今年も購入しました。
2017

本当に久しぶりの更新になりました。
今年も「予約確認」のメールが届きましたので、発注しちゃいました(笑)
業務用の時刻表だし、貨物列車には人を乗せないので、一般人が持っていても意味がないんだけどね(笑)
本当に久しぶりの更新になりました。 気管支炎と花粉症のダブルパンチで、モチベーションがダウンしていました。
この時期は、PM2.5も来襲するので、何もやる気がなくなります。
国内の100%、海外でも70%以上の列車の故郷です。
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この巨大な工場は、列車の部品工場としては最大級の工場です。 
名称を新日鐵住金製鋼所といいます。
で何を作っているかって、列車の車輪と車軸を生産しています。
国内シェアは100%、海外シェアでもイギリスのユーロスター、フランスのTGV、ドイツのICE、アメリカのアムトラックなどに供給されています。
海外需要が高いのは、ドイツの誇る高速鉄道「ICE」が高速運転中に車輪が破損して脱線、100人を超える乗客が犠牲になった事件があったからえす。
そこで、ドイツ国鉄では優秀な車輪と車軸を探していたところ、日本の新日鐵住金の製品が、非常に優秀ということで、採用されたのです。
この列車の故郷は、ユニバーサルジャパンの隣にあります。 大阪が世界に誇るべき工場なのです。
4000Kwの巨大出力を誇るEH500型
KINTARO

「VVVF」の醸成に日立製作所は失敗しましたが、その基本構想である「スタイラス電動機」に瞬発力と高速安定性を実現させた功績は、産業用のみだった「スタイラス電動機」に大きな可能性を開いたのです。
省電力で高出力が得られる「スタイラス電動機」は、まさに家庭用電化製品に使われてこそ、その本領を発揮する電動機だったからです。
エアコン、強力集塵式掃除機、洗濯機、ファンヒーター、空気清浄機、食器洗い乾燥機といった、電動機内蔵の電化製品の多くに(ほぼ全て)に「直流直巻」に変って採用されていきました。
周波数を可変させることで、回転数が抜群に上昇しますから。
最近では、ハイブリッド車やEV(電気自動車)および燃料電池車の電動機にも採用されています。これも「VVVFインバータ」がもたらした技術の集大成だと言えるでしょう。
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電気機関車に搭載された「スタイラス電動機」の制御技術である「VVVF」から派生した家庭用電化製品で最初に投入されたのが、「エアコン」でした。
従来の「一体型エアコン(当時は冷房機能のみ)」へ、直流直巻電動機(モーター)を使用していましたので、電圧の高低で冷房機能をコントロールするものでした。
電圧の調整だけでコントロールできるのですが、電力を過剰消費してしまうという欠点がありました。
石油ショック以来提唱された「省エネルギー」の流れに呼応させる技術が「VVVF(インバーター)」技術だったのです。
ただ、家庭用に小型化したとはいえ、一体型にまとめるのは困難で、室外機と室内機に分離し、室外機にスタイラス電動機を搭載し、「VVVF」で制御する方式にまとまったのです。
その方式を最初に開発したのが、「日立製作所」で家庭用エアコンの名称が「白くま君」でした。
次に「三菱電機」が続き「霧が峰」が発売されました。
東芝もこの流れに乗り「大清快」シリーズが発売されました。
元はと言えば「EF200型電気機関車」が「バカ力」過ぎて21両しか採用されないという「大失敗」から産まれた技術応用ですが。
久しぶりの更新です。 ちょっと調べ物をしていたら泥濘にはまりまして、終わらなくなりました。
ある電気機関車が登場するまでは、機関車の電動機は「直流直巻」式でした。
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直流直巻式の電動機は、電圧を変えるだけで出力を可変できるので、急加速が必要な列車にはもってこいの電動機でした。
しかし、給電素子(ブラシ)と電動機軸との摩擦による消耗は回避できず、定期メンテナンスによる電動機交換といった経費が国鉄の経営を圧迫する一因になっていました。
国鉄の分割民営化により誕生した「JR貨物」では、好景気に裏打ちされた貨物需要を捌かせる意味で、日立製作所、東芝、三菱電機といった電気機関車製造メーカーに新しい電源仕様の機関車を発注しました。
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そこで立案されたのが、安定性に優れる「スタイラス電動機」の使用でした。
ところが、このスタイラス電動機と言うのが難物で、「直流直巻」電動機のように電圧を変えたところで、回転数が変らないという特性がありました。
