しばらくいくと案内板がありました。



湖岸集落の景観は2014年に重要文化的景観として選定されたそうです。
また2016年には日本遺産「琵琶湖の水辺景観」の構成要素としても追加されました。

こちらがその湖岸の景観。



湖岸に沿って桜が植えられています。
季節にはさぞ見事なことでしょう。

ちなみに案内板の上に描かれているのは惣の文字。
これは惣村といって、古くから自治権を持った集落であったことを示すものなのだとか。

この集落の特徴は琵琶湖に面して作られた石垣です。



説明によると家の土台作りのほかに、災害予防の目的もあるそうです。



ここは琵琶湖の北端にあたり、南が開けた普段は穏やかな入江。
ただ、特に台風などが湖北付近を通過するときなど、風向きによっては大波が押し寄せてきます。
これまでも何度か大きな被害にみまれたことがあったとのこと。

年季の入っていそうな石垣もありますね。



ここに人が定住したのは奈良時代から平安時代にかけてということなので、その時代からこういう石垣に囲まれた景観だったのかも知れません。

これは旅館のようです。


【⑥ 8509】

正直、こんなところにとまりに来る人なんているのだろうかと思いますが、奈良時代から琵琶湖水運の重要な停泊地だったそうなので、船の乗組員達を相手にした宿がもっとたくさんあった可能性もあります。
今は釣りをしに来る人か、工事関係者などが泊まるくらいなのかな。

「菅浦港竣工の碑」なるものもありました。
こちらがその港です。



入江の一部を防波堤で囲っただけのシンプルな港。
港というより泊まりといった方がしっくりきそう。

港の前には作業小屋のような建物が並んでいました。



近くには川魚料理のお店も。

 



ここで獲れた魚は、小屋で処理され、こんなお店で調理されているのでしょう。
でも営業している気配はありません。

港の先ではまだ護岸工事が続いているみたいです。



港の堤防を通して沖を見ると、その先は霞んでしまうほど遠くに見えます。



南を見るとさえぎるものは何もありません。
ただ湖面が広がっているだけ。



確かにこんなところに大波が押し寄せてくると怖いでしょうね。

こうやってぶらぶら歩いてみましたが、人の気配はほとんどなく、本当にさびれた集落というイメージでした。
説明パネルなどもほとんどなく、この集落はどんな所なのか、どんな生活をされているのかをうかがい知ることもできません。

土地そのものが狭いということもあり、あまり外部の人間を受け入れるというところではないようにも感じます。
訪れているのはほとんどが釣り客のようでした。

地元の観光協会のサイトでもあまり詳しい記述はありません。
重要文化的景観や日本遺産の構成要素に認定されているわりには、観光地化することを拒んでいるかのようです。