行動する人は愚痴らない 愚痴や文句ばかり言う人は行動しない | PTAはPTA

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私が経験したことを基にPTAに対して感じたこと・感じていることを綴ってみようと思います。

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部活で、仕事で、またアルバイトなど多くの場面で、諸先輩たちからよく言われた言葉です。

私が「べき論」を好まないのも先日の記事にも書きました「ゴミを捨てる人は拾わない、拾う人は捨てない」も同じで、○○すべきと正論をいうだけで自らは動かない人を実際に多く目の当たりにしてきました

かくいう自分も、批判や文句を言っているときは、行動していないときだったと反省しています。

 

また、自分にできないことを他人に対して求める行為をたまに目にしますが、これは人としてどうでしょう?

 

人は「自分を認めてもらうために」愚痴や文句を言うことが多いらしく、承認欲求は誰にでもあって、振り返れば思い当たる節も数々ありますが、自分はできない(しない)のに、それを他人にやれと求めるのはちょっと違う・・・

 

ただ、物事を進めるうえで自分にできないことを、できる人に協力してもらうことはとても重要だと思うし、特に仕事では、自分にできないことをできる人が一緒にやってくれることによって、全体が機能するようになっていきます。いわゆる「チーム力」というものですよね。

 

そうなるためには何が必要なのでしょう?

単純に言えば、「自分(だけで)はできないから、手伝って(協力して)もらえますか?」というお願いする力だと思います。

 

でも、これが日本人ってあまり得手ではないというか下手くそなんだすよね。

お願いできずに立ち止まったままだったり、「お願い」が「命令」や「強制」だと受け取られたり・・・

 

もう一歩突っ込んで言えば、自分にできるか否かではなく、どうしたら自分も含めた周囲の人たちが気持ちよく自分事として機能するようになるのか?が仕事においても日常生活においても重要なわけで、それには、自分がどのように自分以外の人と関わっていくのか?に大きなウエイトがかかっているような気がします。

 

権利とか義務とか責任、自由とか、もちろん大切ですが、一番の根底には他人の幸せも自分の幸せとするという価値観をもって、自分以外の人と関わっていければ、変わってくると思うんですよね。

自分の経験知だけに頼らない想像力と自分とは違う価値観を受け止める包容力とでもいえばいいのかな?

簡単ではないけれど、大切なことだと思います。

 

年度替わりのこの時季、ネット上ではPTAに関して、未経験の人の不安や疑問の声、あるいは自らの経験から語られる問題点や悩み、批判や非難、それこそ文句・愚痴の類などが入り乱れて、数多く発信されています。

 

経験上で語られている事柄はそこで起きた事実だと思いますが、事実と印象は別物で、その解釈は発信者のフィルターがかかっていて、特に法的な解釈は容易に確定できるものではないと色々なご意見を拝読して思います。

 

PTAってなんだ?って疑問を持つこと、知らないことを知ろうとすることは、はじめの一歩としてとても大切だと思うし、ネット上ではたくさんの参考になるご意見やお考えに触れることができます。

そして、情報を得れば得るほど、知れば知るほど、運営方法も活動内容も千差万別であることに気づかされます。

 

これは自分が関わる(であろう)PTAも同様で、今の運営方法や活動内容が設立当初から同じであったかと言えば、やはり時代に合わせて少しずつ、時には大胆に変化していることが分かるはずです。

公立の小中学校は地域とともにある学校ですから、学校の成り立ち、地域の歴史や土地柄、風土、住民の特性などの影響も大いにあります。

 

ネット上での様々なご意見は参考にはなりますが、それを鵜呑みにして自分のところに持ち込むのはちょっと危険、やはり自分が関わる(であろう)PTAのことをよく知ることが一番大切だとつくづく思います。

 

PTAで設立当初から変わらず全国共通なのは、任意団体であり任意加入の団体であること

 

