本日も予約投稿です。
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それでは集落を歩いてみましょう。
ここは教会近くの海辺。
振り返ると教会が見えます。
ここから見ると教会の後ろ半分ほどが白くなっているのがわかります。
これは本来全てをコンクリート造りにする予定だったのですが、途中で資金が不足し、後ろの部分を木造に切替えたため。
建築物としてもコンクリートと木造が混在する、非常に珍しい構造ですね。
こちらは教会へと続く道沿いにあるカフェ。
よく見ると軒先に注連飾りが飾られています
この時は5月の初め、とっくに松の内は終わっていました。
この地方では禁教時代にキリシタンであることを隠すために、一年中注連飾りをつけておくという風習があったのだそうです。
それが今でも受け継がれているということですね。
これはこのお店が観光客向けにやっているわけではありません。
普通の家でも注連飾りをつけているところがたくさんありました。
港のほうへ向かう途中にこんな看板が。
その先はこんな通路になっています。
これはトーヤといって、各家々から真っ直ぐに海へと出られるように設けられた生活道路なのだとか。
土地が狭い崎津ならではの工夫ですね。
たしか舟屋で有名な伊根の町にも同じような通路がありました。
住民の方々の交流の場でもあるそうです。
集落の西の端には漁港があり、さらにその先端にはこのようなものが。
天草夕日八景、マリア像の夕日だそうです。
どこにマリア像があるのかというと。
海に突き出た小さな岬の先端にある白いもの。
これが海上マリア像。
望遠で撮ってもここまで寄るのが精一杯です。
正面から見るためには船に乗って海上から見るしかありません。
そのために漁船によるクルージングも用意されているのですが、時間がないので乗りませんでした。
なぜこんなところにと思いましたが、崎津はもともと海を生業の場とした集落。
禁教時代もデウスを豊漁の神として信仰を行ってきたという歴史があるそうです。
この像は昭和49年に建立されたそうですが、この海を行き交う人達からは今も篤い信仰を受けているとのことでした。
漁協近くの山側にはこんな鳥居も。
こちらは西宮宮(にしのみやぐう)という神社。
18世紀には存在が確認されているという歴史のある神社です。
祭神は蛭子神、イザナギとイザナミの最初の子、オノコロ島から流されて兵庫県の西宮にたどり着き、後に恵比寿様として信仰を集めるようになった神様です。
だから西宮宮というのかな。
西宮神社の末社ということかもしれませんね。
崎津にキリスト教が布教されたのが16世紀後半、禁教令が出されたのは17世紀前半という歴史を考えると、ここも禁教時代にはキリシタンの人たちの隠れた信仰の対象だったのかもしれません。
ちなみに崎津集落にあったマンホールの蓋。
魚の絵柄になっています。
今も海は生活の場なのですね。