そのため、用途は工業用電動機として、工場で使用されている程度だったのです。
さて、どうすれば難物の「スタイラス電動機」で高速・急加速できるかを各社ともに知恵と技術の粋を搾り出して開発を進めていました。
一歩抜け出したのが、日立製作所笠戸事業所(現:周南工場)でした。
その技術というのが「VVVF(VariableVoltageVariableFrequency)という電圧と周波数を同時に可変させる最先端の技術でした。
この「VVVF」を付与された最初の電気機関車が「EF200型電気機関車」でした。
最大出力6,000Kw(約8,600P/h)で、最大1,600t牽引で150Kmで走れる怪物でした。
結果は、惨憺たるもので、この怪物が走ると給電設備が追いつかず、変電所が次々パンクするといった事態になったのです。
そのため、この怪物機関車はその高性能をいかすことなく「全開運転禁止」にされてしまったのです。
では、この「VVVF」とは何物でしょうか? 今では各家庭に普及している「ECO」の主役ともいえる「インバータ」と呼ばれている部品です。
次章より、電気機関車から派生した家庭用電化製品などについて記述していきます。
久しぶりの更新です。
山陰本線で線路(軌条)に侵入してしまった、お二人さんことは著名ですので、写真は掲載しませんが、実は軌条侵入という罪は、重い罪になることもあるのです。
今回は「鉄道営業法違反」ということで、「軌道侵入罪(反則金1,000円以上10,000円未満))」に問われましたが、一つ間違うと「往来危険罪(2年以上の懲役)」に問われる危険性もあったのです。
最近、軌道侵入による罰状が急増していますので、非常に危険な状況だと思われます。
決して「芸能人」だとかという状況では、ないのです。
一般人でも「職業」や「学籍」を失うという事態になりかねないのです。
今回の事案も、一歩間違えれば「往来危険罪」に問われかねない事案だったからなのです。
久々の更新です。 27~28日にかけて東京方面に「鉄分補給」に行っていましたもので。 ホテルでもスマフォの「WiFi」を使えばネットが出来るのですが、一日あたりの利用料金が1000円なんてことなので諦めちゃいました。
今回も映像は権利絡みなのでリンクのみを貼っておきます…
北東北方面は、日本海縦貫線を、これまでにない長距離(約1300Km)の燃料輸送で切り抜けることができましたが、南東北(太平洋側)への燃料供給が喫緊の課題となってきました。
大動脈である東北本線や常磐線も被災し、復旧の見通しが立たない中で、緊急避難措置として13.5‰という急坂(1000mで13.5m上昇すること)で貨物輸送の絶えていた「磐越西線」を復旧し、新潟から郡山備蓄基地まで運ぶという離れ業が採用されました。
13.5‰は、実際にはかなりなだらかな坂に視覚的には感じますが、あくまでも平坦を条件としている鉄道にとっては、相当負荷のある勾配線になるのです。
その区画を650tのタンク貨物を牽引してディーゼル機関車を重連で引き上げるという、まさに前代未聞の挑戦が実行されたのでした。
ただ、季節は3月、積雪という最悪の気象条件の中で実施された、磐越西線迂回燃料輸送でした。
ベテラン機関士が懸念した通り、雪による車輪の「空転(空回り)」と13.5‰という傾斜のため、迂回輸送第1便から立往生することになってしまいました。
でも、この立往生は想定された事項だったので、会津若松からDE10-1121を単2009(単機仕業)で呼び、立往生地点である磐梯町~翁町間の42Kmポストから路線が平坦になる猪苗代まで押し上げるというこれも前代未聞の運用でした。
本当に鉄道マン達の意地と誇りをかけた「磐越西線迂回燃料輸送」だったのです。
震災の余震が続く中で、保線にあたった多くの鉄道マン達の存在も東北復旧には、欠かすことができないお話と言えるでしょう。
今回の記事にも映像は権利関係がありますので、リンクを貼っておきます。
東日本大震災から6年が経過しようとしていますね。
あの震災で最大の影響があったのが、生活に必要なエネルギーだったのです。 特に沿岸部にあった製油所や備蓄基地がことごとく被災し、ガソリンや軽油・燃料用重油などの一切が不足してしまったのです。
ここまでは、前回の記事にも書きましたが、燃料列車が運行していた東北本線が地震で寸断され、迂回路の常磐線に至っては、原発事故の影響で全通の見込みさえない状況に追い込まれました。
そこで、JR貨物が採用した方法が、横浜の根岸製油所から高崎線を使って富山まで燃料列車(タキ20両:1300t)を上げ、富山から新潟までを信越本線、新潟以北を羽越本線、青森からは被災の無かった東北本線で盛岡まで運ぶという遠大なものでした。
これで、北東北への燃料供給は実現しましたが、太平洋側の南東北への燃料供給は、目処がたっていませんでした。
