しばらく通りを歩いていくと小さな神社がありました。
地蔵堂といって、ほぼ温泉街の真ん中に位置しています。
ここに祀られているお地蔵さんは、黒川温泉の由来にもなっているそうですよ。

神社の前に由来を書いた看板がありました。



これによると肥後細川藩の藩士が重要な役割をになっているようですね。
細川氏そのものは室町時代には隆盛を誇っていましたが、肥後に移ったのは江戸時代になってから。
だからこの由来も江戸時代になってからのこと。
伝説というには少し新しいような気もしますね。

現在もそのお地蔵さんの首が祀られているとのこと。
お参りをしてお堂の中を除いて見ると。



あっ、あれかな?
確かに首だけの石像らしきものが安置されていました。

またお堂の外にもこんなものが。



どうやら首のないお地蔵さんみたい。
なんか怖いですねえ。

その後も道沿いの旅館やお店をのぞきながらぶらぶら。

こちらの旅館では壁に昔の農機具を飾っています。



これも雰囲気づくりなのでしょうか。

木陰の中を進んでいくと、なにやら小屋のようなものが。



小屋ではなくて、門のようですね。
神明館という旅館の入口みたいです。



神明館というのは黒川温泉で一番有名な旅館です。
 

こちら側は門だけ。
川向こうに旅館の本体がありました。



「日本の秘湯を守る会」のメンバーでもあるみたいです。

なぜこの旅館が有名なのかというと、今でこそ黒川温泉といえば露天風呂巡りの温泉街として知られていますが、その黒川で最初に露天風呂を作ったのがこの旅館の三代目館主の後藤哲也さんという方だったから。

自らの手で裏山をノミで削り、最初に造ったのがこちらの洞窟風呂。


写真は神明館のHPよりお借りしました

次ぎには露天風呂も手作りされたのだとか。
そこには裏山の雑木を植えて、自然を感じさせる工夫も。


昨日の記事に書いた「自然の雰囲気」が黒川温泉の共通理念というのはこの方の考え方を引き継いでいるということです。

それが評判を呼び、多くの旅館が後藤さんの指導のもとに、それぞれ趣のことなる露天風呂を造っていきました。
今では全30軒のうち、敷地の制約などで露天風呂を造れない2軒を除いた全ての旅館に露天風呂が整備されています。
これが露天風呂の黒川温泉というブランドイメージに繋がっていきました。

後藤哲也さんは残念ながら2019年に他界されましたが、その理念は今も世代を超えて引き継がれているようです。
いやあ、いい話だなあ。

 

 

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