わたしがこのブログを書き始めたきっかけは

思っていた人への『大失恋』があったわけなんですけど・・


わたし自身は、人生の酸いも甘いも知り尽くしたいい歳した大人と、自分で勘違いし
彼への思いをあきらめました。

常識的にいったらそうですよね。


これで、痛みも少しずつやわらいで、楽になれるのかな?
そう思っていました。


なのに待てど暮らせど、そういう痛みってなくならないですよね?

女性って、他の誰かを好きになったら、いままでの人の上に上塗りができるって
わたしも思っていました。

それって相手によるのだと分かりました。^^;



わたしはいままでそれなりに、それなりの人とお付き合いをしてきました。
皆、成功されていたり、社会的信用があったり、
有名企業にお勤めだったり、才能があったり・・恵まれていたな・・と思います。


そして、わたしはいろいろあったけど
最後には、主人でいいんじゃないかしら?と思っていました。
家族としての情はあるし、ずっと一緒に暮らしてきたので結局は楽だし・・
自分を変えなくていいし、努力いらないし・・


なのに覆されました。

彼は突然、わたしの前に現れて
わたしの世界のすべてを変えました。


いままで人生の中で達成したいことは殆どやってきました。
小さいころは貧乏だったので、人並みになりたいと切望し
気づいたら、社会的信用のある夫、家、かわいい子供たち
子供たちを育て上げる財力、すべてありました。
まあ、途中いろいろありましたけど・・


子供たちはふたりとも留学もさせてあげられたし
困った問題もなく、思うように育て上げられたと喜んでいます。

経済的には、老後もしっかり働かないといけないかな?くらいで
こつこつ働いてさえいれば、望みどおりの人生なんじゃないかしら?


彼の存在は、そのすべてをひっくり返しました。



彼はわたしがいままで知ることも見ることもなかった知らない世界の人間でした。
お金持ちであるらしい・・くらいはすぐ分かりました。
身に着けているもの、住んでいる場所、周りの人間・・
そして物腰。話し方。考え方。

彼は特別な世界で育った人間でした。

わたしとはあまりにも住む世界が違いました。


最初、彼がわたしのメンターになってくれるといってくれたので
天にも昇る気持ちでした。
彼は自分とは住む世界が違いそうだけど
ときどき、理解できない会話が出てくるけど
でもきっと、彼はわたしを助けるために地上にあらわれた天使に違いない・・

それくらい彼の存在は異質でした。

勘違いしたわたしは、彼にいままでの自分の至らない人生を話しました。

自分に真正面から向き合って生きてこなかった『ごまかしの人生』を彼に話しました。

彼はあきれて、失望し、わたしをあきらめました。

でもわたしは、そのことにすぐに気づけなかった・・


友達としてはお付き合いしてくれたから。


どこかで気づいていたのに認めることができなかった。
そしていろいろ悲しいことがありました。


前のわたしだったら、仕方がない、
自分は彼に認めてもらえるだけの人間じゃなかったわけだし、BFくらい他に作ればいいわ。
きっと他に好きな人ができれば、すぐ忘れられるし・・

と、過去のやり方で傷を癒そうとしてました。


そんな努力を鼻先で笑われるかのように
相手が強烈すぎて、他の人を好きになれないんです。

それにこの頃、主人以外にBFを作ってみても違うと感じていました。
面倒くさいんです。
一緒に食事したりするのは楽しかったりもしますが
本気で好きになれる人
人生の時間を一緒に過ごしてもいいと思える人以外は面倒くさかったんです。
そんなことに気づいてた時期でもありました。



その特別な彼だって、すべてが優れているとかじゃなくて、いろいろあります。
人には人のこだわりがあり
なぜ、そこが好きなのかは、人それぞれ違うと思います。
彼とふたりで話をしたその短時間で
彼の存在はわたしにとってなくてはならないものになっていました。


彼に彼女ができたらしいことを聞いて、
わたしの気持ちは邪魔になるだろうと思い、
連絡も情報もすべて絶つ、行動にでました。

そうして気づいたのです。

彼の考え方、生き方、あり方 がわたしの目標であることに。

もとの自分には戻れない自分がいました。

彼のおかげでたくさんの痛みを知りました。
いままであまり気づくこともなかった人の痛みも理解することができました。
表面的にとらえてた人の痛みがぐりぐりと胸にささってくるようになりました。

わたしはなんて人の気持ちに鈍感だったんだろう・・
そう思うようにもなりました。
気が付くと、人と話をしながら泣いていたり
ブログやメールを書きながら泣いていることがよくあります。



人を心底思うとき

相思相愛にならなくっても
相手のエネルギーを奪わずにすむ思い方はあると思います。


彼がなにをしようと
どうであっても
すべてを受け入れて思い続けようと思っています。

それがわたしの真実だから。






父のことを書いていて

父がとってもやさしい人だったのを思い出しました(〃^ー^〃)

