境内には徳富蘇峰が書いた「神聖降臨之詩」の碑。
徳富蘇峰は皇室中心主義の思想家。
昭和二十七年に卒寿を迎えた記念に詠唱した詩を揮毫したものだそうです。
同年、鹿児島の海運会社、照国海運が自社タンカー「霧島丸」の素引水を記念して寄贈したと案内板には書いてありました。
その向かいには客殿。
客殿前の灯篭には「公爵 島津忠済」の名前が彫られています。
明治時代、華族制になってからの島津家当主ですね。
さあ、大きな石段を登って三の鳥居までやってきました。
鳥居の手前には手水舎。
ここも伊勢神宮と同じように柄杓は置いてありません。
手水に渡した樋から水が流れるような仕組みになっています。
向かいに設置された臨時の手水場も同じでした。
これは鳥居の横に置かれた「さざれ石」
いわゆる石灰質角礫岩というやつです。
堆積した小石が、石灰成分によってくっついて次第に大きくなっていきます。
それが押しつぶされることにより最終的には巌に。
手前のものはさざれ石、後ろのものは巌になりかけているといったところ。
国歌云々は別として、悠久の時が作り出す自然の造形というものは、見ているだけで感動させられます。
さていよいよ本殿が見えてきました。
手前が拝殿、奥が正殿です。
その手前にはお札の納礼所が。
こちらが縁起書。
もちろんご祭神はニニギノミコト。
天照大神の孫にあたる方、だから天孫と呼ばれているのですね。
日本書紀によると、神勅を受けて降り立ったのが霧島連山、高千穂峰なのだとか。
今でも高千穂峰の山頂には天の逆鉾が突き刺さっているそうです。
では参拝しましょう。
一般の参拝者が入ることができるのはここまで。
それにしてもきらびやかな社殿です。
伊勢神宮の質素さとは対極をなしていました。
特にこの欄間の部分。
極彩色に彩られた装飾が素晴らしい。
なんでも「西の日光」とも称されているそうです。
確かに東照宮に通じるところがありますね。
ちなみに本殿や拝殿は国宝に指定されています。
最後に神楽殿へ。
こちらもすごく立派な社殿。
大きさや豪華さ、そして神聖な雰囲気。
九州最古の神社にふさわしいものでした。
それにしても、すごくシンプルな構成の神社ですね。
別宮だとか、境内社なんてものは一切ありません。
この規模の神社としては、これはこれで珍しいんじゃないかな。