ビニールハウス症候群 | PTAはPTA

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私が経験したことを基にPTAに対して感じたこと・感じていることを綴ってみようと思います。

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職場の後輩から、昨今は優秀だけど、逆境や困難に直面したときに打たれ弱く、すぐに心が折れてしまうゆとり世代・さとり世代と呼ばれる20~30代の社員がまあまあ多くて・・・と聞きました。

そんな彼らは一般的にもきれいなオフィスのきれいなデスクに座って、周辺機器も充実した、いたれりつくせりの環境で働きたい、まさに環境の良い、暖かいビニールハウスの中で、ぬくぬくと育ちたいと考える傾向が強いらしく、「ビニールハウス症候群」と呼ばれているのだそうです。

この言葉は知りませんでした。が、的確な表現かも?と思ってしまいました。
私も現役管理職の時代に、まさにビニールハウス症候群と呼ぶにふさわしい若者が新入社員として直属の部下に配属されてきたことを思い出します。

 面談で何度か話をするうちに、ご両親が教育関係者で、優しいけれど教育には非常に熱心、本人談から少し過干渉・過保護っぽい印象は受けました。
何事にも自分以外の他人や環境に責任や原因があると考える傾向がとても強かった、他責型症候群ともいうそうですが、世代・時代(ゆとり・さとり)と保護者の影響なのかなって当時は思いました。

でも、よくよく見渡せば、実はこの他責型思考って若い人たちだけでなく全世代に増えているような印象を持つくらい、ネット上・SNS上での発信で目にしている気がします。
世代は関係ないのかも?ですね。

職場の上司や取引先に対しての愚痴や文句、と受け取れば私も酒の肴にしたりするので特別なことではないように思えますが、どうもそれだけに留まっていなくて、過度な正義感も相まってか、国や自治体への不信感からなのか、自治体や学校、公務員への風当たりというか、特に学校には「なんでも屋?」と思うくらい、あれもこれも学校のせいにする発信が目につきます。

 「子どもの学力」への影響が顕著で、学校の教育方針に始まり教員の質やら、友人関係、カリキュラム、さらには学習指導要領などへの批判が多く語られていますが、実はそれらは子どもの学力にはあまり影響がなくて、「親の影響が80%」という研究結果、学校のせいではなく親の責任がほとんどということがはっきりと示されているらしいです。

 確かに成長・発達段階では単純に子どもたちは親と一緒に多くの時間を過ごしているので、親の考え方から影響を受け、親がやっていることを見て育つ、親の言動が、子どもを他責的な傾向にすると言われているのは当然かもしれません。

 だけど、親の影響が80%なんて報道を私は見た記憶がありません。
仮にメディアが教育問題について「親が悪い・親の責任」と言ってしまうと、どうなるでしょう?
きっと視聴者から同意を得られないばかりか反発を食らって視聴率に影響が出てしまうでしょうね。

 逆に「学校や教育委員会が悪いですね」「文科省はどうするのでしょうか」「現場の教師は何をしているのでしょうか」と、国や学校関係者の責任を追及したほうが、メディアも評論家も直接クレームを受けにくいし、視聴者の食いつきもいいし、賛同も得られやすいでしょう。

教育については、メディアだけでなく社会全体が他責型思考で、国や自治体のせいにして、実際の現場である学校を「なんでも屋」扱いしているんじゃないかと感じていて、事実、学校はサービス提供事業者と言わんばかりにあれもこれも学校に押しつけて、自分たちはお客様顔している人がとても多いように思います。

そしてそれらを「子どもたちのため」と学校も引き受けてきた過去があり、今があるように思います。

部活動もその一つでしょうし、登下校の安全指導や見守りも、学校徴収金の収受、管理なんかもそうではないかと思います。

改めて学校って何だろう?って考えたとき、以前に教えてもらったことを思い出しました。

学校は子どもたちが将来、自己実現を果たして社会の一員として幸せに生きるために、必要な学力や社会性などを身につける場。

また学校は、集団生活の場であり、集団での生活方法を学ぶ場でもある。

気をつける必要があるのは、学校は子どもたち一人ひとりの成長段階でのしつけや生活習慣は家庭教育で身についていることを前提にしていること。
一般的に人が社会で生きていくためには小学校4年生までで習う勉強ができれば特に問題はないと言われています。昔から言われている「読み書きそろばん」能力を指しているのかなって思います

