焼き場に立つ少年 | ニコリーヌの 夢見る頃を過ぎてもSAPHO症候群とともに

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「焼き場に立つ少年」というタイトルの写真をご存知でしょうか。ご存知の方も多いと思われますが、この写真に伴う素晴らしいみみさんの記事を転載させていただきます。


みみさんのブログ[失意の恵み]

2020 年8月16日 「焼き場に立つ少年」ジョーオダネル司に学ぶ  より転載




一昨年前の展示「トランクの中の日本展」

「焼き場に立つ少年」と写真家ジョー・オダネル氏をもっと知りたくて足を運んだ。

 

この写真を撮ったジョー・オダネル氏は、終戦直後の9月占領軍のカメラマンとして日本に上陸、広島や長崎をなど原爆で荒廃した都市を記録して回った。後に原爆症とも考えられる体調不良の中で、自分の心の奥底にしまっていた戦争の記憶を振り返り、43年間トランクにしまっていた写真を公開。

軍人からの批判を受けながらも、屈することなく生涯、平和のための活動を続け、、

2007年8月9日、この「焼き場に立つ少年」を撮った長崎の原爆忌と同じ日に氏は86歳の生涯を閉じている。

 

オダネル氏は日本に敵愾心を持って上陸したのだが、現場を写真に収め、何人もの日本人と会って交流を重ねていくうちに、日本人への考え方が変わっていった。

 

佐世保の庁舎で市長に会い、食事に誘われて見事なご馳走に感激したオダネル氏は料理を作ってくれた人にお礼が言いたいと市長に奥さんのことを尋ねると・・

一カ月前の爆撃で亡くなったことを通訳から教えてもらう。彼は心が傷み、

馬鹿なアメリカ人が失礼なことを伺って申し訳ないと伝える。

 

福岡の街では老人から「息子のような君に日本のありさまをアメリカに伝えてほしい。

あの爆弾で家族も友人も死んでしまった。あの爆弾の惨状がどんなものか写真を公開してほしい」と頼まれ、その言葉を忘れないようにメモを取った。

 

こんなエピソードから オダネル氏は謙虚で心優しい青年であったように感じられた。

 

 こうした交流を通して彼の心は変化し、「自分たちが戦っていた相手がどのような人たちであったかを知り、自分が描いていた日本人のイメージとのギャップに苦しんだという。

「神様、私たちは何とひどいことをしてしまったのでしょう」

 

『焼き場に立つ少年」との出会い

「・・・私は少年から目をそらすことができなかった。少年は気を付けの姿勢でじっと前を見続けた。一度も焼かれる弟に目を落とすことはない。軍人も顔負けの直立不動の姿勢で弟を見送ったのだ。・・私は彼の肩を抱いてやりたかった。しかし、声をかけることもできないままただもう一度シャッターを切った。急に彼は回れ右をすると背筋をピンと張り、まっすぐ前を見て走り去った。」

「私は軍隊の影響がこんな幼い子供にまで及んでいることを知った。アメリカの少年はとてもこんなことはできないだろう。直立不動の姿勢で、何の感情も見せず、涙も流さなかった。

そばに行って慰めてやりたいと思ったがそれもできなかった。そうすれば、彼の苦痛と悲しみを必死でこらえている力を崩してしまうだろうから・」

 

オダネル氏の「平和への願い」

私はハワイ奇襲した日本に敵愾心を燃やし、敵をやっつけたいと意気込んで入隊したのですが・・終戦直後の日本各地を撮影して歩き、苦痛に耐えて懸命に生きようとする被災者たちと出会い、それまで敵として捉えていた日本人のイメージがグラグラ崩れていくのを感じたのです。

・・・・・・心に焼き付いた辛いイメージ。

もう逃げるのは止めようと思い、43年後、ようやく写真を収めていたトランクの鍵をあけました。

ジェニファーと会ったのはその頃です。「その体験をまとめないといけないわ。写真展を続けて、本も書くのよ」と、二人の共同作業はこうして始まったのです。

1945年の夏キノコ雲の下で何が起きたのか。その恐ろしい事実を伝えていくことが私の使命だと思うようになったのです。

 

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ジョーオダネル氏の心の変化と葛藤から学べることは・・

 

一つは現場を見ることの大切さ、現地に行って初めてわかることがあるということだろう。

現地に足を運び、自分の目で確かめ、人の話を聴くことで、真実を理解し、

自分の感性でありのままを受け止めることができる。

 

オダネル氏も日本に対するイメージは悪かったようだが、現地に赴き、

心を開いて人と話をするうちに日本人も自分と同じ人間であることに気付かれたのだと思う。

そして人との交流によって、人種による差別や憎しみは消えていく・・。

 

オダネル氏の言葉「敵愾心は消えて、その気持ちは葛藤となった。」

 

心が通い合う人間同士は敵ではない。だから、憎み、戦う相手ではない。

敵国日本の人たちを見て、敵とは思えない気持ちが働いたこと。

これは彼の気づきなのだろう。

 

前の記事にも書いたが、平和学習では

敵は戦争を始め、戦いを強いる政府であり、

戦わせられる国民は同じく戦争の被害者だ」ということを学んだ。

 

硫黄島の戦いで未亡人となったアメリカの女性が、日本人の遺族に言う。

 

私たちは被害者同士ではありませんか。

日本人のあなたが悪いのではありません。

戦争を始めて、沢山の兵士を殺した両国政府が悪いのです。」と。

 

「硫黄島・・」というテレビドキュメンタリーを制作されたテレビ朝日のディレクターは

この場面が一番大事と仰った。

 

戦争を始めたいとき、政府はターゲットを決めてその国を悪く言い、

我が国が脅かされると言いふらす。

 

でも実はそうではない。

 

人間は、心が触れ合えば皆仲良くできるということにオダネル氏は気づいた。

 

政府の都合やマスコミに煽られて、国家や人種そのものを憎んだり、嫌ったりする愚かなことはやめよう。

 

まだ中学校で教えていたころ、夏は平和学習授業をしていた。

 

その時の生徒N君の忘れられない感想

 

僕たちは戦争の悲惨さをわかってる。

国民のほとんどは誰も戦争したいなんて思ってない。
戦争したい奴がいる、戦争を利用して金儲けしたい奴がいるから戦争になる。

そういう奴や為政者、政治家にこそ平和教育をすべきだと思う。

本当にそのとおりですよね。

私達は騙されないように、戦争を利用しようとする人たちを見極め

監視しなければいけないと思う。