどんあがってくる。

 

7歳の男の子です。

 

すっごい可愛い笑顔の男の子。

 

その笑顔があまりに可愛くて、元気いっぱいで、髪の毛も生えているし、どうみても普通の男の子、この子があとわずか?本当に?それ嘘だ。

 

その笑顔が、私の6歳の末っ子長男の笑顔にそっくりなんです。

 

もう愛しくて愛しくて。

 

とたんに胸が締め付けられる。

 

 

 

私、あらゆる子供の病気だけはいつも直視せずにきた。

なんでかって苦しいからです、辛いからです。

 

今日も思った、見なければよかった、知らなければよかった。

 

見なければ辛くなかったはず。(蓋をする思考)

 

 

すごく心か痛くなっちゃって涙が止まらなくて辛くて辛くて。

 

でも思考を学んでから、死ぬことは悪いことではない、死ぬからいいんだ、と思えるようになったはずでした。

 

だって致死率100%、いつかはみんな亡くなるんだから、なにも悲しむことはない。

 

 

そして、どう見てもこの子元気だよ!!(写真だけ)

 

病気で亡くなってしまうわけがない、絶対嘘だ。

 

神様、助けてよ!なんでこんな子供がいるのよ!これも思考だっていうのかよ!酷いよ!

 

誰の思考?私?この子?このお母さん?何なのこの現実。

 

もはや思考なんて関係なくなっている。

 

病気のせいだし、この子は被害者だし、私は苦しいし、だから私だって被害者だし、ご家族も超被害者だし。

 

酷いよ酷いよ、辛いよ、苦しいよ。

 

涙がとまらなくて過呼吸になって、一人でお風呂で声を上げて泣いて泣いて。

 

 

 

 

 

だけど、辛い時ほど、ちゃんと思考を見なければ意味がない。

 

この状況・・・

 

これって。

 

私何を見せられている?

 

 

そういえば私ってこんなことずっとずっとしてきた。

 

間違いなく、いつも私は被害者でした。

 

今日の件も、今までも。

 

今まで私がよく一人でやってきた悲劇のヒロイン、私って可哀想、本当に可哀想な子、辛いな、苦しいな、

 

で涙が止まらず過呼吸気味になっていた以前の自分に状況がそっくり。

 

 

だけど、思考が100%現実化しているとしたら、この子が私の投影だというか?

 

そんなことおこがましくてできません!!!

 

私は健康です、元気です!!

 

 

 

 

ここまで自分で思って、叫んで、そしてようやく気付きました。

 

そこにものすごいジャッジがあったことに・・・

 

 

病気=悪いこと

 

しぬ=悪いこと

 

確かに病気より病気でないほうがいいのかもしれません、

 

だけど、思考解釈的にどんな時もそのメリットを考えてみる必要がある。

 

なぜなら、この世は、いいも悪いもないのです。

 

 

この子は、病気になったことで、日本中のたくさんの人たちから認知され、愛をいただき、応援され、エネルギーを得ている。

 

そしてもしも、もしも、今亡くなってしまうことがあったら、たくさんのみんなに惜しまれ、そしてみんなの記憶に刻まれ、リメンバーミーの世界観でいえば、違うステージでたくさんの方の心の中で生きつづけられるのです。

 

 

「ない」に着目すると本当にネガティブ一本だけど、致死率100%の我々、いつかくるその日に、このようにたくさんの愛情を日本中からいただくことがあるだろうか。

 

たくさんの方の心の中で違うステージとして生き続けることができるだろうか。

 

 

少なくとも、私は今日この子を知り、会ったことももちろんないのに、とても愛しくエネルギーが強くでました。

 

そしてきっと泣いて泣いて苦しい私の心境は、「ない」「なくなる」の不足感にフォーカスしてネガティブを創りまくっていたことだった、と改めてに気付かされました。

 

 

「私は足りない、愛してくれないなら、目の前からいなくなって困らせてやるからね!」っていうチビりさちゃんがひょいっと顔を出したように感じます。

 

 

 

そこでハッとする・・・・

 

 

やはり私は自分を見せられていた。

 

だけどこの子に対してあるたくさんの強いみんなからの愛の思いを感じた瞬間にです、私の中のチビりさとちゃんも同時に癒された気持ちになったことを感じました。

 

なるほど・・・。

 

 

 

綺麗ごとにまとめたように感じる方もおられるかもしれません。

 

ですが、やっぱりどこまでいっても自分の思考を見せられている。

 

今日この子の存在を知ったことも私の中にある「すでにあるたくさんの愛」それを「ない」と思って拗ねている自分に気付かされた出来事でした。

 

この白血病の子は、とても可愛い男の子、長く生きられないかもしれないし(余命2週間くらいとのお話)奇跡がおきるかもしれない。

 

いずれにしても、お父さんとお母さんが愛し合って生まれてきた命で、私がみたたくさんの写真の笑顔は、間違いなく愛されている中で、心からめいいっぱい溢れでる笑顔だな、と感じました。

 

 

命は長ければいいわけではないし、短いから可哀想なわけではない、

 

愛されている、愛がある、と感じる人生であることがとても価値のある人生だな、と心から思えます。

 

心と身体は今はセットだけど、きっと魂(心)はなくならずにずっと一緒にいるはず、と本気で私は思っている人です。

 

 

そう思う私が創っている現実、どんな思考も自分次第。

 

色々気付いたら、涙が止まり、辛い、苦しい、というネガティブ = 攻撃思考(病気が悪い!蝕むな!) = 被害者思考がクリアになりました。

 

すると身体が軽くなったのをすごく実感したんですよ虹

 

 

本辛くて自分ではどうしょうもない、と思ってしい、苦しい、どうしたら救われるのーー神様ーーー

 

の状態から、よく思考を見直せたな、とこんな時に思考の点検ができた潜在意識ちゃんに「ありがとう」でしたハート

 

 

 

人のせいにしない、今回でいえば、白血病のせい、余命宣告のせい。

 

全部自分次第で思考は取り換えられます。

 

この子は確かに愛されている、愛をたくさん与えられている幸せな人生であることには間違えありません。

 

 

そうは言っても・・・辛いものは辛いですよね、いなくなったら寂しいに決まっている。

 

そんな気持ちも蓋をせず、我慢しないでしっかりと感情を認めてあげることも大切なことなんですよね。

 

そんな悲しい私の気持ち、この子に勝手に感じる愛しさ、元気でいてほしい気持ちを今日は全力感じ切りました昇天めっちゃ。

 

そう思うに決まっているよ、そうだよね、涙出ちゃったね、って。

 

 

彼が元気であの素敵な笑顔をたくさんのみんなに見せてくれる現実を創ります。

 

 

命についての思考解釈、以前洋子師匠より素晴らしいお話がありましたので、今こそシェアの時かなと思います。

 

またシェアさせてください。

 

 

今日も最後までありがとうございました。

 

 

思考の学校 認定講師  山田りさ虹ハート