常夜灯の次に向かったのはこちら。



「對潮楼」
国の史跡と書かれています。

ここはかつては朝鮮通信使を接待するための迎賓館だったところ。
瀬戸内海にある「しおまちの港」と呼ばれるところではよく見かけます。

福禅寺という真言宗のお寺にある客殿で、弁天島と仙酔島が一望できるのだとか。
窓枠を額縁に見立て、まるで一服の絵画のようだと評されています。
楽しみですねえ。

道標の示すとおり、この狭い坂を上っていきましょう。



右手の石垣と意思灯篭のあるところが福禅寺。
こちらがその入り口です。



入り口には大きな看板が。



「日東第一形勝」と書かれています。
これはかつて朝鮮通信使が対馬から江戸までの間で一番美しい場所だと讃えた言葉なのだとか。
對潮楼という名前も朝鮮通信使の正史が名付けたそうですよ。

拝観料は大人¥200、決して高くはありません。

こちらにはこんな石碑が。



秋篠宮もお成りになったみたいですね。

その先には、はね戸になった祠の中に御神馬の像が。



神社ではよく見かけますが、お寺で神馬というのは珍しい。
まあ神仏合体のお国柄ですから。なんでもありなのかもしれません。
 

それにしても、なんで親子なんだろう?
調べてみましたがわかりませんでした。

こちらが入り口です。



手前が本殿で奥に客殿があります。
本殿だけであれば拝観料は要りません。

そしてこれが日東第一形勝と呼ばれた眺め。



確かに。
一服の絵画といわれるのが分かるような気がします。
もっと光線状態がよければ絶景なのでしょうね。

ちなみにこれが窓から乗り出して撮影したもの。


【⑨ 0164】

先ほどの枠付きの写真も、もう少し低いアングルで撮れば青空も入ってもっといい写真になったかもしれない。
でも今は膝が曲がらず正座できないので仕方がありません。
中腰ではこれが精一杯だったのです。

欄間には菊のご紋が入っていました。



説明書きによると、福禅寺は平安時代に村上天皇の勅願寺として空也上人が建立したものなのだとか。

客殿から本殿にかけてはいろんな資料なども展示されていましたが、その中にはサザエさんのオープニング画面なんかもあったりしてちょっとびっくり。

そうそう、こんなものもありました。


この写真は「旅人のブログ」(https://tabi-bito.net/)さんからお借りしました

これは太平洋戦争時に実際に陸軍が使用していた大砲の照準器。
接眼部にカメラを置き、ピントを合わせると弁天島のお堂が写るのだとか。



なかなか難しかったのですが、何とか写っているでしょう。

お寺をでて海岸線に向かうと、麓にはこんな碑がありました。



むろの木歌碑と呼ばれるもので、奈良時代の天平2年に大宰府での任期を終えた大伴旅人(百人一首の大伴家持の父)が、都に戻る途中に立ち寄った鞆の浦で詠んだ歌。

「吾妹子が見し鞆の浦のむろの木はとこ世にあれど見し人ぞなき」

と書かれているそうです。

歌の内容などはさっぱりわかりませんが、その当時からこの港はあったということなんですね。
大伴旅人は大納言だったそうですから、そのような身分の方が立ち寄る場所、つまりもてなすことができる場所だったってことか。

千年以上昔の話、歴史が永すぎて今ひとつピンとこないですね。

 

 

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