アニメ『ハイジ』はどのように生まれたのだろう。どんな人たちがどのように作ったのだろう。長年の思いから、私は当時の制作者を訪ね、話をうかがうことにした。
…当時『ハイジ』の制作現場には、森やすじ、高畑勲、小田部羊一、宮崎駿をはじめとした超一級の仕事師が奇跡のように集結していた。そしてこの作品から多くの次代を担うクリエーターが育っていった。テレビアニメ『アルプスの少女ハイジ』が生まれた日。それは日本のアニメが一つの頂点に到達し、新たな一歩を踏み出した瞬間であった。
 
(ちばかおり「ハイジが生まれた日」)
 
 
コンにちは。
銀ぎつねのブログへようこそ~キラキラ
心に残った本をご紹介しています。
 
ジブリ作品の魅力を伝える本の紹介、3回目です。
タイトルにもあるように直接ジブリに関する本ではありませんが、テレビアニメのハイジが出来るまでのお話。

 

そこには後のジブリの宮崎駿監督はじめ、テレビアニメの金字塔を築いた人々のリアルドラマがありましたビックリマーク

 

 

「ハイジが生まれた日」
テレビアニメの金字塔を築いた人々
ちば かおり 著
岩波書店
 
(裏表紙)
 
あら、ヨーゼフ
アニメではお馴染みの犬のヨーゼフ。でも原作には出てこないんですよ。

 

 
(帯です)
 

 

ハイジが放送されたのは1974年。

ジブリ設立からさかのぼること実に11年前。

 

ハイジといえばこの曲ですよね。

♪「おしえて」♪

短い曲の中にダイナミックな構図でスイスの魅力が詰まったオープニング。

 

 

 

 

(本文より)

その頃、テレビアニメはまだ「テレビ漫画」と呼ばれていた。いわゆる動く漫画である。漫画本から飛び出した主人公たちは超人的な能力や努力で獲得した技で、次々と現れる「敵」と闘い続けていた。73年にはオイルショックが起こり、人類は滅亡するというノストラダムスの大予言や、小松左京のSF小説「日本沈没」が流行した。素直に未来の展望を描けず、後年、新人類ともしらけ世代とも呼ばれることになる当時の子どもたちは、どこかこの頃の悲観的な気分を共有していたようにも思う。

そこに『ハイジ』がやってきた。自然への回帰と再生、人の心の温かさと大切さを描いた『ハイジ』。児童文学を原作に、人間ドラマを展開するこの物語には、魔法も武器も超能力も登場しない。ドタバタギャグもなければ、大事件もない。等身大の人間を丁寧に描いたこの良心的なアニメは…お茶の間で大いに歓迎された。『ハイジ』はまさにこの時代に清涼な空気、お日さまの光のような作品として現れたのだ。

 

この本の前半の主人公は、ハイジという名作アニメを生みだした名プロデューサー、高橋茂人さん。(「ズイヨー映像社長」)

 

 

 

高橋さんの人生をたどりながら、関係者の証言から仕事に懸けた人々のドラマに迫ります。

 

 高橋さんは少年時代に中国で戦争体験→日本に引き上げ→学生時代に児童文学ハイジの原作との出会い→テレビCM制作会社へ入社→テレビアニメ「ハイジ」プロデューサーへ、という経歴のお方。

 

CM会社で培った経験と人脈がアニメ作品の企画・プロデュースの土台となったといいます。

 

(目次)
 
 

若き日の宮崎駿監督と故高畑勲監督のお名前も。。。

 

ハイジアルプスの少女ハイジ主要スタッフ

プロデューサー:高橋茂人

音楽:渡辺岳夫

場面設定・画面構成:宮崎駿

キャラクターデザイン・作画監督:小田部羊一

演出:高畑勲

美術監督:井岡雅弘

 

 

スタッフは制作にあたりスイスでロケハンを敢行したことでも有名です。それはこの作品を赤字覚悟でも、海外で評価されるような良質の作品として世に出したいと考えていた高橋さんの思いでした。その時の様子もとても詳しく書かれています。(ロケハン参加は、高畑・小田部・宮崎・中島の4名。作曲家の渡辺岳夫さんも仕事の合間をぬって参加、日本で多忙の為ボロボロの状態だったがスイスの自然に生き返った心を取り戻したようだったと振り返る。ハイジの主題歌・挿入歌の数々はここで誕生する)

 

高橋さんの願い叶って、後にヨーロッパでも人気となったアニメハイジですが、最初はその風景描写の正確さのせいか、日本で作られたものだと思う人はほとんどいなかったといいます。

 