出稼ぎに出て、不治の病にかかったため
サングラスをかけて帰ってきた父

近寄りがたく、怖いような気持ちで幼い頃は思っていたのですが

とてもシャイで、やさしくて
心を折りながら人のことを考える人でした。

雑な人なら、子供のことなど
かまうのが面倒くさくて放っておいたと思うのですが、

田舎の外にある、ぼっとんトイレに夜中行くのが
小さい頃はとても怖かったのですが、
父は家にいる間は、いつもついてきてくれました。

わたしや妹が怖くないように


花火があると、小さいわたしたち、兄もいましたが
近所の子もひっくるめて、皆をリアカーに乗せて
花火が良く見えるところまで、野辺道を引いてくれました。

蜘蛛が蜘蛛の巣を作っていると
わたしたちを呼んで、クモがどんなに見事に蜘蛛の巣をつくるか説明してくれました。

そして、出来上がった蜘蛛の巣を厳かに取り払うのでした…( ̄0 ̄;
(クモちゃんごめんね。共存は難しかった(^^;)


南三陸の吹きあがる潮を子供たちに見せたかった父は、
車がなかったので、
毎週日曜日に一人ずつ、バイクの背に乗せて、連れて行ってくれました。

わたしたちの喜ぶ顔を見るのが、父の楽しみでした。


たくさんの不治の病にかかり、人生の半分は病院のベットにいたような父でしたが

あきらかに生きることを愛して楽しんでいたと思います。


どんな人生でも、自分で選んで生まれて来た人生。

誰でも、いずれ死ぬことがわかっているから
精一杯生きられる人生。

本当に失敗も成功もなくて
体験するために生まれてきたんだなと分かります。


願わくば、父には次回の人生には
もっと、自分のためにかって気ままに生きてほしい。

子供の純粋な心をいつも失わなかった父

来世では、どうぞ子供の心そのままに輝きながら生きてくださいね。

今年、初盆です。

お父さん、一緒に生きてくれてありがとう。



思うことがあります。

なぜ、こんな過酷な人生を生きているんだろう・・

告白すると
わたしは生まれてきたとき、少し過酷な環境に生まれてきました。

東北のど田舎で、電気もガスも水道も通ってないところでした。
あ、戦後10数年経ってから産まれてますよ(;゜∇゜)

それだけなら、たいしたことないのですが

戦前は庄屋で、戦後財産をすべて失い
失った財産を取り戻そうと、祖父がねずみ講に手を出し
見事に返済しきれない借金を作ってしまった家でした。


家の中はいつも、嘆き声や怨み声、責める声であふれ、
子ども心に行き場がなかったのを覚えています。

そんなとき、わたしのなかの小さいインナーチャイルドは震えているしかなかったのでした。

祖父は現実から逃れようと、
または立場が逆転した周囲の大人たちの、優越感の材料にされ
毎日、浴びるように酒を飲み続けました。

歩けないほど泥酔して帰ってきては
畳の上で失禁しました。
そのたびに繰り返される、祖母や母の叱責と怒声。

小さい頃は、そんな祖父が大嫌いでした。
どうして毎日、祖母ちゃんや母ちゃんに迷惑かけるんだろう?
そう思っていました。

今なら、自分が正体不明になるまで飲み続けた祖父の気持ちが分かります。
どんなに一家の長として、人間として痛かったことでしょう。

時代に翻弄され、至らなかった
自分の不甲斐なさをどんなに自分で責めたことでしょう。


父は旧制中学を中退し、借金返済のために働きました。
高い賃金を得るために、東京に出て土方仕事で働きました。

わたしの小さい頃、父は出稼ぎで殆ど家に居らず
ときどき盆暮れに帰ってきました。

ときどきしか見ない父とは、触れあうのも言葉を交わすのも照れ臭く
恐れとも、あこがれともつかない気持ちで、いつも遠巻きに見ていました・・

そんな父がいつの頃からかサングラスをかけて帰って来るようになりました。

表情の読めなくなった父の存在は
ますます遠く、近寄りがたいものになりました。

父はベーチェット病という不治の病にかかっていました。

それから父は帰って来たものの、いつも病院の中にいました。
入退院を繰返し、後で水道事業に就職し働くようになっても、
無理な仕事はせずに、夜も早く寝て、いつも病気と戦っていました。
わたしが19才の時に、ついに片目を摘出しました。


そんな生活だったので、新しいものを買ってもらった記憶がありません。

小学校に入学するときのランドセルも、どこからのいただきもの
毎日、着る服も親戚からのお下がりや、いただきもの。
中学校に入学するときの自転車も中古でした。

夏も冬も同じズック靴で、
雨が降った後など、破れた隙間から泥水が入ってきました。

お風呂も薪だったので、ときどきしかありませんでした。

正直、汚かったです。(^^;


それで思いました。
なぜ、そんな子供時代だったんだろう?

自分が大人だったら、自分の責任ということもできるけれど
子供なんだから、自分でどうにもできないじゃない?


いま、50才を過ぎて思うのは

ああ、そうか
全部自分で選んで生まれてきたんだ・・ということ

ゲームではないけれど、
わざわざ、困難な、しんどいパターンを選んで生まれてきた可能性があります^^;

なんのために?
自分の力を試すためですね♪
・・マゾか?って感じですが
たくさんのことをクリアしてきた自分の人生を思うと、そうなんだな(^-^)/と思います。

もしかしたら、他にもいろんなことが持ち上がってきて
今生ではクリアできないかも知れないけど
来世に持ち越すかもしれないけど

なんてファイテング人生なんだろう~と自分でも思います。

でも、早いうちに人生の課題を終了してしまえたら

本当に豊かで楽しいノマド人生が待っているかも知れないので

ちょっとウキウキしながら、いまを楽しんでいます♪