うわべだけじゃなく地に足つけて | PTAはPTA

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私が経験したことを基にPTAに対して感じたこと・感じていることを綴ってみようと思います。

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先週の日曜日、市民スポーツ大会の陸上競技大会があり、夜には町内会総会がありました。

大会のため朝7時に集まり、天候不安定により、急遽予選を取りやめ、すべてをタイムレース決勝にプログラム変更し、タイム計測をデジタルから急遽アナログへ変更
さらに競技役員から欠席の連絡が数名から入るという不測の事態で審判員の人員不足への対応とバタバタでの大会運営でしたが、雨も時折小雨程度で何とか無事に終えることができました。

大学生の頃から運営に携わるようになって早40年、大会も様々な変遷をたどって今があります。今回が第74回ですから半分以上の大会に関わっていることになります。

関わり始めた頃は一般的なトラック&フィールド種目で一般・高校生の大会、そこに30年ほど前にマスターズ部門が加わりました。
同じころ、小中体連主催の小学校陸上記録会が廃止され、種目を限定し小学生の部を創設しました。
そして昨年度、長年同時開催してきた小中体連主催の中学校陸上競技大会が廃止され、中学生の部を創設しました。

今思えば競技種目もその都度、小中高の指導者と協議をして、時代や選手に合わせて変更を繰り返してきて、現在の種目数は最盛期の半分くらいになっています。

中学校の大会は、学校対抗の色が強く、各学校選抜で選手派遣していた時期もありましたが、10年以上前に市内で陸上部があるのは1校だけになり、クラブチームや個人参加も可能と変わってきていました。

審判員・役員も以前は小中高の先生を充てにしていましたが、何年も前から毎年苦労していて、一人で何役も担いながら自転車運営している現状があります。

どの競技協会も大会運営側の高齢化と後継者不足には悩まされていて、将来への不安は全く同じ、先日も少年野球大会の運営スタッフも70代後半がメインになっていると聞きました。チームやクラブの指導はしたい、競技のすそ野を広げたいが、大会運営など面倒なことはしたくない、でも試合には出たい、それが多くの指導者・関係者の本音のようです。

試合(大会)のニーズはあるが運営の担い手がいない、どこもそんな状況が何年も続いているんですよね。

スポーツだけでなく、文化活動も地域活動や趣味のサークルも、またPTAなども含め任意団体全般に、NPOだってメンバー確保に苦慮されているところが多いと聞きました。

ただ、今回の大会運営で嬉しかったのは、母校(高校)OBが4人、新たに手伝いに来てくれたことです。1学年後輩が母校で顧問をしていた頃の教え子たちなので一回り以上に違う人たち、話をしてみると、仕事も子育てもひと段落して、少し自分の時間が持てるようになったときに恩師(後輩)に声を掛けられて、手伝いに来てくれたようです。
私も数回会ったことがある子もいましたが、それこそ20年以上ぶりだと思います。

都合がつけば次も来ますと言ってくれたのが素直に嬉しくて、これからも無理強いせずに参加できるときに手伝ってくれると嬉しいなって思います。
同学年同士や一緒に練習した学年と今も繋がっていて定期的に会ったりしているようなので、この先、広がりを見せるかもしれません、期待せずに期待します。

そして改めて、先生と生徒という繋がりは、教員にとって、他では得られることのない無形の財産だと感じ、素直に羨ましいと思います。

町内会総会の方はというと、資料の精度や会の進行などは役員(会長・副会長)になられた人の得手・不得手で毎年大きく違ってくるのはやむを得ませんが、それでも今年度はかなりひどかったというのが率直な感想です。不正な支出があるわけではないので承認はされるんですけど。

単身、高齢世帯の増加、効率性、負担感・負荷の問題は何年も前から課題に挙がっていて、その都度、総会で議論がされ、合意を得たうえで負担感の減、効率化・合理化してきて現在に至っています。

ただ何もかも効率性・合理性だけに焦点を当てて変革すればいいというものでもないんですよね。究極はやめてしまうことで、確かにめてしまえば目先の負担はなくなります。その分、様々なことで自己判断や自己責任が求められます。