この本には、当時のムーミン、どろろ、(初期の)ルパン、サザエさん、鉄人28号、アトム、エイトマン、ロッキーチャック、ヤマト…。懐かしいアニメの名前も裏話的なエピソードもたくさん出てきます。(余談ですが、なんと、ハイジの裏番組はヤマトだったんですよ)

 

日本アニメの豊かな土壌にはこういう人々の熱い想いがあって、それが脈々と受け継がれてきたというわけですね。

 

 

ちなみにその他の各担当者を簡単にご紹介。

今あらためて見返してみると、豪華キラキラ

 

音楽:渡辺岳夫

(昭和のテレビ音楽界で一時代を築いた人物・作曲家)

 

主題歌作詞:岸田衿子

(女優岸田今日子の姉・作詞家)

 

オープニング主題歌「おしえて」歌手:伊集加代子(現 伊集加代)

(日本を代表するコーラスグループの歌手・『11PM』テーマ曲、『ルパン三世』『タッチ』などのコーラス)

 

エンディング曲「まっててごらん」歌手:大杉久美子

(『アタックNo.1』『母をたずねて三千里』『あらいぐまラスカル』、『ドラえもん』初代主題歌)

 

 

美術監督の井岡雅弘さんに関しては以前ブログに書きました。

◆赤毛のアンやハイジのいた風景☆井岡雅弘画集☆アニメ背景美術に尽力した天才画家

 

 

さて、それではハイジからジブリへの系譜としてまとめです。

詳しくは本を読んでみてくださいね♡

 

ハイジ後に高畑勲、宮崎駿は「赤毛のアン」制作に関わった後、数年後にスタジオジブリを設立。ハイジで絵コンテ担当の富野喜幸は「ガンダム」、宮崎の仕事に学んだ庵野秀明は「エバンゲリオン」、キャラクターデザインの小田部羊一は任天堂に移籍し「ポケモン」「スーパーマリオブラザーズ」などのアニメーション監修へと活動の場を広げました。ハイジに影響を受けた黒川文男は「小公女セーラ」「愛の若草物語」で監督。

 

高畑、宮崎らの取り組んだリアリズムの流れはジブリによって受け継がれ、日本のアニメ映画を、芸術・文化の域まで引き上げ、その波は「サマーウォーズ」「おおかみこどもの雨と雪」の細田守、「君の名は」の新海誠、「この世界の片隅に」の片渕須直などの気鋭の次世代へと受け継がれているのですカラフルなお花♪

 

晩年、ハイジ制作後の高橋さんの人生は大きく転換していき、事故により思いがけず車椅子を必要とする身体となります。


高橋さんをはじめ、ハイジ制作に心血を注いだ人達は、その後の日本のアニメ界の中核となり、今現在日本が世界に誇るアニメを作り出していくことになるのです。

 

この本はその歴史、そして高橋さんの人生が詰まった素晴らしい本です。


アニメや当時の資料など写真(モノクロ)も豊富に掲載されています。

 

その壮大さと偉大な業績、苦労の連続や作品に懸けた創作魂、血のにじむような努力に、読後は涙、涙でございました。。。

 

 

 

 

さてさて。

ここまで辛抱強く(!? 笑)、読んでくださった方でしたら、この本を書いたちばかおりさんて、どんな人なのだろうと思いませんか?
 
ハイジの放映が始まった当時小学生だったというちばさんは、多くのアニメのハイジファンがそうであるようにその世界に子どもの頃から魅せられていました。現在は海外児童文学、そしてテレビアニメーション、特に「世界名作劇場」シリーズの研究をされています。
 
アマゾンで検索してみたら、ちばさんの著書、たくさん出てきました~。
ご紹介します。
 
 
世界名作劇場への旅 世界名作劇場への旅
1,944円
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ラスカルにあいたい ラスカルにあいたい
2,259円
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わおわお♡
全部読んでみたい♡

 

 
(本文より)
…私は毎週心躍らせてテレビの前に座っていた。そしてとろけるチーズや干し草のベッドに憧れ、ハイジの世界に夢中になった。
原作自体も文句なくおもしろいが、アニメの『ハイジ』には原作を単に映像化したにとどまらない深い人間ドラマがあった。加えて美しい音楽と背景画にも魅せられた。映像はもちろん、丁寧に描かれた日常生活、人の仕草や心理描写など、その完成度はおおよそ当時のテレビアニメの域を超えていた。そのとき受けた鮮烈な印象は今も消えずに残っている。
 
 
こんな感動を味わえた、ちばさんは本当に幸せですねキラリン
 
 
 

 

今日はジブリの布石となる、ハイジに関する本をご紹介しました。

皆さまもどうぞステキな読書の時間を本花

 

最後までご覧いただきありがとうございました。

いつも感謝ですキラキラキラキラ