片道、約2時間のドライブです。
このところ毎週通って、片付けてきました。
母の施設にも、頑張って毎週1~2回通い、経過を話してあげていました。
おセンチになりがちな私に比べて、
母は自分の家が無くなる事に対して、けろっとしているのが、救いです。
母は、ドライで、過去に向かって後ろ向きにならない強さがあるようです。
母のものを随分、私の小さな家に運んで、衣類のケースはほぼ、天井までとどきます。
実家のご近所への、工事開始の挨拶は、すでに済ませてあります。
母の手作りの人形は、50~60体?あったうち、四分の三ぐらいはうちに運びました。もらってくださる方にも差し上げました。
今日は、持って来てあげられない20数体の人形に、気持ちばかりのお供えをしてきました。
ゆめさんに教わったようにしてあげたかったのでしたが、残念ながら時間と体力がありませんでした。(u_u)
なので、ささやかに、手持ちの駄菓子と、お水、お砂糖、お塩・・・・など.何も無いし、良い知恵もうかばなかったので、おかしなお供えです。
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190823/22/nikorinu/67/53/j/o0768102414548625967.jpg?caw=800)
長い間、母と一緒にいてくれてありがとう。私の家に連れて行けなくてごめんね。
ありがとう。さようなら。
そして、狭い家のそれぞれの場所にも、ありがとうと、バイバイを言って、
最後に電気の明かりが灯った部屋部屋の写真を撮ってきました。
庭の草は、時々草取りに来ていましたが、私がこの冬に歩けなかった時以来伸びっぱなしで、ヤブカラシは、場所によっては屋根までツルをのばしていました。
その、ヤブカラシのツルを、杖で振り払い、外からの写真も明るいうちに、撮りました。
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190823/22/nikorinu/7d/15/j/o0236031414548625971.jpg?caw=800)
今日は一人きりでしたので、遠慮なしに、時々涙をこぼしながら「ありがとう」を言い、十分にお礼と、お別れをしてきました。
それでも、二度と見ることができないと思うと胸が潰れるおもいです。
この小さな古家は、
母のイメージにピタリと重なります。母そのものでした。
やれやれ、私のおセンチには、困ったものです。f^_^;)
解体の後に、仮に新しい家でも建てる未来があるなら、
新しい希望によって淋しさも拭われるかもしれません。
が、ここは借地なのです。
更地にして返却します。
明日から、工事業者の方が入ります。
ですから、完全にサヨナラです。
でも、これで地代、駐車場代の出費が倹約できます。
空き家の事故などの心配もなくなります。
私が老いれば老いるほど大変になる用事が終わるのです。
と、考えれば、
ホッとして、解放されるというのが
客観的な見方かもしれません。
だから、これで良かったです。
私にできることは、
全身全霊を傾けて、頑張りました。
もう、後ろ向きになってメソメソしないようにしたいです。
追伸
行きがけに車の中で聴いた音楽は、
マーラーのアダージョと、
スメタナの「我が祖国」でした。
この世で一番美しく優しいのではないかと、かねてから思っていたマーラーのアダージョ。(交響曲第五番の第四楽章)
そして、美しくて、力強い「我が祖国」(モルダウで有名)
この2曲が、ハンドルを握りながら片手で適当に操作して出てきたのは、ナイスでした。