ただ昨今、その子の特性によって身につくことが同じではないこと、身につけることが容易ではないことを踏まえて、特性に応じた個々への対応が求められているという現実はあります。
教育支援センター(適応指導教室)や特別支援学級、特別支援学校に加えて地域未来塾、第3の居場所づくり(学校内に居場所を作る事業)、さらにまだ学校教育法上の公的な学校とは認められていませんが民間のフリースクールなども徐々に広がってきています。

いま文科省は「コミュニティ・スクール」を謳って、その設置を進めています。

今も昔も、子どもたちは、「学校」「家庭」、そして「暮らす地域」を学びと生活の場としていて、それぞれの場でそれぞれの顔を見せながら、人と繋がりながら生活をしているはずです。
学校という場所から離れて、それぞれの家庭や地域にいる時には、それぞれの環境の中で人やモノ、出来事から多くを学んでいるはず。さらに、かつてはその場で起きた様々な問題は、それぞれの場で、それぞれの人間関係の中で解決、自己完結がされてきたと思います。それはそれぞれに自立性があったからこそと言われていましたが、残念ながら今の時代、それができていない。地域コミュニティの崩壊、子どもたちを守り育むための子どもたちを取り巻く大人たちの環境の側に深い問題があるから。

だからこそ今、国は真に三者が連携し、協力しながら、子どもたちを皆で育てていく構想、コミュニティ・スクールを改めて打ち出して、それを推進しているんだと思います。

家庭教育と学校教育の役割をお互いがしっかりと理解して、お互いに責任を果たす、足りない部分はお互いに補完しながら子どもの成長を支えることが大切。
私たち保護者も教員も知らないことは多い。子どもたちと同じで知らないことは学べばいい。そして学んだことをそれぞれのフィールドでそれぞれが実践することがPTA会員の本質。

PTAとコミュニティ・スクールの考えはほぼ同じだと私は思うのですが、いかがでしょうか。

でも実際には家庭教育で身につけることを学校の指導に委ねる保護者が増加中と聞きます。
学校で食べ物の好き嫌いをなくしてほしい。
食べ方を上手にできるように指導してほしい。
子どもが夜更かしするので指導してほしい。
子どもが、朝、寝坊するので電話をかけてほしい。
 などの要望が実際に結構な割合であるそうです。
 学校の指導が悪いとクレームが入ることも少なくないと聞きました。

 学校をサービス提供事業者だと思っているから、お客様相談室にクレームを入れるような感覚で学校に責任を追及しているかもしれませんが、なんでもかんでも学校のせいにするのはある意味、保護者としての責任逃れだと私は思いますがどうなんでしょう?

学校内で何か起きた、いじめ問題とか、事件性があるコトなら学校が責任をもって対処することになると思いますが、学校外で起きた、例えば事故や揉め事、いたずら、事件案件などは、子どもを育てる責任のある家庭が対応するのが本筋で、学校は直接関係ないんですよね。

昔は社会全体がそれを理解していて、学校、家庭、地域、それぞれの場所で起きた問題のほとんどが、その場で解決、自己完結してきたと思うんです。例えば地域で起きた事案は、保護者にも伝えず、子どもと相手の当事者間だけで完結し、親が後から知るケース(事後報告)も結構あったと思います。
その場合、学校は全く関わりがないので、連絡は来ないし、仮に連絡があっても、学校でやるべきことはほとんどないので聞き置くだけ、念のため知らせただけで終わっていたはずですよね。

 いつの頃からでしょう?
学校外で事件や事故、揉め事があった場合でも、普通に学校に連絡が入るようになったのは?学校の先生が出動を求められたり「○○学校の児童生徒が△△したのに、謝りに来ないのはなぜか?」とあたかも学校に責任があるかのように言われるようになったのは?
仲介なしの当事者同士で解決できなくなったのはなぜでしょう?
学校の児童生徒指導がなってない!ということでしょうか?

そういえば金八先生シリーズでそういうシーンがあったかも。

う~~ん、思い出せない。

 

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