自分を生きるということ「下町ロケット」を観て | 自由になるカルマ 〈占い師スロースラピ純子〉

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LINEトーク占いで占い鑑定師をしています。
カルマや宇宙の摂理についての情報インスピレーションを書いています。

2017年明けましておめでとうございます!

 

わたしは今年はおみくじも大吉ばかりで、今年はやれそうな気分になっています気合いピスケカナヘイきらきら

 

 

なかなかここ数年、大吉ばかりが続くことはありませんでした。いえもしかすると10年以上・・・

 

そこで、気分は盛り上がるのですが

「やれそう!」って何をやるの?という素朴な疑問が…

 

もちろん、誰にとっても経済回復!安定した暮らし!と仕事の発展!が第一であるだろうし、

その先に、いままでやりたくてもできなかったことの実現!がくるのだろうと思います。

 

 

が、その先にあるものは何?

それを達成したら、何があるの?と思いませんか?

 

 

これは究極の問です。

 

生きる根幹です。

 

 

もしかすると人は目先の、世間がいうところの「しあわせ」や「成功」ばかりを追い求めて

その気になってやってみるのですが、追いかければ追いかけるほど問題が山積みになり

大変なことばかりで 

「あれ?何か違う・・・自分が本当にやりたかったことは違うような気がする・・・」

と気づくころに体力尽きてあの世に帰る・・・を繰り返しているように思えてなりません。

 

 

 

2日3日とTBSドラマの「下町ロケット」を観ました。

 

初めて観たのですが(もちろん話題作なので見たかったのですがチャンスがないまま忘れていました。)

 

このドラマの中に、「人間が生きる目的」が如実に表現されていて感動しました。

 

生の喜びというか、人間の在り方、力の使い方がうまく表現されていて、

ベタな言い方ですが「ワクワクしました」

 

 

人間は何かを達成したり、成功したくて生きているわけではなくて

自分の未知の力を表現したくて、生きているんじゃないかしら?

という、わたしの問に答えをもらった気がしました。

 

もちろん、達成しないと点ができないし、次に進めません。

達成するのは必要ですが、自分の内にある素晴らしい力を使うためには

次々とチャレンジしていかないと新しい喜びが生まれません。

 

 

そして自分を生きるということが全体を生かすことに繋がります。

 

 

 

ドラマの中に何度も自分がその製品に関わっている「プライド」が出てきます。

 

 

世間ではよく「つまらないプライドなんか、捨ててしまいなさいニヤニヤ」と

人を諭す常套句として使われますが

 

察するに、この場合の「つまらないプライド」は子供のような「俺様な自分」が

「自分が自分が」と目立ちたいためだけにごり押しをしている幼稚な印象ですが

 

「下町ロケット」の中に出てくる「プライド」

 

全自分の存在をかけた本気の「プライド」です。

 

 

全自分をそこに没入して他のことは一切考えず、正に「プライド」だけでやり遂げる・・・

 

わたしはそこに生きることの究極の姿を見ました。

 

 

主人公はそのため、家にも帰らず、奥さんには逃げられ?

娘からも煙たがられ・・・時には、会社の採算も無視し、

自分の感覚だけを信じ、ある意味いっちゃってます。

 

 

でもこの狂気ともとれる行動が、周りの人を動かし、感動を呼び起こし

沈んでいた人も引き上げ、大きな力となってゆくのは何故でしょうか?

 

 

そこにあるのは「自分の作ろうとしているものは沢山の人を助けることができる価値あるものだ!」という絶対の自信です。

 

その価値あるものを自分は作れるんだ!という自分への信頼です。

 

始めたときには、形もないし、成功するかどうかも分からないし

 

不安だらけにしか思えないのに、何かが彼を周りの人を突き動かすのです。

 

その何かとは何でしょうか?

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

わたしは抑えきれない情熱だと思います。

 

情熱は別の次元からやってきます。

いのちの根源的な宇宙ともいえる次元からです。

 

 

わたしたちの生きている次元の横にはいつもスーパーリアルティと呼べる根源的な生命の次元が存在していて

情報を提供してくれています。

 

その偉大な情報を使えるかどうかは、わたしたちが一点の曇りなく自分を信じられるかどうかです。すべてはわたしたちの感に任されています。

 

 

そして誰でも、自分のその感覚が正しいかどうかは実は分かっているんです。

 

人は巧みに自分で自分をごまかしますが、

人には真実を見極められる力があり、自分で分かっています。

 

 

純粋に自分の感覚と向き合うことができなくて、誤魔化して生きている人はたくさんいます。

(わたしもそのひとりです・・・ショックなうさぎ

 

 

人から賞賛され評価されることが成功と誤解して

 

先に形や物質を追い求めたりします。

 

 

家があるから幸せ、結婚しているから幸せ、恋人がいるから幸せ・・・ということはなく

 

果たして、家の中で人間として相手を信頼しているでしょうか?

 

 

自分のために一緒にいてくれるから都合の良い人・・・ではなく

その人が心からしたいことがあったら、許して手放すことはできるでしょうか?

 

 

たとえ、それまでの時間が楽しくてこの上ない素晴らしい時間であったとしても

そのことに執着しないで手放すことはできるでしょうか?

 

 

たとえ自分から見たらくだらないことをしているように見えても

子供や妻や夫が、何かを掴みたくてやっていることを応援してあげることはできるでしょうか?

 

また、自分がしたいことをするために家族を他人を犠牲にしてしまったとしたら

そんな自分を許すことができるでしょうか?

 

うまく周りの人間を幸せに導くことができなくても

自分を許してあげることができているでしょうか?

 

 

 

 

自分を本当に信じるということは生易しいことではないかもしれません。

 

 

もしかしたら、人から嫌われることもあるでしょう。

 

 

それでも・・・自分を信じて情熱を傾けてみる

 

それが自分を生きるということなのでしょう

 

 

ハッキリ言って「自分を生きる」ということは怖いです。

天涯孤独ならまだしも、沢山の人間関係がある場合、周りからの「こうあってほしい期待」をはねのける強さがなければできないことだと思います。

 

自分に自信がなければ、自分勝手に生きているだけなのかもしれない・・・という自責の念から逃れられずに一生を終わるかもしれません。

 

 

 

それでも

 

それでも、後悔しながら生きるより

自分の情熱に従ってみる・・・・・・・・・・・

 

自分のできそうなことをやってみる。

 

 

これからの地球の次元では、まやかしは通らなくなると言われています。

 

ホンモノの想いしか残ることはないでしょう。

 

だったら自分という偉大な存在を信じて応援してみてもいいのかもしれませんね。

できることから少しずつでも