つい先日まで、いや今も、これからは個の時代と主張されている人はたくさんいらっしゃいます。
SNSの普及により個人のスキルやネットワークが可視化されるようになり、それにより価値観の多様性が社会全体に周知され、これまでの画一的な進め方より、個人の持つ強みや特性を活用したほうが効果的と自分に付加価値をつけていくことが重要と言う考えが広がっていることが一つの大きな要因。
裏を返せば、これまでの個の力を発揮しなくても発展し、成長できた社会の仕組みやシステムが盤石ではなくなり、自分なりの生き方や働き方、ライフスタイルを模索する必要性が出てきていることが個の時代到来と言われる由縁ではないかと云われています。
その一方で、ここ最近、個の時代は終わったと言われる人たちも増えてきました。
えっ?もう終わったの?終わってないの?
昔は様々なしがらみの中でなかなか個人で活動することや自由に発信することができなかったことも、今は個人で活動することも簡単に発信することもできるようになりました。
終身雇用制などこれまでの安定的な社会の仕組みやシステムが盤石ではなくなり、崩れてしまった現在、組織の中で役割を果たすこと以外の選択肢、フリーランスというような個人で働き、輝くこともそれほど難しい、珍しいことではなくなったため、これまで重宝されてきた。注目を集められた個人での行動や発信に希少価値がなくなってきてしまったため次の展開が求められていると言う主張です。
じゃあ、次はどんな時代なの?
多くの人が次は「コミュニティ」の時代と仰っていて、キングコングの西野氏なんかは、それを「集落」の時代と発言されていました。
コミュニティと言っても今までにない新しい仕組み、これからのデジタル社会を象徴するようなオンラインサロンという仕組み、月額会費制のWeb上で展開されるクローズドなコミュニティなんだそうで今の時代に合っているんじゃないかということのようです。
会社内だと基本的に会社の価値観に染まっている・固まってしまう可能性が高いけれど、オンラインサロン(コミュニティ)には色々な人たち、起業家や会社員、フリーランスや専門家、芸術家などが集っているわけです。そこで仲間をつくった後に独立するという流れが生まれてきているとのこと。
加えて「自己実現の場」として活用すること可能で、会社内ではなかなかできないスキルの掛け算が、こうしたコミュニティでは挑戦しやすいというのも大きな魅力。
そんな新しいコミュニティといわれる仕組みでさえも、最も大切なのは、専門的なスキルではなくコミュニケーション部分。自分は何者で、これから何したいのか?をきちんと嫌味なく伝えられるかがカギ、結局は人と人とが繋がるもっともベーシックな部分、信用に値する人かどうかに因るらしいんですね。
形が変わろうとも根っことなる最も基礎的なことはずっと同じということなんだと教えてもらった気がします。
同じ理念を持った者、同じ方向が見えている者同士が寄り添って、個々の発信力や能力を掛け合わせる、お互いが力を合わせないとこれからは存在できなくなってきているので「コミュニティ」「集落」の時代になったと感じていらっしゃるようです。
例えば、コミュニティでマッチングできた仕事の契約の中に応えられないことがあった場合、「これには応えられない」との正直な発言をすることになりますが、「この契約書の一字一句まで守らなくていい」というような余裕というか余白を与えてくれる関係がコミュニティでは形成できる、個人事業主であるためそんな相談しながら進めていける関係性は本当に大事だと改めて痛感したとか。
これまでの日本のことをムラ社会と自ら揶揄する日本人は多いですよね。
確かに昭和から平成にかけて、日本の会社という組織は、ある意味学校の延長のようなもので、仕事以外の趣味もレクリエーションも会社が用意してくれた面がありました。
仕事帰りの飲み会・飲み屋さんは放課後の部活であり部室、週末のテニスやゴルフは「遊園地」などと言われていました。自分だけの趣味がなくても、無理なく繋がっていられたムラ社会。
しかし近年、それも終焉を迎え、小泉内閣の規制緩和のように、繋がりという規制がどんどん緩和され、開放された安堵感とともに、それは自分で自分の将来設計をしなくてはいけなくなったことにもなり、戸惑う人たちがたくさんいるとも言われています。
しかし、これもまた日本らしいのか、そうした「おひとりさま」の需要を満たす社会インフラが整備されてきているんですよね。コンビニやカフェ、パチンコ、飲み屋さんでも話しかけられずに済むなど一人でも快適に過ごすことができる世界でも珍しい国なんだそうです。海外から見ても、日本ほど色々なところで一人になれる国はないそうですよ。
そこへ新型コロナウィルス蔓延によるリモートワーク
元々日本は会社、組織中心のメンバーシップ型の働き方が多く、私もそうですが意識も切り替わっていないため、部分的にリモートワークを導入したことで、孤立感を深める人も多いようで、そういう人たちは疎外感や孤立感が深まっているようです。
欧米社会は、働き方がジョブ型と言われていて、仕事を切り分けて成果評価することに慣れているため、それほど抵抗感もなく、セーフティネットとして、会社や地域、SNSでも緩やかな繫がりを持っているため、日本人のような疎外感を持つ人は少ないようです。
繋がりというのは喜びも苦しみも内包しているもの
何かで読んだ記憶があります。
人がストレスを感じることの大半は人間関係の問題に集約されている。
それは人間という存在のジレンマだけど、繋がりがなければないで辛いし、あっても辛い場合がある。
物理的に一緒にいないのに、心理的に一緒にいようとするのは日本人に限らず結構難しいらしいですが、欧米では、仕事だけでなくプライベートでもジョブ型なので、孤立しないで、色々な形で緩やかに繋がることができている。
日本社会がいきなりメンバーシップ型からジョブ型に移行するのは難しいと思いますが、昭和時代のような社会になることもないと思います。
でも、個の時代といわれる現代でも、コミュニティの時代といわれるこれからも、人と人との繫がりをなくしてはいけないんだろうなと思います。
繋がり方、いつも一緒にいなければならない、同じ行動をしなければならない
そんな強固な繫がりではなく、顔を合わせても合わせなくても、課題や問題意識が共有できて、時には協力し合えるような緩やかなネットワークはリアルにも必要なんだろうと改めて思いました。