自分一人でできる人たちは、問題なく、負担もなくなると思いますが、残念ながらできない・言えない人たちもいらっしゃるわけで、その人たちの負担感は増大すると思います。

今回は、過去にも議論して一定の結論を出した同じ事案に対し、総会に諮る前に執行部内で変更を決定事項とされ、全戸回覧されたことに疑問が呈されました。

その1つが募金問題です。
募金はあくまで本人の意思という大前提、町内会費からの支出はしないという合意形成はできています。これも過去に3回ぐらい議題に挙がって議論してきました。
それを踏まえたうえで、赤い羽根、日赤など年間5回ほど依頼のある募金を、まず一括した総額を町内会が提案、組長が各世帯から集め、均等割りしてそれぞれ募金する方式に変更したことに対する疑義でした。

各募金額を各世帯に任せれば、効率性から一年分を一括して集める方法に大きな問題はないとは思うんです。現金をだれがどこで保管するという問題をどう対処するかという別の課題はありますが。

組長さんの役割の負担軽減は、高齢化に伴い年々声が多くなっていて、以前あった町内の屋外掲示板を復活させた町内会もあると聞きます。
また、市議会でも電子回覧板(掲示板)の導入について一般質問もされています。

これからの時代にデジタル化・電子化は避けられませんが、現実としてそれに対応できない世帯はあり、全体に対して少なければ少ないほど、その世帯が浮き彫りになってしまう可能性が高くなるという皮肉さもあります。PTAも同様だと思うんですね。

かつては、身分格差があり、一人ではできなかったことを集うことで可能にしようと、集団化・組織化してきたと思います。

しかし、戦後、やる気さえあれば、本人の努力次第で成功をつかむことも可能な、個人の努力で人生を切り拓いていける、階級のない個人主義的な社会、自己責任の社会になりました。

そして高度成長期の1970年代に生まれた「一億総中流社会」という言葉が象徴するように、自分は中流の暮らしができているという人が大半を占め、「上」または「下」とする回答が合計で1割未満の社会が到来、そして今も「自分は中流」と考える人は多いようです。

しかし、データでは相対的貧困率が2021年の調査で15.4%、先進国中最悪の値という結果が出ているように一億総中流社会は崩壊し、再び格差社会、身分制社会に戻っているという指摘もあります。

ただ、実際に暮らすところがあり、何とか食べるものはあって衣服もある、スマホも持っているとしたら、リアルな経済状態などは傍からは計りしえないし、本人も皆と同じではないことを周囲には知られたくないのが本音、仮に助けてほしくても公共の制度やサービスの対象から外れてしまう人たちが、いつの時代も残念ながらいらっしゃるわけです。

 

その隙間を埋めるのがNPOやボランティアや暮らす地域での人との繫がりだったりするわけですが、それすらも徐々に崩壊しかけてきている現実。

もう一つ議題に挙がったのは町内会独自の災害用備蓄品の購入です。

高齢化率の高い居住町内の人の多くは、市が指定する避難所や避難場所まで行くことが困難、市とは全く別に、町内会として独自に災害用の備蓄品を購入したらどうかとの発議です。

この件について反対の声はありませんでしたが、高齢者が多いとはいえ、乳幼児もゼロではないので、乳幼児用や女性特有のもの、アレルギー対応の備蓄など、色々な具体的な提案が出ました。

今後執行部と町内の防災リーダーが話し合い、具体的な備蓄品、備蓄場所、管理方法、保存年限のあるものへの対応などを検討し、新年総会で議論することとなって閉会しました。

とてもいいことだと思いました。
同時に、町内会会員が、自然災害に対する基礎知識を学び、共有したほうがいいのではと考えました。
それなしでは、ただ言いたいことを言うだけで終わってしまう可能性を否定できないと私が思っているからです。

 

上っ面の言葉だけのきれいごとじゃなく、どこにでもリアルな現場があって、違う考えの人たちがそれぞれの思いを抱えながら暮らしていることを忘れてはいけないなって思えた日曜日でした。

 

 

 

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