次は旧生野鉱山職員宿舎へと向かいましょう。

路地を歩いていくと、こちらにも見るからに立派なお屋敷が建っていました。



正面に見える櫓のようなものは「会所」といって、山からの湧き水を各家庭に分配するための装置なのだとか。

入り口にはこんな看板がかかっています。



「生野クラブ」

説明看板によると、もともとは生野鉱山を開発した大物山師が明治時代に建てた邸宅だったみたい。
皇族が宿泊されたこともあるそうです。

その後は三菱に払い下げられ、三菱マテリアルの保養所や迎賓館として利用されてきました。
今は国の重要文化的景観の重要建築物として朝来市が管理しています。

立派な卯建も上がっていました。



一般公開されているようなのですが、人けがなかったので入るのは遠慮しました。


その先にあった道標。



これにしたがって国道まで出てくると、路上にこんなマップが。



陶板で出来ているのかな。

国道沿いの歩道にはここ以外にも何ヶ所か同じようなものがありました。
町歩きには便利ですね。

しばらくいくとこんな看板も。



大きく「志村喬記念館」と書かれています。
そういえば、これまでの道標でも旧職員宿舎と併記されていました。

こちらが国道沿いに建つ旧生野鉱山職員宿舎です。



塀越しに中を覗いてみると。



こちらにも志村喬記念館の看板が。
なるほど、旧職員宿舎の中に記念館があるということか。


若い方はご存じないかもしれませんが、志村喬さんといえば、黒沢映画を代表する俳優さん。
この正面の写真は「七人の侍」の一場面かな。

個人的には「生きる」が印象的でしたね。
学生時代にどはまりしたものです。
地元のご出身だったのでしょうか。

まずは外周を国道沿いに見ていきます。
敷地の一番端、路地へと回りこんだところにある棟の玄関にはこんな暖簾が掛けられていました。



「IKUNO STAY」と書かれています。
どうやらゲストハウスのようですね。

この日も、海外からのご家族連れが宿泊されていました。

さて角を曲がって路地を折り返しましょう。


ここは寺町と呼ばれており、山側には大きなお寺が立ち並んでいます。


こちらは日蓮宗、本行寺。



こちらのお寺は本門佛立宗の妙詮寺というお寺。



このほかにも浄土真宗大谷派の寺院もありました。

通りの中ほどまで行くと、宿舎の塀にノボリが二本立てられているところが。



どうやらここから旧職員宿舎の中に入ることが出来るみたいです。



中はきれいな公園のようになっていました。


入り口横の板塀には、旧職員宿舎のパネル。



そして志村喬さんの顔写真が。



生野銀山が生んだ銀幕の名優と書かれています。
やはり地元のご出身だったようですね。

なんて思って入っていくと、こんな碑がありました。



「志村喬生誕の地」

 

なんと、この宿舎で生まれ育ったのか。
ということは、志村さんもハヤシライスを食べたのかな。

なんでもお父様が鉱山技師だったのだそうです。

志村さんが、僕が卒業した大学の予科に一時在籍されていたという話は聞いたことがあったのですが。
まさか生誕の地を訪れることになるとは。
これも何かの縁なのかもしれません。

当時住んでいた宿舎はもうありませんが、残っているうちの一棟を記念館としているようです。



近づいてくとなにやら視線を感じました。
振り返るとそこには志村さんが。



あーびっくりした。
等身大のパネルじゃないですか。

本当に人がいるのかかと思っちゃいました。

さてぐるっと一回りしてきました。
国道沿いを駐車場まで戻ることにしましょう。

この建物は朝来市の生野支所。



日本遺産の垂れ幕が掲げられています。

確か日本胃酸に認定されたのは2017年だから、今から6年前。
比較的最近のことですね。

支所の駐車場には見慣れない車が並んでいました。



除雪車じゃありませんか。


普段雪が降らない大阪市近郊に住む僕たちにとっては見慣れない光景です。
やはり山間の町、冬は厳しいのでしょう。

観光駐車場まで戻ってきました。



写真で見ると、マスタード君は除雪車と同じ色をしていますね。
まあ、それだけ目立つ色だってことでしょう。

雪道でスタックしてもすぐに見つけてもらえそうです。
もちろんそんな目にはあいたくありませんが…


それでは次の目的地へと向けて出発進行!

 

にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村

 

にほんブログ村 写真ブログへ
にほんブログ村