父から、祖母が書いたという戦中戦後の手記が送ってきた。
1940年に祖父母は東京の原宿に、80坪の敷地に家を建てたところから手記は始まっていた。
当時祖母は31歳で、4人の子供を持っていた。
その家は終戦の年の1945年5月の東京大空襲で消失。
戦前の日常や空襲のひどい惨状、命からがら家族で生き延びた日々。
赤ん坊を背中に背負い、配給のために何キロも並んだり歩いたり。
疎開した先の北海道でのひどい惨状。
疎開した先での、それまで高学歴だけで生きてきた祖父が生きるか死ぬかの家族の命運がかかっている状態で、なにもできずに結局父や祖母がどろどろになって働いて一家を支えた状況。
戦後の北海道の生活はそれほどひどくて読んでいても、目をそらしたい気分になる。
東京から北海道へと家族を連れて疎開する祖母が書いた一文が、とても心に響いた。
「もう戦争は嫌だ。もっと静かな所で死にたい。そんなことのみ考えて、他のあらゆる忠告は耳に入らなかった。また主人をその妾から遠ざける思いもあった。何もかも消えてくれ、あの綺麗な家も消えてしまった。何もかも夢のかなたに、淡雪のように消えてしまえ。そして新しい人生が始まるのだ。」
この時祖母は35~6歳あたり。
家は焼失し、夫は頼りにならず、4人の子供を抱えその今まで築いた人生をリセットされ、ゼロからの出発を胸に抱えての移住。
今祖母は103歳になって、特養老人ホームで元気で生きている。
祖母たちの年代~私の両親たちの年代の人たちは、私が想像もつかない世界を若い頃に経験してきた人たちなんだなと祖母の手記を読んであらためて認識した。
すごいな~、まさに時代の波に飲み込まれ地獄の底から這い上がってきた印象。
ただその経験は、日本各地の場所によってもかなり違うのかもしれない。
夫の母や私の母は福岡の農村部にいて、そんなに苦労はしていないようだった。同じ時代に生きても、経験は雲泥の差がありそうだ。
占星術でいう破壊と再生を直に経験した人生。そしてその後の日本の高度経済成長も経験した世代。
すごい世代だと思う。
その後、祖父と父親の確執が始まったということを父の手記で読んだ。
しかし皮肉なことに、父は私達、姉弟と関わることは大人になるまでなかった。
祖父の自己中心性や、究極の時の頼りなさ、家族を守ってくれる絶対的な存在ではないことが祖父との確執の大きな要因ならば、父は同じことを自分の子供にしたということになる。
私も弟も、もう充分に大人になっていて父を責める気はもうとうないけれど、毛嫌いしていた自分の父親との共通性を彼は認識しているのだろうか。
父も年老いて、今は義母と幸せに暮らしていて私は心から残りの人生を穏やかに過ごして欲しいと願っているけれど、彼がそこをどう思っているのか聞いてみたい気もする。
占星術でも、父親や母親の自分の中のイメージを(太陽と月)、自分が結婚したあと自分自身を同じように父や母のイメージに無意識に投影してしまう事が多い。
毛嫌いしていた父や母といつの間にか、同じことをしていたりすることは多いと言える。
私も子育て中に、あれほど嫌だった母と同じことをしたことが何度となくあり、それは一番上の子に集中し弊害を及ぼしたこともあったと思う。
子育てにおいては、問題はやはり一番上の子供に出ることが圧倒的に多いと聞く。
それは、イコール親自身の未熟さを物語る。
私は占星術を深く勉強してから子育てをしていたらと、後にすごく後悔しきりだった。
ちなみに私の母も祖母が22歳で初めて産んだ最初の子供で、父も最初の子供だった。
親子や世代の連鎖ってどこまでつづくのだろう。