なぜPTAはなくならないのか | PTAはPTA

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私が経験したことを基にPTAに対して感じたこと・感じていることを綴ってみようと思います。

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以前PTAの要・不要論は永遠に不滅と書いたように時代が変わってもメディアやネットで話題に上がります。同時にPTAがなくならない理由についても、ネット上でとてもよく目にします。

要・不要については、ネット上では不要の意見のほうが圧倒的に多いように感じますが、広範囲でのアンケートでの要:不要は自分が率先して活動するかどうかは置いといて何年もほぼフィフティ・フィフティなんですよね。

私は現役保護者世代は不要の声のほうが多いと予想していたので、昨年の東洋経済の1200人アンケートで必要と回答した保護者が60%を超えていたことはとても意外でした。

PTAがなくならない理由として
PTAがないと行事ができない可能性があるから
PTAの役員経験者は他の人が楽をしているのが許せないから
保護者はお手伝いとして教員に必要とされているから
PTA会費が学校の財布となっているから
日本人特有の古く伝統に固執する思考停止した気質のせい
未来の誰かのために自分が苦労したくないから

などが挙げられていますが、これらの理由だとそういう面は確かにあるけれど、本当にそれが理由だろうか?PTAの本質とはあまり関係がないと思ってしまいます

PTAに限らずどんなことにも自助(自分の責任)と公助(法律や制度)の間には隙間というかグレーゾーンがあって、誰が、どうしたらその隙間を埋められるのか?

古くは日本人が大切にしてきたお互いさまという互譲互助の精神でカバーしていて、それが薄れてきた近年はNPOやボランティアなどの活動が一躍を担っていると思いますが、最近は生活環境の一から十まですべて、義務教育・学校教育に関しては、特にその隙間さえも国や行政のお金(税)や労力で賄えと考える人が多くなったように感じています。

実際には、全国ではPTAを解散(廃止)したところがいくつかあるし、新設校や統合校では最初からPTAがないところもありますので、PTAを発足しなくても、また解散(廃止)すると当事者たちが決断すれば、全然可能、PTAなし、あるいは解散(廃止)できないということはないと思います。

敢えて言うなら「できない」んじゃなくて「しない」

また、よく目にする「PTAじゃなくてもできる」というご意見も、「できる・できない」で言えばそのとおりで、解散しても保護者会や学校応援団的なものが発足されていることが多いのも事実、中には後発的にPTAを発足したところもあるのもこれまた事実、また個人で意見をする・行動することもできるが、保護者の纏まりのようなものはいつの時代もまあまあ求められているようなので、そういった組織は全く必要ないと考える人や学校は、実際にはそんなに多くないように思います。

私はものすごく単純に、理屈でいえばPTAも保護者会も「任意団体」、結成するもしないも自由だから「なくならない」と思うわけで、PTAなら最低一人の教員の加入が必要ですが、保護者会なら極論言い出しっぺ一人でも発足は可能、個人が必要と思うのも不要と思うのも自由なわけで、理由も別段いらないと思うんです。

必要と思って行動する人がいれば、なくならない。至極自然なことだと思うんですけどね。

それを周囲がどうとらえるかはまた別の話。

こうした団体の創設の是非を考えると、いつも高校時代に創部した経緯を思い出します。
新設校で開校時は、1年生のみ、校舎は全体の1/2(すべて完成は2年後)、グラウンド(工事中で使用不可、完成は1年半後)、テニスコート4面が利用可能、体育館なし(竣工は1年半後)、武道場あり、プールなし(竣工は2年後)

学校からの部の希望調査は5月、希望者が5名未満の場合候補から抹消、通算4回の希望調査で最終決定。
野球部は大人数の希望者がいたにもかかわらず、物理的理由から抹消。
私が希望した陸上部は最終希望者3名で要件を満たせず創部できずでした。
その後、野球部希望者と職員室へ再考を直談判
野球部は復活適わず
陸上部は4度の直談判の結果、1年間試合不参加、形式的顧問、練習さぼり⇒即刻廃部の条件付きで創部を認めてもらいました。

顧問はなしで構わない、自主的に活動するからと言ってお願いしたら、最低限必要な管理責任は生徒にはできないと一括されたことを思い出します。

今思えば、学校側がよく認めてくださったなあという感想と、自分はどうしてあそこまで意地になって創部に拘ったんだろう?
正直3人(うち女子2人)とも中書き時代の競技成績がいいわけでもなく、熱血タイプでもなかったのに、ホントなんでだろう?

グラウンドがないので卒業した中学校のグラウンドを借りたり、ロードや公園利用でのサーキットトレーニング、学校敷地内で一緒に練習してもらったのはサッカー部、テニス部、ハンド部だったかな?

ほぼ「ぼっち」で毎日練習していましたが、周囲がどう見ていたのか?を気にしたことはなかった。きっと変わり者と印象は持たれていたと思う。
寂しさを感じることはあったけれど、辞めようと思ったことはなかった。

陸上部のある高校へ進学していたら、どうなっていただろう?
当時も卒業してからも考えたことはありますが、そうしていたら今の自分はないだろうと思います。

2年生になり正式な顧問が赴任された、後輩が入部した。グラウンドが使用可能になった(未完成)。リレーが組めた、決勝に残れた、個人もリレーも県大会に出場できた、入賞できた、インターハイに行けるかも、でもあと一歩だった。

大学を卒業し、4年のブランクをありながら大会に出場し始めたのは
やり切った感や自分の限界を見れていなかったから、未練があったと思います。
就職活動の時に自分の中に芯というか柱がなかったことを痛感したから

就職して5年目に大嫌いな長距離、ホノルルマラソンに挑戦したのは自分の弱さを実感したかったから。

私が今も陸上の大会運営に関わっているのはこうした経験があるから。

恩返しではなく恩送りをしようと思ったから。

全てはあの時が今に繋がっている気がします

改めて
要・不要の議論やPTAがなくならない理由を考えるのって、どんな意味があるんだろう?

その人数や割合を気にする意味ってあるんだろうか?

 

自分の考えや価値観と違う人を気にしたり、否定したりすることにどんな意味があるんだろう?

 

そんなことを考えてしまう2024年

 

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