東北本線の復旧が急がれるところですが、寸断箇所があまりにも多く復旧の目処がたたないということでした。
そこで、JR東日本では13.5‰という急坂のため貨物輸送が途切れていた「磐越西線」の復旧を急ぎ、そこに大出力のDD51型ディーゼル機関車を重連編成にし、新潟機関区で燃料貨物を10両づつの編成に再構成し、立往生に備えて「会津若松駅」にDE10-1241号機を待機させるという手法を採用しました。
DD51型は、機関士が一人で重連運転ができる(先頭車両から連結車輌のエンジンやブレーキを操作できる)唯一の機関車として、白羽の矢が立ったのです。
しかし、老朽化により置き換えが進んでいる状況で、全国から機関車をかき集めて、12両のDD51型ディーゼル機関車を動員しました。
本日の記事には、画像が権利映像のため掲載できません。 リンクを貼っておきます。
5年前の3月11日に東日本を襲った「東日本大震災」は記憶に新しいと言えます。
震災により、製油所や備蓄基地が津波により被災し、被災地ではガソリンや軽油不足から、警察や消防まで活動を制限される事態に陥りました。
そこで、ある企業が立ち上がりました。 「JR貨物(日本貨物鉄道)」でした。
どのようにして、被災地に燃料や資材を運ぶかが議論され、東北本線や常磐線は地震・津波や原発事故で使えない区画が多すぎるという大問題がありました。
そこで、考案されたのが被災していない「日本海縦貫線」周りだったのです。 だが、解決しなければならない課題は山積していました。
1.石油輸送の実績が日本海縦貫線ではない。
2.根岸の製油所から岩手県盛岡備蓄基地までの長距離石油輸送の実績がない。
3.輸送する機関車が足りない。 東北物流の要である「仙台総合鉄道部」が被災。
4.タンク貨車(タキ1000)も根岸に常備されている両数では、大幅に不足している。
5.磐越西線を走れるディーゼル機関車「DD51」も足りない。
6.機関士が足りない。
その他運用上の問題が山積していました。
それらの問題を徹夜で解決していったのです。
とりあえず、電気機関車およびディーゼル機関車を全国からかき集める(EF210・EH200・EF81・EH500)
ディーゼル機関車DD51に適応した機関士の緊急育成(2週間で半年分の研修量)
タンク貨車(タキ1000)は、門司・岡山・吹田・名古屋から、かき集める。
DD51型ディーゼル機関車は「北海道(鷲別機関区)」「大阪(吹田機関区)」「九州(門司機関区)」から稼動台数をかき集める。
日本海縦貫線での石油長距離輸送は、出たとこ勝負になりました。
日本海縦貫線では南東北への石油輸送はできないため、ルートの確保が必要。
東北本線の復旧をしながら、磐越西線の復旧を優先させる。
磐越西線の急勾配問題への対応(磐梯町~翁島間13.5‰)
このような問題を解決しながら、「希望のレールプロジェクト」が動き出したのでした。
課題山積の九州新幹線
sinkansen

新幹線が来るぞ、来るぞ、新幹線が来るぞ嬉しいな!
新幹線が来たぞ、来たぞ、新幹線が来たぞ寂れたぞ!
新幹線は、東海道新幹線計画のように「東京」「名古屋」「大阪」といった、太平洋ベルト地帯の大都市圏間交通としてこそ、意味があり有意義な存在なのです。
今回の正月帰省でも、東海道新幹線は約30万人の実績で、東北新幹線も約25万人強でしたが、山陽新幹線と上越新幹線は約14万6千人あまりで、おおよそ半分の乗車数でした。
九州新幹線に至っては約4万6千人と予定の半数程度でしたし、北陸新幹線や北海道新幹線は惨憺たる模様でした(乗車数は伸びていると強気ですが)
九州新幹線は、今後「長崎区間」が整備されて延伸される計画で、長崎駅では新幹線用駅舎の工事が開始されています。
九州区間では、大動脈である「鹿児島本線」の在来平行線化による大幅減便が問題になっています。
東海道本線や山陽本線のような、新幹線によって在来平行線化しても、東京・横浜・静岡・名古屋・京都・大阪・神戸・岡山・広島・山口と大都市がベルト状につながっていれば、急行運用(新快速)や快速列車が走っていますが、鹿児島本線では鹿児島中央・熊本・博多・小倉の4つしか大都市圏がないため、快速列車の運行は廃止、普通列車と貨物列車のみの運行に変更されました。
新八代・水俣・筑後船小屋などの従来の特急停止駅には、「MIZUHO」は停まらなくなり、一部の「SAKURA」が停まるのと各駅停車の「TUBAME」が停まるだけになりました。
従来は、普通運賃で乗車できた「快速列車」が全廃されたことで、沿線住民の鉄道離れが進行していると聞いたことがあります。
新幹線料金を払わないと、鹿児島本線(鳥栖~鹿児島中央)には各駅停車の列車しかないのですから。
筑後船小屋駅の周りなぞは、新幹線の駅は立派なものが建築されていますが、周囲は人家もなく寂れきった状態です。
今後の延伸計画が決定した北陸新幹線や北海道新幹線も同じ憂き目にあうことが確実視されます。