知ってる人は知っていることだけれど、私は短大在学中に、うつ病になった経験があります。
2年生の時に、英語科の教育実習で母校の中学に3週間お世話になりました。
人前に立つことが苦手な私が、大勢の生徒を前に授業をする。
それは、私にとって未知の世界であり、とても大変なことでした。
夜遅くまで学校に残って、次の日にやる授業の指導案を細かく書いて、スムーズに進むようにシュミレーションをしてみたり、現役の先生に色々とアドバイスを頂いたり。
どうやったら分かりやすく、そして楽しく伝わるか?
そんなことを考えながらアイデアを練っていました。
3週間はあっという間に過ぎ、最後の授業では教えている私自身がとても楽しみながら授業をしていました。
達成感と疲労感と、色々な感情が入り混じっていました。
そして夏休みが始まる少し前に短大がある高崎のアパートに戻りました。
部屋で一人、実習が終わったことにホッとして、ふと私の中に疑問が浮かびました。
「私が本当に進みたい道は、なんなんだろう?」
そんなことをぐるぐる考えていたら、自分が何をしたいのか?
どう進みたいのか?
よく分からなくなってしまったのです。
せっかく短大に入って教員免許を取っても、はたして、私が本当に進みたい道はこれでいいのか?
そんなことを悶々と考えている内に、自分が今まで選んできた道、今歩いている道、それら全てに自信がなくなってきて、迷いと焦りと不安でいっぱいになりました。
英語が好きで入った学校。
自分で決めたのに、その決断に対してどこかで納得していない自分がいたんだと思います。
短大の入学間近に、その迷いがちらついて、なぜか入学したくないと思う自分がいた時もありました。
でも、入学準備も進んで、もう後には戻れない状況。
そのまま、2年間勉学に励もうと決めました。
だけど、実習が終わってふと立ち止まってみたら、やっぱり違和感があることに気付いてしまった。
でも、卒業まで半年を残すだけなので、ここまできたら最後までやり通さないと・・
そんな自分の中で葛藤があり、ホンネを隠して過ごしているうちに、何もやる気が起きない、希望が持てない、何をしてもつまらない、そんな感じでうつになっていったのでした。
だから、二十歳の夏休みは、自分でも何をしていたのかあまり覚えていません。
地元では夏に行われる成人式があったけれど、それも参加しませんでした。
とにかく、わけもなく悲しくて空しくて、なにもしていなくても涙が出てくる。
そんな日々をしばらくすごしていたような気がします。
私の場合、1人で全てを背負い込んでしまう癖があって、その苦しい胸の内を誰にも相談できませんでした。
友達にも、そして家族にも。
生きていることに意味を見いだせず、自殺を考えたこともありました。
だけど、それを実行するためには・・とそこでもあれこれ考えている内に疲れてしまって、結局実行するに至りませんでした。
生きる気力もないけど、死ぬ勇気もない。
その時は、そんな感じだったと思う。
だけど今になってみれば、死にたくないけど、生きていたくもない。
そんな感じでもあったのかな~と。
よく分からないけれど、とにかく、私という存在を透明人間のうように消してしまいたかった。
全てのことから、解放されたかった。
ほっといてほしかった。
けど、本当は、すごくすごく寂しくて、すごくすご~く生きたいって思っていた。
自分らしく、希望に満ちた人生を、ちゃんと生きたいってココロが叫んでいたのかもなって。
うつ病患者は、自覚症状がない人も多いそうだけれど、私は自分が普通じゃないっていうのが分かったので、とりあえず自分で心療内科に行きました。
行ってみたら、しーんと静かな待合室。
男性の先生がいて、私は自分の症状をたんたんと説明して。
「うつ病ですね」
そうひとこと言われました。
やっぱそうか、ってどこかで安心してる自分もいました。
そして簡単な検査をして、お薬を出されて、次の予約もして。
外の空気を吸ったら、あれ?って思った。
なんか、お医者の中の方が冷たく感じるのはなぜだろう?
ココロの病なのに、無表情な顔で病名を言って、機械的に薬を出されて、本当にここは私の来る場所なのだろうか?
大きな決断ができない時だったけれど、その時の疑問には割と答えが簡単に出てきた。
「私が行くべき場所は、お医者じゃない」
そう思って、予約もキャンセルしました。
そこからしばらく鬱々として、落ちるとこまで落ち・・
もうこれ以上底がないってくらいまで暗闇をさまよっていたら、何となく、気持ちが上がれそうな時もあることもありました。
その時に生まれた一筋の光。
それが、ずっと温めていたけど、実行できないでいた夢でした。
「海外に行って、そこで暮らすこと」
それが、子供のころから密かに思い描いていた夢でした。
ただ旅行するんじゃなくて、実際にその地に行って暮らしたい。
その地のことを深く知りたい。
そして、卒業をしたら、海外に行くことを決めました。
周りの友達が就活をして内定が決まって行く中、私は一人、海外生活斡旋業者と連絡を取り、必要な手続きをして、渡航費用のためにアルバイトをして、夢に向かって一歩一歩進んでいきました。
決めてからは、不安はあったけれど、迷いはありませんでした。
それよりも、楽しみという気持ちが湧いていました。
夢に向かって進んでいる自分が、本当に生きてるって実感することもできました。
やっぱり、夢・希望・目標・・
自分がワクワクすることがあるっていうことは、生きる活力剤になるんだって思いました。
それがあるから、人は頑張って生きて行けるんだって思いました。
現実逃避と言われればそうなのかもしれないけれど、当時の私には、その希望の光があったお陰で立ち直ることができたから。
そして夢に描いた世界の中に飛び込んで、そこから道がどんどん拓けていったのも確かだから。
だから、あの時の選択は、あれで良かったんだって今は納得してます。
今の現状が辛くて辛くて、逃げたいけど逃げられなくて・・
楽になりたいからって自殺をする人があとを絶たないけれど、そんな人たちに伝えたいことがある。
死にたいくらい辛いなら、今持ってるもの、“命以外”の全てを投げ出して逃げてしまったっていい。
逃げてもいいんだよ。
逃げちゃいけないって自分を追い込んでしまうから、死を選ぶしかなくなるんだ。
でも本当は、死に逃げることは、最低最悪の現実逃避だってこと。
死んでも、自分もうかばれないし、誰も嬉しくない。
死んじゃったら、何もできないから。
生きてさえいれば、きっと何とかなる。
私も、暗闇の底から這い上がってきた一人だから。
生きることをあきらめないで良かったって、今は本当にそう思えるから。
だから、どうか生きて下さい。
あなたを愛する、あなた自身のために、そしてあなたを愛する家族のために、友人のために・・
生きて下さい。
生きていてくれれば、それ以上は何も求めない。
だって、この世界に、生きていること以上に大切なことは何もないんだから。
ただ、生きていてほしい。
生まれてきてくれて、そして今まで生きていてくれて、ありがとう。
そして、これからも、一緒に生きていこう。
この地球で・・・
これが、今、私が伝えたいこと。
読んでくれて、どうもありがとう