「ネット弁慶」という言葉があるんですね、恥ずかしながら知りませんでした。
リアルの世界では大人しいが、ネットの世界では元気がいい、発言がネット上でのみ強気な性格の人のことを指し、リアルでの「内弁慶」に引っ掛けて表現したのが「ネット弁慶」だそうです。あまりいい意味でないことはわかりましたが、私も今では誰も信じませんが、子どもの頃は内弁慶だったので、なんとなくわかります。
だからネット弁慶と呼ばれる人は、リアルな実生活では他人を威圧する態度をとることはなくて、大人しく、人見知りだったり、あまり注目されなかったりすることが多いので全く気づかないかもしれません。
リアルとネット(特にSNS)では別人格というのはよく耳にしますが、10代から30代の利用者アンケート調査でも4割以上が人格を使い分けていると回答していて、さらにメディアごとに使い分けているという人が半分以上。例えばFacebookやインスタグラム、ブログではまじめでキラキラなリアル充実キャラが、匿名のTwitterでは毒吐き専門だったり、おふざけ中心の陽気なキャラだったり。
そうしたSNS上とリアルで別人格な人についての印象は「普通だと思う」が4割弱でトップに。ほかにも「本心を知ることができる」、「面白いと思う」など理解を示す寛容な回答が多くあがる一方で「どちらが本性なのか分からない」「怖い」「気持ち悪いと思う」といった印象を持つ人も少なくないようです。
世の中の多くの人はリアルとネットで別人格というのは容認というか普通だと思っていらっしゃるようです。
人との会話で、仮に同じ内容でも、言葉遣いで相手に与える印象は変わってくることは皆さん経験されていると思います。言葉の使い方は重要だということですが、それをリアルとネットの世界で使い分るということは、相手に対し自分の印象・影響などを使い分けているということになると思います。
よく言われているのが
リア友よりもネトモが多い人は、実社会よりもネットでの影響力を重視していて、ネット上で精力的な活動を行っていることが多いと推測され、
逆にリア友の方が多い、あるいはネトモの中にリア友と共通の人物が多い人は、実社会とネット社会の中での活動にあまり差がないか、実社会と直接かかわりのある活動をネット社会でも行っている可能性が高いと言われます。
また、正義感が強く、マナーを守らない人や間違っていると思うことは指摘しないと気が済まない、でも実社会では口にできない、ネット弁慶さんにはそんな特徴もあるようです。
人の役に立ちたいけれど、現実に行動に移すには勇気も努力も必要で、周りの人に注目されることにも抵抗があるので実社会では動けないけどネット社会なら、周りの目を意識することなく困っている人の相談にのったり、自分の知識をフルに披露できる、自分の願望を満足させる場としてネット社会を利用している人も多いようです。
リアル社会では目立ちませんが、ネット上ではオピニオンリーダー、自分のペースを守りつつ、積極的に自分を表現したいと思っている人にとっては、ネット社会というのは自分の才能を発揮できる場かもしれませんね。
リアル重視であれ、ネット重視であれ気をつけておきたいのは、自分とは考えの違う他者を過剰に攻撃しないことと話を必要以上に盛らないことでしょうか。
私個人は匿名を使っていますがネトモという人はいないので、基本はリアルで起きたことや感じたことをネット上に書いています。文字や文章にするのは難しいもので、すべてがすべて書けているとは思いません。
同じように自分以外の人のものを拝読するときには、リアルでは存じ上げない人ばかりなので表現されたものをそのまま受け止めていました、仮にリアルとは別人格だったとしても。
同じような感じで「空気を読む」「空気を読まない」「空気を読めない」という言葉も最近気になっています。
空気を読むというのは、その場の状況や雰囲気から、今、自分がどのような行動をとるべきかを察し、判断すること。と言われています。
KYという言葉が流行語になったほど、日本では一般化された言葉ですが、最近少し耳にすることが減った気がします。同じような意味合いの言葉「忖度」が流行したからかな?
日本独特の文化かと思いきや海外にも空気を読むという言葉はあるようですが使い方はずいぶん違うようです。
でも、空気を読んで行動するって実際には結構難しいと思うんです。
まず、暗黙の了解といえるくらい、求められていることを瞬時に把握しなければできないので、相手の気持ちを理解できるかが重要になってくると思います。
普段からコミュニケーションが上手くとれていれば、相手がどのような性格的特徴があって、どういうことをしてもらうと喜び、嫌がるかが分かりますが、コミュニケーション不足だと、相手の心情や状況もつかみにくい、空気は読みにくいことになります。ましたや全く知らない人とでは空気の読みようがありません。
また、現状が把握できなければ、周りから自分に求められていることも把握できないし、相手の心情をつかめない、そもそも相手に興味や関心がない、相手の気持ちに寄り添う気持ちが欠けている場合は、相手の求めていることや自分のすべき行動が見えてこないと思います。
空気を読む・読まないっていうのは単純に「相手に合わせる」「相手の言うとおりにする」あるいは「相手の考えに反対する・文句を言う」ことではない。
大切なのは信頼関係とTPOだと思うわけです。
例えば、ある事象について空気を読んで暗黙の了解で蓋をしているっていうことは往々にしてあると思うんですが、これは正直、みんなが触れられたくない・避けて通りたい道だったりするわけで、
でも、そこを避けていては、問題は解決しないし、前にも進めないことも多いと思います。
空気を読む・協調性だけでは、うまくいかないことは実際にはたくさんあると思います。
そんな時は敢えて空気を読まない(AYK)行動が必要、言う方も言われる方もちょっときついかもしれませんが、話の流れ、つまり空気に違和感があるなら、あえて空気を読まず、その違和感を伝えることが大切だと思います。
しかし、これをうまく伝えるには、言葉選びが大切で、かつ相手との信頼関係が成立していないと難しいと思うんですよね。
空気を読むということもとても大切なことだと思います。
「察する」とか「阿吽の呼吸」とか「アイコンタクト」もそれに近いのかな?
忖度はちょっと違う気がするけど。
一方で空気を読まないということも大切なことだと思います。
要は使い方、TPOに因るのではないかと。
最近は白か黒か、善か悪か、右か左か。「二項対立」の視点で捉えようとする意見が目立ちます。
でも、正しいのはAか、それともBか、とすべてを二項対立で捉えられるほど、世の中は単純ではありません。それも十分わかっているはずなのに白か黒かを求める人たちのなんて多いことか。
最近知った松下幸之助さんの残した言葉が頭をよぎりました。
「心に縁側を持て」
今の若い人は「縁側」って知らないかもしれませんね?
「サザエさん」とか「ちびまる子ちゃん」を見ればわかるのかな?
建物の外側にある板敷、家の「内」と「外」を繋ぐ場所であり、どちらともいえる場所。
ご近所さんと気楽におしゃべりしたり、日向ぼっこをしたり、居眠りできる場所。
そんな場所を心の中に持ちましょう。
つまり、外だ内だと固定概念に囚われず、曖昧さ、その大切さを認めましょう
考えの違い、判断の違い、立場の違い・・様々な違いを受け止めましょう
そして自分なりの考えもしっかりと持てるように
日頃から考える習慣を身につけましょう。
そんな思いが込められた言葉だと教わりました。
詰まるところ、そこに落ち着くことに私自身はなりました。
皆さまはどうでしょう?