とはいえ、お子さんの入学とともに入会の意思確認もなく自動加入というPTAも全国的には多く、残念ながらPTAの違法性をっての裁判も実際に起きていて、その判決に対しても様々な解釈が飛び交っています。

 

専門家でも解釈は分かれ、そもそもPTAに限らず任意団体は、団体外から団体に何かを強制することができない、団体からも団体外には何かを強制できない、さらに団体内部では内部規約等が適用されるのが原則であり、裁判というのは権利義務の存否を確定するものから、裁判でPTAの違法性を糾弾し、例えばコサージュや饅頭プロブレム、通学班はずし、あるいは学校施設の利用などの問題を解決するのはなかなか難しいだろうと仰っています。

 

確かにどの問題も、モノサシとなっているのは「法」的な根拠ではなくて、PTAの理念にそぐわないのでは?と云った私達が「道義」「モラル」「倫理」「道徳」と呼んでいるものがほとんどだと私には映ります。

 

PTA活動はこんなに楽しいとか参加するとこんないいことがあるというのも、逆にこんな活動はしてはいけないとかPTA活動は必要ないというのもあくまで発信者の主観なんですよね。

 

自分が運営側を経験してきて実感するのは、保護者の人たち全員に加入してほしいという思いがあったとしても、強制はできませんし、無理強いはしないほうがいいということ。

 

仮に加入したくない、PTAに賛同できないという人を無理やり加入してもらっても、活動には参加されないでしょう。また心情的に納得していない、あるいは物理的に参加が難しいのに、無理やり役員や委員になってもらっても同じように役員や委員の任は担えないでしょう。どちらも嫌な思いをするだけで、いい結果は生まれません。

 

自分も自分以外の人も幸せに と考えたとき、できるときにできる人ができることを

自分の意思で決めて行動する

 

例えば登下校の問題

アメリカ、フランス、イギリス、イタリア、ベルギーなど欧米諸国は保護者の送迎が義務づけられていて、朝の校門付近は送迎の車で渋滞するらしいです。

中には学校に届け出をだせば、登下校を大人の付き添いなしでできる国もありますが、大前提に「登下校中に何か問題があってもそれは学校の責任ではない」が周知されていて、その環境で子育てをしているので、それが当たり前であり、保護者は送迎の時間を基準にすべての用事を片付ける習慣がついているといっていました

 

日本だって登下校中の問題は学校ではなく保護者の責任のはずだし、共働き世帯が多いのは日本だけでなく諸外国も同じ。

なので欧米では、会社もフレックス制が導入されていたり、保護者が迎えに行けないときにシッターさんがお迎えに来ている家庭も多いらしく、そうしたシステムが整備されているんですが、その点では日本はまだまだシッターさんなどの料金も高いため利用される家庭は少なく、家族以外の人のサポートを得るのは日本ではなかなかな簡単ではないですね。

実は私が保育園児の時、お互い様システムで路線バス通園をしていましたが、保護者の人が交替当番制で付き添っていました。

 

時間との戦いは世界共通ですが制度の整備は国によって違います。だから日本には独自の集団登下校のシステムがあり、安全確保のため、保護者や地域の力を借りて見守りをしてくださっている。これってとてもありがたいことだと思います、子供たちのために自分の時間を割いて見守りをしている人たちがほとんどなのですから

 

日本の子どもたちが、諸外国と違って子どもたちだけで登下校できるのは日本の犯罪率の低さ・治安の良さが一つ。そしてある程度配慮が行き届いた都市計画。さらに車を運転する人たちも、歩行者や自転車に道を譲るべきことをちゃんと認識できてことが要因だといわれています。

 これは、現代の日本人が忌み嫌う集団主義社会に起因していると言われています。子どもたちは、何かあれば地域コミュニティに頼ることができ、お互いに助け合うべき、自分は集団の一員であると教わっているから。

 それって個人を蔑ろにしているわけではないと思うし、大切なとても大切なことのように思うんですけど、違うかな?

 

 

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