実家解体。できることを全てしてきました。 | ニコリーヌの 夢見る頃を過ぎてもSAPHO症候群とともに

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老いていく日々の中で楽しいことや思い出や思いついたことを書いています。
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フォローさせてもらっブログが設定を間違えて表示できていません。ごめんなさい。

実家とお別れをして、帰宅しました。
片道、約2時間のドライブです。


このところ毎週通って、片付けてきました。
母の施設にも、頑張って毎週1~2回通い、経過を話してあげていました。
おセンチになりがちな私に比べて、
母は自分の家が無くなる事に対して、けろっとしているのが、救いです。
母は、ドライで、過去に向かって後ろ向きにならない強さがあるようです。

母のものを随分、私の小さな家に運んで、衣類のケースはほぼ、天井までとどきます。

実家のご近所への、工事開始の挨拶は、すでに済ませてあります。

母の手作りの人形は、50~60体?あったうち、四分の三ぐらいはうちに運びました。もらってくださる方にも差し上げました。


今日は、持って来てあげられない20数体の人形に、気持ちばかりのお供えをしてきました。


ゆめさんに教わったようにしてあげたかったのでしたが、残念ながら時間と体力がありませんでした。(u_u)

なので、ささやかに、手持ちの駄菓子と、お水、お砂糖、お塩・・・・など.何も無いし、良い知恵もうかばなかったので、おかしなお供えです。
イメージ 1

長い間、母と一緒にいてくれてありがとう。私の家に連れて行けなくてごめんね。
ありがとう。さようなら。
そして、狭い家のそれぞれの場所にも、ありがとうと、バイバイを言って、
最後に電気の明かりが灯った部屋部屋の写真を撮ってきました。

庭の草は、時々草取りに来ていましたが、私がこの冬に歩けなかった時以来伸びっぱなしで、ヤブカラシは、場所によっては屋根までツルをのばしていました。

その、ヤブカラシのツルを、杖で振り払い、外からの写真も明るいうちに、撮りました。
イメージ 2




今日は一人きりでしたので、遠慮なしに、時々涙をこぼしながら「ありがとう」を言い、十分にお礼と、お別れをしてきました。


それでも、二度と見ることができないと思うと胸が潰れるおもいです。
この小さな古家は、
母のイメージにピタリと重なります。母そのものでした。
やれやれ、私のおセンチには、困ったものです。f^_^;)

解体の後に、仮に新しい家でも建てる未来があるなら、
新しい希望によって淋しさも拭われるかもしれません。
が、ここは借地なのです。
更地にして返却します。

明日から、工事業者の方が入ります。
ですから、完全にサヨナラです。

でも、これで地代、駐車場代の出費が倹約できます。
空き家の事故などの心配もなくなります。
私が老いれば老いるほど大変になる用事が終わるのです。

と、考えれば、
ホッとして、解放されるというのが
客観的な見方かもしれません。
だから、これで良かったです。

私にできることは、
全身全霊を傾けて、頑張りました。

もう、後ろ向きになってメソメソしないようにしたいです。

追伸

行きがけに車の中で聴いた音楽は、
マーラーのアダージョと、
スメタナの「我が祖国」でした。

この世で一番美しく優しいのではないかと、かねてから思っていたマーラーのアダージョ。(交響曲第五番の第四楽章)

そして、美しくて、力強い「我が祖国」(モルダウで有名)

この2曲が、ハンドルを握りながら片手で適当に操作して出てきたのは、ナイスでした。